ぷーみんLife

日本は必ず復興します。日本人の誇りを胸に!!

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アイヌ利権について

アイヌだけ特別扱いする不自然さ、
まっとうな事を言った北海道の議員さんが除名になりましたね。
アイヌも日本人。みんな、混ざり合っています。
そして、利権を振りかざす人がほとんど、何故か朝鮮人です。
 
本当のアイヌの方の声
 
FB友達の文章を転載します。
 
 
彫刻家の砂澤陣さんから学ばされることが多いです。
砂澤さんのお父さんは、有名なアイヌの彫刻家の砂澤ビッキさんです。
砂澤陣さんは、いわゆる「アイヌ民族」も日本国家の一員であるという至極もっともな主張を展開されておられ、今回自民党札幌支部と公明党に対して公開質問状を提出されました。
自民党や公明党は、左翼の「アイヌモシリ解放論」にからめ捕られ、歪んだ「アイヌ政策」に奔っています。...
左翼諸セクトは、他の地域よりも遅れて日本国家の中に組み込まれた沖縄や北海道等を日本から分離させる「琉球弧解放」、「アイヌモシリ解放」をとなえています。
しかしそれを言うなら、もともとの日本国は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨された宮崎県周辺だけであり、沖縄や北海道だけでなく、他の地域も順次平定されて日本国に組み入れられていったものです。
伝承によれば、我が郷里の佐賀県も、もともとは川上梟帥(カワカミタケル)という豪族が支配していた地域でした。それを日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が平定したということになっています。
要するに時期が早いか遅いかだけで、佐賀も沖縄や北海道と同じなのです。早く日本国に組み込まれようが遅かろうが同じ日本人なのです。
もちろん当時の日本にも、地域によってそれぞれに独自の文化や風俗がありました。そこで初代神武天皇は、これら文化や風俗の違う人々が心を一つにして国づくりをすることを日本国の建国の理想として掲げられました。
これが日本書紀にある「八紘為宇」です。
最後に砂澤さんの公開質問状のURLを貼っておきます。
電子署名もあるので、御賛同頂ける方は宜しくお願い致します。
※写真は、日本武尊の上陸地点とされる佐賀市本庄町大井樋付近に立つ「王子神社」。尊を祀る。

玉音放送

シェアさせていただきます。
ごとう 孝二さんが写真2枚を追加しました。
 
 
 
 
 
 
 
I LOVE JAPAN〜世界を融和に〜
「日本と国民を滅亡から救った
昭和天皇の奇跡の玉音放送」
...
 先日、NHKの「花子とアン」で終戦の時、
玉音放送を家族共々正座をしてかしこみて聞く日本国民の姿が映りました。
改めて感じたことですが、こんなに礼儀正しくラジオに向かえる民族はいないでしょうと思いました。
日本人は天皇陛下を通して、大いなるものとつながっていたのだと思います。
(金久保 幸代さんコメントより)
当時、軍部は一億玉砕の覚悟を固めていました。
敗戦を受け入れることは2.26事件以来のクーデターの可能性もありました。
もしあの時、一億玉砕で本土で地上戦をしていたら私たちの先祖もほとんど亡くなってました。
ということは、今の日本は無く私も生まれていないのです。
あの戦争を止められたのは奇跡と言ってもいいほどのことだったのです。
昭和天皇が自らの命を捨てて終戦の決断をしてくれたおかげなのです。
結果的に私たちの命をも救われた、
戦後の原点である、玉音放送の内容を
昭和天皇の命をかけた想いを私たちも知る必要があるのではないでしょうか。
昭和20年(1945)8月15日正午に
ラジオで放送された5分弱の
「終戦宣言」
いわゆる“玉音放送”を現代語に訳してみました。
「世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、
ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。
常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。」
「私は日本政府担当者に
米国、英国、中国、ソビエト連邦の
4カ国に対して、
日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。」
「そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、
世界全体と繁栄の喜びを共有することは、
歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、
私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。」
「最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、
ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。」
「けれども戦争はすでに4年も続いており、
我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、
そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、
戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。」
「その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、
その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。
もしもこれ以上戦争を続ければ、
最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、
ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。」
「そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、
歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。
これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。」
「私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。
また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、
悔しくも天命をまっとうできなかった者、
そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。
戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。」
「この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。
みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。
けれども私は時代の運命の導きにそって、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、
これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。」
「私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから
忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、
常にあなたがた臣民とともにある。
「感情の激するがままに事件を起こしたり、
もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、
そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。」
「何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、
神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、
将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、
日本の力を最大に発揮することを誓い、
世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。
私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。」
この5分間のラジオから流れる昭和天皇の玉音放送で桜がハラハラと散るごとくにあの戦争は終わりました。
外国の戦地の軍人も終戦を受け入れたのです。
日本人の心がひとつになった瞬間でした・・・
2014仁川アジア大会の開会式 韓国SBS放送
日本人選手の入場の時【周辺国と深刻な外交摩擦を起こす国】というテロップを流す↓

http://livedoor.blogimg.jp/toua2chdqn/imgs/7/4/745bb7ea-s.png



42: 名無しさん@0新周年@\(^o^)/ 2014/09/22(月) 23:03:47.49 ID:p78dxFFX0.net
>>19
流石反日国家、徹底しとるね
 http://amzn.to/1uh60p9
8月28日、名古屋で竹田恒泰氏の講演会に行きました。
 
         竹田氏の講演会の感想
 
一番心に残った事は、民族の精神としての、日本人の『死生観』です。
日本人が、『何を幸せと感じるか』というと、どれだけ『生きている間に贅沢をしたか』ではなく、『惜しまれながら死ぬこと』だとお話になりました。
 
「はやく死ねばいいのに」と「もっと生きて欲しい」と思われる事を比較して考えたとき、確かに自分もそう感じます。
生きてる時にどれだけ贅沢が出来たかは問題ではありません。
 
私は今まで、『惜しまれながら死ぬ』事は、悲しい事、可哀想な事、不幸な事のように思っていましたが、それこそが『幸せ』であるというのは、驚きましたし、納得もしました。
 
そして、その『幸せ』を実現するために、日本人は
『世の為、人の為に何ができるか』を、常に考えて生きる。
これが『大和心』だと言うことでした。
 
『世の為、人の為』というと自己犠牲の上に成り立つ義務のように感じますが、そうではなく、正に
「情けは人の為ならず。(自分の為である。)」という古語の通りですね。
 
人に「ありがとう」と感謝される事を何よりも嬉しいという感覚は、自分も、そして周囲の人も普通に持っていると感じます。
これが、日本民族独特の考え方であり、だからこそ、日本人は、どんな震災の時も暴動がおきないというお話を聞き、日本人である事を誇らしく思いました。
 
 
 
そして、一番感動したのは、特攻隊のお話です。
 
人が、どんな時に命をかけるのかと言うと『愛する人を守りたい』
という時だけで、
宝くじが当たるために、贅沢をする為に命をかける人はいない。
 
負けが確定した時期に、なぜ、『神風特攻隊』が飛んだかと言うと
「このまま負けたら、日本という国は分断されて、
植民地化されて国が残らない。
少しでも有利に終戦すれば、国が残る。国さえ残れば、
愛する妻は、母は、家族は
何とか生きていく事が出来る。
・・・では、国が残るとは何か!例え領土が減ったとしても・・・」
 
その答えが、
「天皇陛下万歳!」だったのです。
 
「彼らは、愛する人の為に死んだ。そして、
 彼らの夢は叶ったんです。」
「彼らは犬死にと言う人がいる。
 でも、彼らは夢を叶えたじゃないですか。
 国土は分断されず、ほぼ残り、日本人の自治で、
 こんなにも豊かな国になり・・・。
 あの頃まで、戦争で負けた国がどうなってたか考えたら、
 あり得ないんですよ。」
「夢は、叶ったんですよ!!」
そう、何度も仰っていて、涙が出ました。
 
終戦後、昭和天皇がマッカーサーに、
「私の命を差し出すから、国民を助けてください。」
と、おっしゃられ、マッカーサーが感激したのは知っていましたが、
マッカーサーの
「天皇を処刑したら、復習のゲリラ戦が100年以上続き、何万人ものアメリカ兵が命を落とすだろう」
という報告書が、アメリカ本土を納得させたのは、
この特攻隊のお陰であった事を初めて知り、自分たちが本当に、先人の恩恵の上に生かされている事を自覚しました。
 
そして、このような事実を、多くの人に知ってもらい
首相が何の気兼ねもなく『靖国参拝』できる日本に、 
早くしていきたい。
 
それが、残された者に出来る恩返しなのではないか・・・、
そう、思いました。

感動の出会い

 
 
 
インドのモディ首相
第二次大戦のインパール作戦に従事して、インド国軍の創始者ネタジ・チャンドラ・ボースと共にイギリス軍と戦った99歳の日本兵と面会していた。
2014年9月2日 

ミーティングは貴重で強烈なものだった。
東京でインド首相はネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの99歳の同僚を出迎えようとひざまずいた。 

火曜日にリリースされた写真に、三角佐一郎をじっと見つめ、温かく手を握りしめたナレンドラ・モディが写っていた。 

「感動的な瞬間!インド首相がネタジの古い日本の仲間、99歳の三角佐一郎に手を差し伸べている」と外務省スポークスマンSyed Akabaruddinがツイートした。 

この日早くに、日本の首都での会合で、モディは三角について、今でも鮮明にネタジに関するあらゆることを詳細に覚えている日本人男性がいると語った。 

今回の会談はモディにとって、ネタジのかつての仲間との二度目の会談となった。 

5月8日、114歳の元インド国民軍INA将校、Nizamuddin大佐は、下院選挙運動中にバラナシの集会でモディとステージを共有した。 モディは退役軍人の足に触れていた。 

ネタジ・スバス・チャンドラ・ボースは、第二次世界大戦中に日本による援助を得て英国と戦ったインド国民軍(INA)の創設者だ。 

彼はフォルモサ(現台湾)の飛行機事故で死んだと信じられている。 台湾は墜落時、日本であった。 
遺灰は東京に運ばれ、市内にある蓮光寺に納められている。

写真はインド国軍の創始者ネタジ・チャンドラ・ボーズと共に
英国軍と戦った99歳の日本兵、三隅氏の手を
ひざまづいて握りしめるモディ首相
http://bakankokunews.blog.fc2.com/blog-entry-3145.html#OottLct.twitter_tweet_count_m
------------------------------------------
インド紙のほうがよほど扱いが大きい
https://www.google.co.jp/search?q=Saichiro+Misumi%2C&oq=Saichiro+Misumi%2C&aqs=chrome..69i57&sourceid=chrome&es_sm=93&ie=UTF-8#newwindow=1&q=Saichiro+Misumi
インドのモディ首相
第二次大戦のインパール作戦に従事して、インド国軍の創始者ネタジ・チャンドラ・ボースと共にイギリス軍と戦った99歳の日本兵と面会していた。
2014年9月2日
ミーティングは貴重で強烈なものだった。...
東京でインド首相はネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの99歳の同僚を出迎えようとひざまずいた。
火曜日にリリースされた写真に、三角佐一郎をじっと見つめ、温かく手を握りしめたナレンドラ・モディが写っていた。
「感動的な瞬間!インド首相がネタジの古い日本の仲間、99歳の三角佐一郎に手を差し伸べている」と外務省スポークスマンSyed Akabaruddinがツイートした。
この日早くに、日本の首都での会合で、モディは三角について、今でも鮮明にネタジに関するあらゆることを詳細に覚えている日本人男性がいると語った。
今回の会談はモディにとって、ネタジのかつての仲間との二度目の会談となった。
5月8日、114歳の元インド国民軍INA将校、Nizamuddin大佐は、下院選挙運動中にバラナシの集会でモディとステージを共有した。 モディは退役軍人の足に触れていた。
ネタジ・スバス・チャンドラ・ボースは、第二次世界大戦中に日本による援助を得て英国と戦ったインド国民軍(INA)の創設者だ。
彼はフォルモサ(現台湾)の飛行機事故で死んだと信じられている。 台湾は墜落時、日本であった。
遺灰は東京に運ばれ、市内にある蓮光寺に納められている。
写真はインド国軍の創始者ネタジ・チャンドラ・ボーズと共に
英国軍と戦った99歳の日本兵、三隅氏の手を
ひざまづいて握りしめるモディ首相
http://bakankokunews.blog.fc2.com/blog-entry-3145.html#OottLct.twitter_tweet_count_m

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