選挙の行方はまだ分からないが、安倍晋三首相の突如辞職という悪夢のような一日から、5代の内閣を経て再び安倍内閣を迎えることになりそうである。
当時、安倍内閣は、米国の初期占領政策とその後の共産系プロパガンダを受けた国内左翼勢力によって築かれていた戦後レジームからの脱却を着々と実施していた。
≪大事業だった教育基本法改正≫
戦後レジームと言っても、占領後半世紀を経て残っていたのは、憲法と教育基本法であったが、憲法については、憲法制定以来放置してあった憲法改正のための国民投票法を成立させ、そして、自民党が60年間できなかった教育基本法の改正を実現した。それは簡単な作業ではなかった。必要な手続きをすべて踏んで、徹底審議するために通常国会のほぼ全期間を要した大事業であり、そのために土日も休まず勉強と準備を尽くしたのが、安倍首相の健康を蝕(むしば)んだ最大の要因だったと思う。そのあとの参院選とインドなどの訪問は、安倍首相の健康に対して、無理に無理を重ねただけだったと思う。
そして、それが終わるが早いか、集団的自衛権の見直しのための有識者の会議を設置した。
会議は、集団的自衛権の行使を必要とする4分類について検討し、総論に加えて3分類まで逐次討議を完了し、最終の第4分類を討議する会を9月14日に控えて、12日に安倍首相が病で倒れた。事後措置についていくら連絡しようとしても、安倍首相は病院で点滴中(ひと月続いた由)で如何(いかん)ともし難かった。