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昨年まで小学校の支援員をしていた。
一つのクラスに5年間付き添った。(1学年1クラス・36人)
そのクラスの中のAちゃんに、
「中学にも付いてきて!! それでなければ塾やって!! 他の塾は嫌だ!!」
と、毎日言われた事が、今の仕事(家庭教師)のきっかけだ。
卒業式が終わるまで、家庭教師をやる事は言えなかったから、
言った時には皆、塾が決まっていたり、通っていたりしたのだが、
謝恩会で言ったその日に、追いかけてきて、
「塾やめるから、ぷーちゃん、よろしく〜!」
と、そのクラスから5人が決まった。
その前に週2回で、違う学校の中2が決まっていたので、
この5人で中学生は打ち切りになった。
その中の一人、Yちゃんは、
小3の時にマレーシアからの日本に戻ってきた子だ。
口数が少なく、同級生の女子ともほとんど会話しない。
うなずいたり、にっこりしたり・・・
友達に聞かれた返事はするが、自分から話しかけない。
水曜日はHちゃんと2人で。
土曜日はマンツーマンで勉強をするが、
「わかりません」とも、「これ、どうするの?」とも言わないので、
タイミングを見計らってヒントを出していく。
クラスや塾では、「わからない」と言えないので取り残されてきた。
昨日は
「学校で、かわいい付箋をみんなもらったけど、『人権擁護』っていうシールが
可愛くなかったから、みんなシールはがしてた〜。」
と言って、付箋を見せてくれたので、
もうすぐ怖い法律に使われるかもしれないんだよ。
今、民主党が通そうとしている『外国人地方参政権』っていうのがあってね、
日本に5年も住めば市長を選んだりできるんだけど、
平成10年には27万人だった在日中国人が、今、70万人くらいでね、
その人たちは中国の法律で、どの国に住んでも中国が戦争になったら
中国のために戦うという、国防の義務があるの。」
『はい、差別です!』って言って捕まるかもしれないのが人権擁護法だよ。」
という会話をした。
いつも、他の雑談の時は興味を示さないYちゃんが、
身を乗り出して聞いていた。
帰りにYちゃん宅まで送る時、
というと、
そういう事、知ってるんだ〜。と感心して、
日本は悪い事ばかりじゃなくて、良い国だって事がわかるよね。」
文にしてしまうと、ほとんど「はい。」だけの会話だが、
口数が少ないYちゃんはウソは言わない。
いつもと違う、はっきりとした声に、
Yちゃんの気持ちを聞いた気がした。
この子は、この子にしかできない体験をし、
この子にしかできない役割をもって生きてるんだな〜。
そんな、当たり前の事をしみじみ思った。
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教え子たち
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小学校の支援員を5年間やったのだけど、3月でやめました。 |
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「Pちゃん、塾やってよ〜」 (Pちゃんとは私の事です)
「Pちゃんは中学には来れないんでしょう。Pちゃんが教室に居なかったら、授業なんか絶対ついていけん」
中学になるのが不安だったらしく、Aちゃんは12月に入ると、毎日のように私にそう言いに来た。
「そうは言ってもね〜」
その頃はまだ、今の仕事を続けるつもりだったので、
(少し遠くの子は家庭教師をしているけど、同じ校区の子は駄目だよな〜。
でも、中学に行くし・・・。) など、考えていた。
今月8日、「4月からは臨時雇用という形になりますから、1年更新です。」
という教育委員会からの一言が最後のきっかけとなり、
学校を辞めることにしたが、寂しいのと同時に、
学校をやめたら、誰にもはばかる事なくAちゃんに教えてあげられるな〜。と思った。
ずっと思ってた。
勉強についていける、賢い子用の進学塾は沢山あるのに、
遅れてる子を救い上げる塾はなかなか無い。
抜け落ちてる所は一人ひとり違う。
それを見つけてそこから縦に上がりながら勉強すると、小学生の勉強なら、
そうとうに遅れていても、すぐに追いつけるのに・・・。
単元が終わった後に、授業で飛ばした発展・応用問題を押さえてあげたら、
算数力はもっと上がるのに・・・。って。
だから、これからはそれを自分でやろうと思う。
教えるのは一度に2人まで。
目標が決まったら楽しくなってきた〜
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5年前、私がS小学校に初めて来た時、
S小に支援員が入るのは初めてだったし、支援員の制度そのものが新しかったから、
仕事内容が確立していなかった。
「手伝わせてください。」「やっても良いですか。」
というと、何でもやらせてもらえて、副担任みたいで楽しかった。
宿題ノートも担任の先生と2人でみて、休み時間や給食の前後に丁寧に教えられて、
わからない子がいない状態がつづいた。
宿題直しが早く終わると、昼休みはドッチボールを一緒にした。
2年生の時の担任の先生は、本当にきめ細かくて、算数の教え方が格別に上手だった。
最初の3年、書類以外の、直接子どもに関わる仕事は何でもやらせてもらったし、
朝の会・帰りの会でも全員に直接話す時間も確保されていた。
わかっていた。他の学校の支援員さんは、もっと休憩が多いし、自分の担当の子の支援にしか関わらない。
帰りの会で皆の良い所を誉めたり、叱ったりもしない。
4年目5年目は、他の学校から先生が変わってこられて、
私の仕事内容も他の学校並みになってきた。
勤務時間外だから、帰りの会まで残っていただくのは申し訳ないとか、
昼休みは休んでくださいとか、言われるようになった。
「仕事ができるからって、甘えて、担任の仕事まで甘えて任せたらいかん!」
って、気さくな先生が上の先生に言われたり・・・。
つまんない。つまんない。つまんない。
仕事って、やりがいがあるから楽しいのに、やらせてもらえるから嬉しいのに、
「ごめんね。もう、みんなぷー先生をたよりすぎるから、叱っといたから」って、
私が「いえ、やらせてもらえる方が楽しいから」
って言っても、遠慮とおもわれちゃう。
かわいい6年生も卒業するし、私も卒業する事にした。
学校は、毎年の先生の入れ替わりでガラッと雰囲気がかわる。
同じ事の対処の仕方も変わってくる。
なんか・・・やるせないな〜。
子どもたちも言ってた
「オレたちの幸せは5年生から崩れた」
「4年生まで、私たち、本当に担任の先生についてたね。」
そんな事をポツリポツリと私に言ってくる。
学校では「そうだね」とは言えないけど、心の中で激しくうなずいています。
あと3日で、この仕事をやめます。私も新たな旅立ちです。
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2年生からずーっと付き添っていた6年生がもうすぐ卒業する。 |





