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私は、今、大悟(悟りを得る)しようとして、5年前から日々励んでいます。
何を大げさなと、思う方もおられましょうが、この歳(来年1月で70才)になると結構おおぜいの方が同じ想いを致されるのではないでしょうか。
そのための準備として、食から始めたのです。
その経過も含め、今の心境、日々の変化をこれからぼちぼち綴って行こうと考えています。
ご興味がおありでしたら、お読みください。
苦労は買ってでもしろ! この言葉は前から知っていました。
しかし、頭で理解するのと実践するのとでは、雲泥の差があるということ。
わざわざ買わなくても、苦労が湧いて出るような家庭に生まれ、極貧の生活を強いられる方がいらっしゃることにまで思いが及ばない、私は思いやりのない人間だったことに、この年になって深く気付かされたのが、父の日記を読むことによってでした。
先日、その日記の一部、私が生まれた日の部分を載せました。
ずいぶん大きな(重量オーバー)な子であったということを知りました。
4425gですから。
母が、当時肺結核を患っていて、琵琶湖のほとり真野というところで療養生活をしていました。
運動不足と琵琶湖の魚を毎日のように食べたための、育ち過ぎでしょうね。
5番目の子であっても、難産だったのではないかと思います。
自分では気づかない程度の、何らかの障害が残ったことも推測されます。
ま、それは大したことではないのですが。
まずは、産んでもらったことに対しては、とても感謝しています。
こんなたのしい面白い人生がこの歳になって始まったのですから。
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遺す日記
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1月25日(土)
4時30分房、来室。4時から陣痛がやって来たといふ。すぐ膳所の東田産婆さんに電話する。5時起床、弘義を隠居に走らせる。30分毎に陣痛ありといふ。出産の準備は一応出来てゐる。しかし、自動車は動かないだらう。東田さんに5時30分もう一度電話する。やはり駄目だ。時間を打合せて、6時に弘義に自転車で蛍谷まで迎へに走って貰ふ。恵美子がやってきて、一刻も早く産婆さんを呼んでほしいと注進して来る。仕方がない。村田さんは病臥。7時ごろまで頑張る様に傳言する。炊事に連絡、湯を沸かして貰ふ。産室に行くのは厭だ。6時30分ラヂオを入れる。
東雲が美しい。今日はよく晴れてゐる。夜明けの美しさを味ふ。小鳥の声が聞える。房よ、元気であれ。男でも女でよい。丈夫な子供がうまれればそれでよい。
8時に出産したといふ。1貫180匁(*4.425㎏)の男の子である。このごろ栄養不良で産児の体重は700匁〜750匁(*2.625〜2.813㎏)程度が一般である由、それに1貫180匁とすれば、470匁〜420匁もoverしてゐたのだ。余程栄養がよかったのかも知れない。昨年の夏以来の自分の病気の看護と食料不足、秋から今日までの学園創設の苦労等、決して考へられる條件はよいものとは云へない筈が、かゝる結果を与へられたことは、神の恩寵であらうか。それとも、学園のこの貧しい給與も感謝の気持ちを以てすれば充分であったことの証明であらうか。ひそかに願ってゐた通りに男の子が恵まれたことは、何ものにもかへ難いよろこびである。啓治と命名して諸手続に記入する。小林と米子と福山に手紙を書く。すばらしい快晴の暖い日である。
学園は今日、若い先生たちにつれられて、二部の少數の者や小島のおばあさん、弘義、博君等が鹿飛の山まで芝刈りに出掛けてゐる。3時過池田君を誘ひ、身ごしらえして鹿飛まで迎へに行った。4時過車を二台つらねて収穫物を山と積んで帰る。汗が出る。筍のやうに一枚づゝ脱いで、えんやらと押す。学園の坂道でくたくたとなった。
岡君や福永君は、上半身裸になってしまった。
この意気は貴い。
○ただ一つ残念なことは、清和が夜になっても帰って来ぬことであった。遂に彼は脱走した。最初のshockである。田村君は、「今日は脱走日和ぢゃ。二・三日すれば又帰ってくる」と平然と過去の体験談を語る。
池田君は猛烈に今日までの教育内容を反省してゐる。警察にはすぐ連絡して保護方を依頼する。
オーバを着ただけで所持品は残してゐる。昼食後のことである。夜や雨、雪、風にどうして暮らすか心もとない。過去の生活への子供らしいあこがれか、逃走と放浪の然からしむるところか、この学園のあせりすぎた「しつけ」のいとわしさからか。
原因についてはうんと研究してみる必要あり。必ず帰ってきてくれると信ずる。夜繁牧庵で主任常會をすることになってゐたが、その前に本原氏と打合せて来園せる膳所のG製薬の永原、尼寺両氏も共に参會。田村君の好意で少しばかりの肉を鍋にかける。自分は出産のお祝の気持ちで、先日丹羽支局長に貰った酒を提供して乾盃する。残りは明日でも、若い先生方と共にするつもりなり。
10時頃まで懇談。G製薬からは、昨日見本のG乳の継続的供給のこと相談あり。牛乳よりはるかに栄養的である。社長は精神的な人である由。二人の若い人は、共に佐賀の出身で、元教育者であった由である。大いに学園事業に共鳴される。
保養室の赤坊(啓治)の顔をのぞく。たくましく赤い。
房も案外元気である。入浴して12時過就寝。
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