ぷーみんLife

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先日、母の所に手紙がきたそうです。
 
 
○○様
安部晋三さんの教育改革のお陰で
やっと、23年から、小学2年生の教科書に
「いなばの白兎」が載る事になりました。
小さな一歩です。
でも、感激です。
千里の道も一歩からです。
 
 
 
今まで全く神話に親しんでいなかったのか・・・と、改めてびっくりです。
そして、こういう事を悲願として努力してくださっていた方が居たという事に、
胸が熱くなります。
 
美智子皇后様が妃殿下の頃、「読書の思い出」で、神話の大切さを語られています。
 
神話を取り戻したハワイ
 
でも書いていますが、子どもたちに沢山神話を読んで、日本人である事を感じてほしいです。
 
 
それにしても、自民がこのまま駄目だったら、
また、民主の支持母体の日教組に「ゆとり教育」に戻されて、
安部さんの教育改革も全部無駄になるのかと心配していました。
参院選・・・ 良かった〜。
 
 
 
そして、昭和9年生まれで、ネットもやらないのに、
母の情報収集能力には関心します。
 
「民主の外国人の地方参政権はとんでもない法案」というのを、初めて聞いたのは、母からでした。
その頃の私は、古くからいらっしゃる在日韓国人だけの事だろう・・・と、軽く考えていました。
まさか、年々増える中国人もで、民主党はその中国人移民を1千万人も受け入れる予定だとは・・・。
 
 
5月に国旗・国家・御皇室の記事を書いた事から、
新しいブロ友の皆さんと出会い、政治に興味を持ちはじめました。
 
私がネットでやっと気が付いた事、
を言うと、母はいつも、その上をいきます。
 
他にも、
自民の山谷えり子さんの行動力はすごいよ〜。あそこに行った時は・・・
山口県は岸さんよ。安部さんとは子どもの頃から何でも気があって・・・
小倉に田母神さんが来るから行ってくる・・・。
 
などなど・・・。
 
インターネットができないからって、あなどってはいけません。
熟年ネットワークがあるらしい。
 
 

私の大好きな映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第3番」に、ナイノア・トンプソンが出てくる。


〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜

ナイノア・トンプソン(外洋カヌー航海者)

 1953年ハワイ生まれ。伝統に基づいて復元された古代の遠洋航海カヌーを駆って、海図、羅針盤、磁石などの一切の近代器具を使わず、星を読み、波や風を感じることで正しくナビゲーションして、かつて祖先達が数千年前に渡ってきた、タヒチからハワイまでの五千キロの海の旅を現代に甦らせた。この航海は、ハワイの先住民の人々に、かつてない勇気と誇りを与え、自然の大いなる営みと調和しながら生きてきた祖先達の、高度な技術的、精神的文明のあり方を学びなおそうとする運動に結びついていった。はるか彼方の「見えない島を、見る力」を養うことこそ、21世紀を生きる子供達にとって一番大切なことだと、ナイノアは信じている。

〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜☆〜〜〜



ハワイでは、小学校に入ると英語を強要され、ハワイ語やハワイ文化は低い文化だと教えられた。

数千年前にタヒチはら渡ってきたというハワイの言い伝え(神話)にいたっては、

海図、羅針盤、磁石が無い時代にそんな事ができる筈がない。

全くのデタラメだと教えられた。

ハワイ人たちは皆、自分たちに誇りが持てなくなった。


ナイノアはそんな現状に疑問を持ち、神話と同じ船を作り、この大航海をやってみせた。

途中の海域には、無風でいつも曇って星が見えない地点があるが、

ナイノアは全神経を集中させ、心の目でみた。


この大航海が成功した事で、ハワイの先住民の人々に「魂の復興がはじまった」という。

目に見えて人々が生き生きとし、自虐的な想いから開放されたのだ。



多くの人たちはまだ、日本を誇れない。

どうか、本当の事を知って欲しい。

未だに日本人が引きずっている、あの戦争について。

自分には関係無いと思っている人も、知った時に気づくでしょう。

ああ、自分の思考も囚われていたと・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I




•グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」
(1946年・デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶、名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)



•ブン・トモ(元情報相)
「我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。」
(名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)



•サンティン(アムステルダム市長、現内務大臣)

「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本側傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日作成)

幸いな事に私は、麗澤瑞浪高校の出身です。

麗澤は、歴史学者である広池千九郎博士が、道徳の普及の為の学校を作った所からはじまりました。

博士は神宮皇學館にもいらした方ですし、当然「国の伝統を重んじる」事を教えてもらいました。



授業が「アメリカ大陸の発見」の所に来た時、

「そもそも、発見という言葉自体が、この歴史が誰の目線で書かれているかを物語っている。
 先に住んでた人たちからしたら、発見じゃない筈だしな。」

と言われ、

「じゃあ、何て言えば良いんだろう。」

と、その時はぼや〜んと思っただけでしたが、

伊勢神宮を参拝に行き、御皇室の役目を教えてくれた麗澤教育には感謝しています。


「国際的日本人になれ」

と教えるこの学校のいう、真の「国際的日本人」とは、

単に語学が出来る事ではなく、自国の文化・歴史を正しく認識し、
日本を愛する心を持って、初めて国際的な日本人と言える。

という物でした。


今までに書いた、国旗、国歌、皇室の記事は、その時に学んだものです。

後に心理学を少し学び、

「中学生の頃に親からの精神的自立をはたす時、自己を愛する肯定感がなければ他人を信頼できない。
 高校生の頃に世界に意識を向ける時に、自国を愛し誇りを持たなければ、他国を尊重できない。」

という事がわかりました。

もちろん、後で自己肯定感や愛国心を作っても良いのですが、理想はそうです。



高杉晋作さんの↓↓の記事は、イラクでの自衛隊の活動の動画がります。

http://blogs.yahoo.co.jp/nagheuer_evolution_10/14720397.html

イラクに行った自衛官の言葉が感動的でした。

我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化した。すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興させた。そして、その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に同じことができないはずはない。我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。

これは、日本の伝統文化に誇りがあるからこそ、違った文明を尊重できたのだと思います。


いそじんさんが教えてくださった動画↓↓も涙がでました。

http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0
http://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4
http://www.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I

今、ネットで簡単にこのような映像が見れるようになりました。

また、エンヤスさんのブログなどに行くと、口蹄疫の知られざる情報がマスコミよりずっと早いです。


今、私たちはマスメディアだけを信じるのでなく、本当の事を知らなければいけない気がします。

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国旗ときたら、やっぱり次は国歌ですね。


日本の国歌は、「君が代」の「君」が天皇陛下の事だから良くない・・・

な〜んていう「君が代反対派」の方がいらっしゃるようですが、

この「君が代」は、平安時代には結婚式などのお祝いの席で

相手の幸せが何千年も続くようにと歌われていた記録があるそうです。

それが国歌に使われる時、「君が代」とは日本の国そのものの事とされたそうです。

もちろん平安時代にはメロディーはついてないから、百人一首のような節回しか詩吟調だと思います。


ほとんどの国の国歌の歴史が短いのに比べ、日本の「君が代」の歴史は驚くほど長いのです。

それに、例え「君」の意味を狭く天皇の事と受け取ったとしても、

「象徴である天皇の代」とは、日本そのものを意味し、それは、大和朝廷がはじまってからの

長い歴史の事ですから、やっぱり「君が代」は詩的で素敵な歌詞だと思います。



例えば、国歌の中では古い「イギリス国歌」は、18世紀に作られていますが、歌詞は下記です。


♪神よ、我らが慈悲深き女王を救いたまえ

 高貴なる女王よ永遠なれ  神よ、女王を救いたまえ

 女王に勝利と  幸福と栄光を

 御代が長く続かんことを

 神よ、女王を救いたまえ♪



なんというか、ここまではっきり言われると、

日本の「君」はどういう意味かなんて論争自体がアホらしく感じてしまいます。


でも、イギリス国歌は平和的でいいですね。

世界の国家の和訳には、革命や戦争がテーマの物が多く、目を疑うようなものが沢山あります。



   「アメリカ国歌」

♪おお、夜明けの薄明かりの中で、

 我らが誇り高く呼びかける、あの旗が見えるか?

 夜通しの激しい戦闘の中にも、要塞に勇ましくはためき続けた

 あの星条旗は誰のものか?

 砲弾が赤く閃光を発し、砲弾が空に炸裂する中にあっても、

 我々の旗はずっと要塞にはためき続けていていたのだ

 おお、星を散りばめた美しい旗幟は、

 自由の地、勇者たちの地に今もはためいているか?♪



   「フランス国歌」

♪たて、祖国の子ら、今こそ、栄光の日は来たぞ!

 われらに向かって暴虐の

 血なまぐさい旗がひるがえる 血なまぐさい旗がひるがえる

 聞こえるか、野に山に

 あの暴兵どものほえるのが

 やつらはすでにわれらの腕にせまり

 われらの子、われらの妻を殺そうとしている!

 武器を取れ、市民たち  きみらの部隊をつくれ

 すすめ!すすめ!

 けがれた血で われらの畝を潤そう!♪


  「イタリア国歌」

♪イタリアの兄弟よ  イタリアは目覚めた

 スキピオの兜を 頭にいただき

 勝利の女神は何処にあり?

 うるわしき髪を捧げろ

 我イタリア女神は 主の創ったローマの僕

 友よいざ隊を組み

 死に臨まん 死に臨まん

 イタリアに召されこの身をささげん♪




す・・・すごいでしょ〜。

日本の「君が代」って、つくづく、平和だな〜。

「さざれ石」が非科学的っていう意見もあるとか聞いた事がありますが、

小石が岩になるさざれ石は本当にある石で、岐阜県の揖斐川が起源と言われています。

鍾乳石みたいなもので小石同士がくっついて、長い長い時間をかけて岩になるんですね〜。



<揖斐川町観光情報>より
国歌「君が代」に詠まれているさざれ石は、日本の七高山、伊吹山のふもとにあり、学名を石灰質角礫岩と言います。これは石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、そのとき生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝固して、だんだん巨石となり、河川の浸食作用により地表に露出したものです。



日本人は国旗にも国歌にも、もっと自信を持って良いと思います。

私が育った下関には、有名な「壇ノ浦の合戦場」があります。

まあ、関門海峡の事ですから、

「ああ、関門橋ね。通った事が有る!」って方も多いでしょう。



「平家にあらずば人にあらず」とまで言って栄華を極めた平家が、

戦の天才、源の義経に負けつづけ、どんどん西に逃げ、最終決戦の場が壇ノ浦です。

その時、負けた平家に担がれていた、幼い安徳天皇は、

「水の下にも都がございます。」という言葉と共に(もちろん、本当はわかっていたけど)

海に身を投げた・・・という説が一般的ですが、

実は熊本まで落ち延びて、蘇陽町の弊立神社で一生を終えたという説もあります。



戦なのに何処か人情味あふれる当時の戦を考えると、

「落ち延び説」もあるんじゃないかな・・・。と思います。



人情味がある・・・と思うのは

この壇ノ浦の戦いで、弓矢の名手のミスター源氏に、

「ならば、この、日の丸の扇を射てみよ。」

と、ミス平家が扇をかかげた。

揺れる船上から船上で、扇をみごと打ち落とすと

源氏からも平家からも大喝采だった。

・・・という、「那須与一(なすのよいち)」の話です。



この時、ミス平家が掲げた日の丸の絵を見てみると、

周りに色がついて、真ん中が白いから、何でかな〜と思ってたら、

なんとこの時、日の丸は

平家が勝っていたら「赤地に白」だったのです。

源氏が勝ったから、今の「白地に赤」の日の丸になったんだそうです。


うわ〜。良かった〜。

赤地に白の日の丸弁当なんて、絶対にたべたくな〜い!!!

梅干は1個で充分だよね。


日の丸には長〜い歴史があるんですね。

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