エッセイ集 小鹿桂司作品集

NHK文化センター名古屋 エッセイ入門「オアシス」に収載されてtます。愛知県図書館名古屋市立図書館に収蔵されています。

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防衛機制

防衛機制(不安・葛藤の情況や欲求不満に直面したとき、自我を守ろうとして無意識にとる適応の仕方)
 
 
私は当然のことながら、太平洋戦争も昭和十九年に起きた東南海地震も知らない。
 
伊勢湾台風も私が一歳の時であるから、当時住んでいた家の屋根が吹き飛ばされたことも、全く記憶がない。
 
ドルショックだって、金本位制から変動相場性に大変革が行われたという、経済学史的事実としか認識がない。わずかにニクソン大統領がテレビ演説している画面を少しだけ記憶している程度だ。
 
オイルショックにしても、トイレットペーパーが品不足になったと言っても、当時我が家は和式便所であったし、トイレットペーパーなど使っていなかった。
 
関西大震災では大きな揺れを感じたが、直接被害にはあっていない。新幹線が動かなくて、東京にいかなければならなかったが、到着が遅れたぐらいだ。
 
近いところで言えば、東海豪雨の時も、東京出張中で知らないし、マンションの六階に住んでいるので関係がなかった。
 
東日本大震災にしても、友人は何人も被害に遭っているけれども、私や家族、親類にも直接被害に遭った人はいない。
 
そんな天変地異、戦争などに直接遭遇していないというのは何と幸せなことだろう。このことは天に感謝したい。
 
けれども、私は失業、それもリストラによる失業を四度も経験した。失業給付金も二度受けた。こうなると自然災害に対する防衛も必要だが、職を失うという恐怖、不安に、自然災害と同じぐらいの防御体制を取りたくなる。
 
 
 
 
 
 

痛し痒し

名古屋市は精神障害者に対して非常に手厚いシステムがある。「福祉乗車」が発行され、市バス、地下鉄は乗り放題である。また、東山動植物園、市立美術館、博物館の入場料も無料である。それに各市営スポーツセンターも無料で使用できる。
医療に関しても充実している。精神障害者福祉手帳二級であれば、愛知県内の医療機関で受診しても無料である。診察料はもちろんのこと、薬代、検査料も無料である。
だから私は、ちょっとでも身体の調子が悪いとすぐに医療機関を利用する。腰が痛いと思えば整形外科でレントゲンを撮り、シップと痛み止めの薬をもらう。胃の調子が悪いと消化器内科に受診し、最近は鼻から入れる胃カメラをやってもらう。結果、ピロリ菌が胃に巣食っていると判れば、すぐに除菌してもらうため高い薬を頂戴する。喉の具合が悪いと耳鼻咽喉科を受診し、鼻からファイバイースコープを入れてもらい、大したことはない、と言われながらも漢方薬とイソジンを処方してもらう。
先日の夜、リビングでくつろぎ、やっと購入した「地デジ対応」の液晶テレビを観ていた時、最近妻に似て「キツネ目」になってきた娘が、さらに目を吊り上げ、
「お父さん、またミズムシじゃないの? 足の裏の皮がめくれているよ」
五、六年前、長年の「サラリーマン病」というか、一日中靴を履いたままの生活が続いたため罹患してしまった。その時から、トイレのスリッパも別、バスマットも別、お風呂の椅子も別、湯上りのタオルも私専用になっている。靴下も別に洗濯される。ついでに私の靴は毎日アルコール消毒される。
「また皮膚科に行って薬もらってきなよ、うつされたら困るんだからね」
妻が娘の指摘に私の足の裏を見ながら、苦虫を噛み潰したような顔をして「命令」する。
確かに若干の痒みがあり、そうではないか、と想像していたが、あまり気にするほどではなかった。
 
高校時代に一度罹ったことがあったが、剣道部であった私は運動場を素足でランニングすることで「克服」することができた。しかし、このことは口にしていない。もし公言したとすれば、
「毎日外を素足でランニングすりゃいいだんべえ」
そんなセリフが妻から発せられることは、十分予想できた。
「わかったよ、明日皮膚科に行って来るよ」
私はすごすごと、自分の部屋になっている「物置部屋」に引っ込んだ。そういえば嘗て罹患した時は二回ほど皮膚科に通って薬をもらったが、その時は劇的に効いて、一ケ月足らずで通院を止めてしまった。本当はもっと長く薬を塗らなくては、なかなか根治しない。
「今度は無料なんだから、しっかり薬を塗って、ちゃんと直すことだよ!」
リビングから妻の大声が聞えた。
次の日「言いつけ通り」に会社帰りに近所の「高橋皮膚科」に寄った。
私の住んでいるマンションの近くには、内科、耳鼻咽喉科、皮膚科、歯科が同じ建物に入っていて大変便利なビルがある。マンションからも五分とかからない。だからいつも患者でごった返している。近所の患者だけでなく比較的遠方から通院してくる患者も多いようだった。特にインフルエンザが流行する時期や花粉症の時期などはごった返し、耳鼻科は二時間待ちということもよくあった。
けれど、便利なことに、すぐ近くにショッピングモールのがあり、ドーナッツ、ハンバーガー屋、外資系アイスクリーム屋、同じく外資系おもちゃ屋、家電量販店、生鮮食料品スーパー、衣料用品屋がある。だから、待ち時間が長い時などは時間が潰せるので、主婦などは買いものをしてから、また来院するということができて人気であった。すぐ隣には一〇〇円ショップもある。スポーツ用品店、ゴルフショップもある。
会社帰りになると六時を過ぎてしまう。混んでいるかなあ、と想像して行ってみると、高橋皮膚科は空いていた。受付嬢にどれぐらい待つか訊ねてみると、
「もうすぐですよ、今日は空いてます。ここで待っていてください」
花粉症対策のマスクで顔がよくわからない受付嬢は明るい声で答えてくれた。
周りを見ると患者の数は四、五人いるだけだった。何時もなら座る場所がないくらいなのになあ、と思いながらソファに座った。そして、最近購入した「郷愁の詩人 与謝蕪村 萩原朔太郎著」をカバンから出して読み始めた。
私は松尾芭蕉の「詫び」「寂」も好きだが、蕪村も好きである。朔太郎は芭蕉は好きではないが蕪村は好きだ、と記述してある。朔太郎が選んだ句が季節ごとに載っており、それぞれに朔太郎ならではの視点で解説がしてある。朔太郎の選んだ蕪村の句もさることながら、朔太郎の評論が大変参考になる。昭和十一年の著作であるが、私にはとても新鮮に感じられた。
蕪村の句の中で春と夏の部の句はとても江戸中期の作品とは思われない。現代的な感覚が心に沁みる。朔太郎はこの辺りのことを「エロチカル・ロマンティズム」、「青春のセンチメント」と評して称えている。そういえば何とも言えない「 ( つや )かしさ」が、まるで高級な旅館で焚いてあるお香が香ってくるような色っぽい句が目につく。
『行く春やおもたき琵琶の抱きごころ』
『筋かひにふとん敷きたり宵の春』
『誰が為の低き枕ぞ春の暮』
『春雨や同車の君がさざめ言』
『女して内裏拝まん朧月』
それに西洋の近代詩とも相通ずるところがあるという。私は西洋の詩など読んだことがないのでわからない。
春風 ( しゅんぷう )馬堤曲 ( ばていきょく )』という俳句と漢詩と、その中間を繋ぐ「連句」で構成された蕪村独自の手法を用いた連句がある。これなども明治になって島崎藤村らの新体詩の先駆をなしている、と朔太郎は高く評価している。百年以上前に作られ、当時は誰も見向きもしなかった蕪村に対して、ただただ唸るだけである。
うん、なるほどと感心していると、
O君」
「初子の人」ジュンちゃんが診察室から出てきた。
私はあまりのことに
「おお、ジュンちゃん、どうした? 」
彼女はニコニコ笑いながら、私の隣のソファーに座った。
帯状疱疹 ( たいじょうほうしん )なんだわ、痒いし痛いし、うちの近所に皮膚科がないでしょう」
腰のあたりに手をやりながら診察に来た理由を話した。確かに彼女の家のそばには皮膚科が」なかった。
O君はどうしたの? 」
「いや、あの、まあ・・・サラリーマン病の一種だな。」
「サラリーマン病? 何それ」
なんとなく正直にはなしづらいが、つい気を許し、
「ミズムシだよ」
「サラリーマンとどういう関係があるのよ? 」
彼女と会話するのはいつも楽しいが、まさか皮膚科で会おうとは考えも、予想もしなかった。
「一日中靴履いているだろ、サラリーマンは、だからだよ」
彼女は納得したような表情で私の足元に目をやった。
「でも、帯状疱疹なんて、免疫が落ちた老人とかがなる病気だけど、なんかあったのかい? 」
ジュンちゃんは少しため息を吐きながら、
「最近忙しいのよ、震災のおかげで。ちょっと疲れたね」
彼女の嫁ぎ先は工務店で、特に水回りなどの配管工事を請け負っている。その切り盛りを彼女とお嫁さんでやっている。
忙しいのはいいじゃん、と言おうとして改めて彼女をみると痩せたような気がした。
「痩せたかい、ちょっと。」
O君はまた太ったねえ。私はやつれよ」
そんな話をしていると、会計に彼女は呼ばれ、私は診察室に呼ばれた。
O君、またクラス会やろうね」
「おい、そんな大きな声で俺の名前を呼ぶな。カッコ悪いだろ」
ジュンちゃんはぺろっと舌を出して、私に手を振って皮膚科から出て行った。
 
 

夏炉冬扇の逆襲

 私は小学校の頃から国語が得意科目だった。よく百点満点も取っていたし、漢字の小テストや作文でもよい点数を取っていた。
しかし、いつも五段階評価の「四」であった。理由は簡単である。「習字」が下手くそで、悪筆であった。
中学の二年生の時、中間テスト、期末テストで百点を取ったことがあった。しかし習字の成績が悪いため「四」であった。
「お前はもっと字が上手くならなきゃ、社会人として認めてもらえないぞ」
三年間クラス担任の先生、国語の担任の先生からも異口同音に「情なさそうな」顔で言われていた。きっと筆遣いが下手なのだろう。自分でも情けなくなった。
中学校三年間、校内読書感想文コンクールがあって、毎年表彰されていだ。
三年生のある日、国語の担任の先生から授業が終わってから呼び出され、
「中川区のコンクールに推薦する。内容は一番なんだから、もっと丁寧に字を書け!」
内容を認めてくれた先生が居残ってくれて、
「俺の目の前で書き直せ!」
結局四回も清書させられた。書いている時は悔しくて涙が出そうになったが、今思い起こすと、そこまで評価してくれた先生には感謝している。
「いいか。内容は立派なんだ。だけど見た目が悪くて読みにくい。せっかくの内容が死んでしまう。こういうのを『夏炉冬扇』というんだぞ」
悔しいから、「夏炉冬扇」という言葉を、図書館までいって調べた。
《夏の囲炉裏、冬の扇子の意で、無用の物事のたとえ》とあった。愕然とした。
二つ下の妹は書道教室に通っていたため、逆に書道大会で優秀賞をもらっている。
「妹はあんなにきれいな字を書くのに、兄貴のお前は酷い悪筆だ。足して二で割っても、お前の字が足を引っ張るから、とても合格とはいかないな」
高校は工業高校に通ったため、現代国語は三年間「五」であった。工業化学科の授業には習字がなかった。
でも、
「もう少し丁寧に書けないかねぇ、いい文章書くのになあ。もったいない」
褒められているのか、貶さ ( けなさ )れているのかわからない。他の教科でも「五」や「四」を取っていたが、
「もう少し丁寧に書けよ。せっかく合っていても×をつけたくなるから」
世界史、化学、数学、英語、工業化学科専門教科の先生から同じように言われ続けた。さすがに「へこん」でしまうことがあった。特に専門教科の先生からは、
「これから社会に出て、レポートを書くことが多くなるんだから、書道教室でも通ったらどうだ」
浪人して大学へ入学しても、同級生や教授からも同じように言われ続けた。
大学時代になると、色々な文学賞やコンクールにも投稿するようになったが、採用されることも、賞を取るようなことは全くなかった。
大学の試験は論述、記述式の問題がほとんどであるので、できるだけ丁寧に回答用紙には書いた。結果はA,B、C、Dの「C」がほとんどであった。
この頃にはさすがに自分では諦めていた。だけど、上手く書けなくても、読めないような字じゃない。読み手次第だろう。社会に出て認められないような字じゃない。そう信じて卒業した。
だが、甘くはなかった。最初の上司からは、
「もっと丁寧に書け!報告書だぞ!」
毎週日報と週報を上司に郵送するのだが、必ず電話があり、最後はこのセリフで終わって電話を切られた。
しかし、入社して四年目、画期的なことが起こった。営業マン一人に一台、パソコンが貸与されることになった。このシステムは数ある企業の中でも特段に速かったのではないだろうか。一週間のパソコン講習のあと、
「これからはこのパソコンで日報、週報、その他の報告書、連絡書は作成して、専用回線を使って送信してもらう」
こんな朗報はめったにあるものではない。これで上司から怒鳴られることも少なくなるだろう。便利にもなる。
私は必死にパソコンを勉強した。日報や週報だけでなく、立派な企画書も作成できるようにパソコン関係の本を読破し、「これでもか!」というくらいの企画書や提案書を作った。
Windows 95が発売された時は、一目散に電気屋に駆け込みパソコンとともに手に入れた。これで、同期や先輩達に差をつけ、他社のプロパー達にも「一目置かれる」立場にもなった。
それに上司や代理店の幹部、女子社員、開業医の医師達に「認められ」高い評価をもらうことができるようになった。病院の偉い先生や若手の医師達、看護婦さん、薬剤師さん達からパソコンのことで相談を受けるようにもなった。
ああ、もう「悪筆」だとか、もっと丁寧に書けとか言われないで済む。今までの「屈辱」から解放される。原稿用紙もいらない。書き損じもない。
私はようやく、自分の「居場所」を見つけることができた。
この「エッセイ入門」こそ自分の探していた「居場所」だと思っている。出会えたことに感謝している。
それに、「小説すばる新人賞」、「太宰治賞」、「群像新人文学賞」にも投稿できるようになった。
文芸社にも原稿をメールで送り、それなりに評価してもらった。当然だが出版までは無茶であるけども、気軽に投稿できるようになったのは、ワードというアプリケーションがあり、インターネットという手段があるからこそである。
マイクロソフトのビル・ゲイツやWindows Officeの開発に携わった方々に心からお礼を言いたい。
マイクロソフト社が全世界的に証明している「マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト」という資格も昨年取得した。
私の持っている「故事・ことわざの辞典」に、
『夏炉は湿 ( しつ ) ( あぶ )り、冬扇は火を ( あお )《無用と思われる物も、使い方によっては役に立つたとえ》とある。この言葉が私の「座右の銘」である。

忠治へのレクイエム

二〇一〇年の八月半ば、私の脳裏に
「国定忠治」
その名前が、何の前触れもなく浮かんだ。
「ちょいと、調べてみなよ、俺のことをよ」
忠治のそんな声が聞こえてきたようだった。妻の実家の群馬県吾妻郡に里帰りしていた時だった。ふと、書棚に目をやると、分厚い、立派なケースに入った「群馬県の歴史」という本が目に入った。
「義父さん、この本借りていいですか?」
「ん?そんな本あったんかい?いいよ、どうせ誰も読みゃしねえだんべえ」
私が外資系医薬品メーカーのプロパーとして群馬県に赴任し、群馬町のアパートに住んでいたころ、そこの大家さんが、
「国定忠治は『長岡』っていうのが本名だいね」と、教えてくれたのを思い出した。
早速本を繰ってみようと、その本を取りだすと、埃にまみれて、おそらく一度も開いた形跡がなかった。
上州という国は米作には向いていない土地で、古くから養蚕業で発達した土地だった。それに湯治場となる草津や伊香保などの温泉に恵まれ、人、物、金の流動が激しい土地柄でもあった。自然、賭場が各地に開かれ、博徒が集まってくる。そんな中で忠治は育った、というような紹介がされていた。「群馬県の歴史」によると、二ページだけだったが「忠治と栄五郎」という見出しで、「上州が生んだ大親分」と解説してあった。処刑されたときからの推定のようだが、彼は一八一〇年に生まれている。つまり、二〇一〇年は「国定忠治生誕二〇〇年」に当たる年だった。ポーランドの生んだ大作曲家ショパンと同い年ということになる。
だが、考えてみるとかつては浪曲、大衆演劇、映画に登場した「実在のヒーロー」なのに、いつごろからか、全く耳にすることもなく、目にすることもなくなった。現に私が所有する「詳説 日本史研究 笠原一男著 山川出版」にも吉川弘文社の「日本史年表・地図」にも国定忠治、という人名は出てこない。
名古屋に帰ってから、三省堂に行けば特集コーナーができているだろうと、行ってみると、「坂本竜馬」と「ドラッカー」の特別コーナーはあったが、記念の年だというのに「国定忠治」のことなど、どこにもない。このままでは「こくていただはる」と読まれ、日本の歴史上の人物から消え去っていくような気がする。
その足で県立図書館まで行った。検索してみると、笹沢佐保「私説 国定忠治」、津本陽「国定忠治」、高橋敏「国定忠治」が見つかった。すぐ借りた。
ついでだから、オーディオ・ビデオ室に寄ってみると、
「新国劇 極付 国定忠治」というDVDがあった。これも借りた。新国劇六〇周年記念、一九八〇年読売ホールでの録画だった。NHKエンタープライズのDVDだ。二〇〇八年発売とある。
国定忠治に辰巳柳太郎、目明しの川田屋惣次に島田正吾、信州の女郎屋で十手取り縄を持つ「二足の草鞋」を履く山形屋籐造に緒方拳という配役。
第一幕は飢饉に苦しむ農民に代わって悪代官を切った忠治達は、赤城天神山に隠れ、関東八州取締役捕り方とにらみ合っている。そこへ、忠治の妾の親でもあり捕り方の頭、川田屋惣次が、忠治を捕縛するため上ってくる。忠治一家の参謀「日光の円蔵」は、忠治一家は今宵限り山を下りみんなちってしまいますから、忠治を御縄にするのはご容赦ください、と惣次を説得する。
惣次は娘可愛さに忠治を捕縛することができない。円蔵の提案を聞き入れ赤城山を下りる。そして、国定忠治の名台詞、
「赤城の山も今宵を限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨てを捨て、可愛い子分のてめえ達とも別れ別れになる門出だ。」
「小松五郎吉兼が鍛えし。万年溜の雪水に清め。おれにゃ生涯てめえという、強え味方があったのだ」
記憶のどこかにあったが、本物を観たのは初めてだった。
辰巳柳太郎のセリフは力強く迫力がある。しかし、「国定忠治」を伝説化した「子分達」を心底慕う優しさと、義理を思う博徒ならではの切なさがにじみ出ていた。何度も観ては感激した。
DVDを観終わると、笹沢佐保、檀一雄、津本陽、高橋敏と、間髪を入れずに読破した。生意気だが、笹沢佐保さんの小説が一番小説らしく面白かった。高橋敏さんは群馬大学にも赴任していた歴史学者だ。これも非常に面白かった。高橋敏さんの「国定忠治」は岩波新書で七六〇円だったので、取り寄せた。
私はいつしか「国定忠治」の生涯とその周辺に深い関心を抱き、インターネットで調べた。上毛新聞社が出版している「」という雑誌の昨年三月発行の本に忠治を特集した記事が載っているというので、早速取り寄せた。
とにかく面白かった。忠治には「友蔵」という弟がいた。その子孫が群馬県にいらっしゃる。長岡という苗字だった。市町村合併による新「伊勢崎市」の町興しの目玉にしようとしている。
田崎早雲という幕末から明治に活躍した画家が描いた国定忠治の肖像が上毛風に載っていた。やや肥満した体躯だが片膝を立て、ぐっと引き締まった口元、向かって左を睨みつけている。冷酷な眼差しだ。
「俺は許しても、こいつが許さねぇ」
そんなドスの効いた忠治の声が聞えて来るようだ。
ところで、世に出ている小説は、天保の改革で有名な水野忠邦の官僚で、関東八州取締役にもなった、羽倉外記という人物が忠治亡きあと著した「劇盗忠二小伝」を取り入れている。忠治の行った犯罪についても、詳細に述べてあるが、忠治が行った飢饉を救った記事に私は目が行った。
羽倉外記が飢饉の現状を見回りに行った時、
「土地の者がいうに、赤城の山に賊がいる。忠治という。忠治は私財を投じて苦しむ民を救ったという。私は恥ずかしさのあまり、赤面し冷や汗が出て穴があったら入りたい気持ちになった」と彼は記している。
博徒の親分、しかも「指名手配」を受けている「犯人」にこんなことされては、さすがに面目丸つぶれだったろう。
しかし、伝承ではあるが隣村の村の田部井村で大々的な賭場を開き、その上がりで「磯沼」の浚渫までした。そして村々は旱魃の危機から救われた。
こういったところが「義民、義盗」と呼ばれる所以ではないか。事実百姓に忠治の味方が多かったようだ。忠治一家に関東八州取締捕り方の動向を逐一報告していた、という伝承も残っている。
だが、彼ら博徒の敵討のやり方が恐ろしい。木に身体を後ろ手につりさげて、まず肋骨と骨盤の間を切り落とし、バランスが崩れたと同時に首を切る。「三段切り」にして利根川に放り投げた、というのだ。本当にそんなことができたのだろうか。想像しただけでも身の毛がよだつ風景だ。
忠治は関東八州取締役の追手から逃れるため、妾の「お町」、「お徳」の家に隠れていた。
ところが彼は「お町」の兄、嘉藤次の家で酒を飲み、彼女と寝ている時に脳卒中を起こしている。子分と弟の友蔵が相談して、「お町」の兄、嘉藤次の家は狭くて見つかり易いので、「お徳」の家に運ぶと、「お徳」は「お町」の家で発病したことを知り、忠治を追い出してしまう。彼女の気持ちはよくわかる。結局、名主の宇右衛門の蔵屋敷で匿い、療養させることにした。しかし、そこを関東八州取締役達に急襲され、嘉永三年、一八五〇年八月二十四日捕縛された。
一旦江戸送りになり、取り調べを受けた忠治。彼の罪状は多種多様であったが、信州と上州の国境「大戸の関所」を破ったことが、最大の罪状だった。そのため「関所破り」の罪で磔刑が言いたされた。
嘉永三年、一八五〇年十二月二十一日十時ごろ、いよいよ磔にされた忠治に槍が向けられた時、
「まあ待ちねえ、お役人方に御礼を申し上げねば。手前儀、悪党いたしやして、国の見せしめになってご成敗と決まり有難うござんす。お陰様で小伝馬町牢内でも身持ち大切にできやして、かように天下のご法にかなうことに相成り、天にも昇る喜びにござんす。」(国定忠治 高橋敏 岩波新書より)
と言い残し、千五百人の大観衆の前で十三度槍を突かれ絶命した。数え年四十一歳であった。
遺体はその日のうちに何者かによって持ち去られている。
二〇一〇年は「国定忠治生誕二〇〇年」、そして「没後一六〇年」の節目の年であった。
しかし、この事実を認識し思い起こしたのは、地元群馬県の一部の人に限られてしまった。多くの現代日本人には馴染みの薄い人物になってしまった。これは果たしてどういうことなのだろうか。

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