エッセイ集 小鹿桂司作品集

NHK文化センター名古屋 エッセイ入門「オアシス」に収載されてtます。愛知県図書館名古屋市立図書館に収蔵されています。

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上州

カカア天下と空っ風
 
 昭和五十七年の六月に群馬県に着任し、六二年の四月に山梨県に転勤するまで、およそ六年間「上州空っ風」を体験した。
群馬県には「上毛 ( じょうもう )カルタ」という、群馬県の名所、旧跡を紹介するカルタがある。小学校から覚えさせられるようだ。現に私の妻も諳んじることができる。
その中に赤城山 ( あかぎやま )を紹介した、「裾野は長き赤城山 ( あかぎやま )」というカルタの読み札がある。
榛名山 ( はるなさん )」「妙義山 ( みょうぎさん )」「赤城山 ( あかぎやま )」の上毛三山と呼ばれる山々の中でも赤城山は、カルタの読み札のように特に裾野が広く、広大な威容を放っている。その赤城山から吹き下ろされる北東の風はまさしく「空っ風」であった。
しかし、私は「伊吹おろし」を知っている。北風はどの土地に行っても冷たく、強いものだ。岐阜県西濃地方や尾張西部に住んでいる人たち、滋賀県に住んでいる人たちは、群馬県の赤城おろしと同様の北風を受けて生活しているわけである。特に群馬県の赤城おろしが恐ろしいというものではない、と私は認識していた。
しかし、私が赴任して初めての冬を迎えたとき、「伊吹おろし」にはない強風を味わった。
前橋市の西に渋川 ( しぶかわ )市という人口五万人程度の町がある。当時の私の担当エリアで毎週のように車で向かっていた。そこで見た光景はいまだに忘れられない。
渋川 (しぶかわ)市は中心地以外、桑畑や田んぼばかりが広がっており、まさしく赤城山の広大な裾野に位置していた。西には榛名山が迫っていた。伊香保温泉が近い。竹下夢二で有名な榛名湖もある。
ある冬晴れの風の強い日に県道を車で走行していると、広大な田んぼの広がる地区にさしかかった。周りは全く風をよける建物もない、まともに赤城おろしをくらう。そこを買いものに行くのか若い女性が自転車に乗って、顔をマスクで覆いながら走行していた。方向は北向きだ。まともに風を受けながら必死で自転車をこいでいる。すると、はるかに見える赤城山から突風が吹いた。彼女は自転車もろとも風を受け、道路わきの田んぼに吹っ飛ばされた。私はすぐ車を止め、彼女を助けようとした。だが、ドアがあかない。風で押し戻される。ようやく車を下りると、今度は私がまともに風を受け、眼鏡が吹っ飛んだ。眼鏡のことを気にしつつ、彼女の元にようやく近づくことができた。彼女の自転車は道路の側溝にはまり、自身はそこから転がり、乾燥しきった田んぼの中でうずくまっていた。
「だ、大丈夫ですか? 」
彼女は返事ができないほどだった。見ると膝から血が流れ、痛そうに立ち上がろうしたが、また突風が吹き、倒れてしまった。
「は、はい、なんとか」
「お家は近くですか? よろしければ車でお送りしますよ」
そう声を掛けるとようやく立ち上がった。しかし、足首を捻ったようで崩れるようになった。私はすぐさまま肩を貸した。
「買い物に行こうと思ったんですけど」
といいながらも痛そうであった。
「これから中央病院に行きますから、乗せて行きますよ。膝をケガしたようですよ」
「すいません、いいですか。家は近くなんですけど」
「いいえ、遠慮せずにどうぞ。だけど自転車どうしますかね」
「あとで取りに来ます」
彼女を乗せたが、眼鏡は後続の車に轢かれ粉々になっていた。
だがなんとか中央病院に直行した。そこは内科、整形外科、産婦人科の病院だったので、すぐ整形外科の先生に診てもらった。
「家まではタクシーで帰りますから、ありがとうございました」
彼女は何度も御礼を言った。
「君、人助けして殊勝だね。あとは任せなさい」
整形外科の清水先生という四十前後の先生に任せた。すると薬局長の林さんというベテラン薬剤師が投薬窓から顔を出し、私を呼んだ。
「寒かったでしょう、この風が赤城おろしよ」
薬局の中に入れてくれて、
「今、ミルク暖めてみんなで飲むところだったのよ。温まるから飲みなさい。眼鏡どうしたの? 」
車の中は暖房が利いていたものの、駐車場から病院まで何度も吹き飛ばされそうになりながらけが人を連れて行ったため、身体は凍てついていた。暖かいミルクを飲んで、ほっとした。
「いや、聞きしに勝る、ですね。人と自転車、それに眼鏡が吹き飛ばされましたから」
薬局や医療事務の女性達が笑っていた。
私は群馬郡群馬町という東に前橋市、南に高崎市、西に安中 ( あんなか )市、北に渋川 ( しぶかわ )市という、いわば群馬県内でも交通の要所の一つと言われたところに住んでいた。
私が住んでいたアパートの周辺は当時でも養蚕業を営む農家が多く、桑畑がいたるところにあった。風向きによっては、蚕の臭いがして気分が悪くなることがあって閉口した。けれども静かで、春にはすぐ近くでウグイスの鳴き声が聞こえ、初夏にはカッコウの声も聞こえた。とてものどかな田舎だった。会育ちの私にしてみれば別天地であった。
だが、冬の「空っ風」と夏の内陸部特有の暑さには慣れなかった。
そんな環境の中で二十三歳から二十九歳までの青春時代を過ごし、多く女性と知り合い恋をした。
医薬品卸会社の事務の女性とは、営業の関係で知り合うことが多く、卸のセールス達と高崎、前橋の飲み屋街をともにすることがしばしばあった。そのうちに個人的に親しくなり、デートをすることもあった。それに「仕事場」である病院で仕事をするのだから当然看護婦さんや、女性の薬剤師とも知り合うこともある。それに行きつけのスナックの女性などとも個人的に連絡を取り合い、店が終わった後、お酒を飲みに行くこともざらであった。だから、二股、三股、四股で「交際」していた。
当時はもう東京と群馬の文化的な違いはなくなっており、それほど違いは感じなかった。みんなおしゃれで流行を追っていた。高崎、前橋に住んでいる女の子達はごく普通の女性達であった。
しかし、どうも前橋や高崎以外の田舎の女性は少し、いや随分変わっていた。今まで知り合った女性とは全く違ったといってもいい。
私の妻と知り合ったのは、私が山梨県に転勤が決まってからで、しかもその送別会の居酒屋で知り合った。前橋で一人暮らしをしていたが、もとは群馬県と長野県の県境に近い吾妻郡の出身だ。
それまでは上州弁というものをまともに耳にしたことはなかったが、初めて妻の実家に行った時はさすがに驚いた。というよりも言語学的カルチャーショックを受けた。妻が私と話している言葉とは全く違った言葉、語彙を耳にした。最初は何を話しているのか聴き取るのに苦労した。
それに態度である。たまたま、私の妻の実家がそうなのかわからないが、父がよく動く。母が何か言うと、さっと身体を起こして何かする。「まめ」と言えばそうだが、何か雰囲気が違う。それに妻の母の言葉遣いが荒っぽい。具体的に表現することができなくてじれったいが、なんとなく「男言葉」なのである。
「とうちゃん、そろそろあれだんベエ」
「それは、『オレ』やっから、とうちゃんはよしゃあ、いいだんベエ」
私の妻もいつの間にか「べえ、べえ」言っている。
結婚して二十二年になるが、義父と義母の会話は最近になってようやく聴き取れ、理解できるようになった。
私の住んでいるマンションが大規模修繕の時期を迎え、ついでだから不要なものも業者が処理してくれることになった。
「おとうさん、もうゴルフやらねぇべぇ、ゴルバッグも全部捨てちまうよ」
「おとうさん、暇なら、買いもの行ってきてクンネエ、牛乳とたまご。余計なもんかってくんじゃネエヨ」
名古屋弁が大嫌いな、妻の上州弁が飛びかかってくる。
昨年群馬に帰省したおり、「上州女とかかあ天下」について話したことがあった。そのときの議論では、上州の女は働き者でしっかりしているという意味のようだ。昔から上州の男は博打が好きで遊び人が多かったから、上州の妻達はしっかり者が多いのだ、ということが結論であった。確かに、今も前橋競輪、高崎競馬、桐生競艇、伊勢崎オートとギャンブルには事欠かない。今も昔も上州は「かかあ天下と空っ風」である。
妻は毎日、
「名古屋には山がない」と嘆いている。

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