ぷーみんLife

日本は必ず復興します。日本人の誇りを胸に!!

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父の戦争体験は、子どもの頃よく聞いた。
「ハイハイ・・・また自慢話か・・・」と、思った。
そう、父の戦争の話は、悲壮感がなかった。
父は大正14年生まれ。今でも元気だ。
 
去年、喉頭癌の手術をしたが、一回も体調を崩さず、やせ衰えもせず、
30回の放射線治療をこなしたのは病院始まって以来だったそうだ。
まあ、これは「高陽社」のお陰だが・・・又、別の話。
 
戦争体験者の話をちゃんと聞かなきゃ・・・と思い始めたこの頃、
夏の帰省の時に、聞いてみた。
 
「お父さん、ゼロ戦に乗ってたんでしょう!」
 
「ゼロ戦なんて、最初だけじゃ。後は紫電。
 あれが足がわるかったからそれから改2になったんじゃ。」
 
「へ・・・しれん?」
 
「紫電じゃ。紫に電じゃ。」
 
「ふーん。紫に練で紫練か・・・」
 
「・・・・・」
 
 
ゴメンネ〜。やっとわかったよ〜。
 

紫電改

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紫電改」(しでんかい)は、水上戦闘機「強風」を元に開発された局地戦闘機 紫電一一型を低翼に再設計した紫電二一型以降を指す(「紫電改」は、試作名称の仮称一号局地戦闘機が一般化したもので、制式名称は紫電二一型である)。局地戦闘機として太平洋戦争末期の日本本土防空戦で活躍した。
同時期に開発された同じ発動機を搭載する中島飛行機四式戦闘機「疾風」が保守的な設計だったのと対照的に、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ層流翼)が特徴である。
後世の評価は大きく分かれているが、その数奇な運命やネーミングから人気の高い機体である。米軍を中心とした連合軍側のコードネームは"George"。紫電改は正面から見ると低翼なのがわかるため紫電とは別機と認識されていたが、戦時中には情報不足から疾風や零戦などの他機種と誤認して報告されていた。戦後になってから紫電がGeorge11、紫電改がGeorge21とも呼ばれている。日本海軍の搭乗員からは紫電が「J」、紫電改が「J改」と呼ばれた。[要出典]
なお本稿では、一般的に「紫電改」と呼ばれる紫電二一型以降について取り上げ、「紫電」と呼ばれる紫電一一乙型以前の機体については、紫電二一型の登場に至るまでの流れにおいて説明する。
 
 

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