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この記事は前回からの続きです。 でも、明治天皇はあくまで抵抗を続けられた。 明治天皇は「戦争にならないように外交的につくす手はないか?」と陸奥外相に質問せよと、徳大寺侍従長に命ぜられた。 しかし、平和のために打つ手があったからとて、それを打つ陸奥外相ではない。彼こそが主戦論者の張本人の一人ではないか!軍人も、出先の外交官も、戦争を求めてたぎりにたぎっていた。 天皇の声なんか耳に入りっこない。 北京の小村公使は、まだ宣戦布告も為されていないのに、旗をまいて引き上げてきた。公使がこんなことをすれば、即開戦である。驚いた下僚(かりょう=部下)が、このことをコメントすると、小村公使は昂然として言った。 「なぁに、俺が戦争を始めてやるんだ。」 日本陸軍は牙山の清軍を攻撃した。 漢陽の王宮を占領した。 日本海軍は、豊島沖で清国軍艦を攻撃、日清戦争が始まった。 明治天皇は、戦争開始を許可なさらなかった。 日本軍が牙山の清軍を攻撃しようとしているとの情報を入手したもうや、伊藤首相に攻撃中止命令を発信せよと命じたもうた。 伊藤首相は恐懼(きょうく=畏れおののく)して、攻撃中止命令を参謀本部と陸奥外相に伝えた。 が、陸奥外相はこの命令を握りつぶし、発信させなかったのである。 日本軍は一斉に清軍を攻撃。 天皇の命令は、無視されたまま放置された。 明治天皇は嚇怒(かくど=激しくお怒り)された。 お怒りのあまり、開戦を皇祖(天照大御神)と皇孝(孝明天皇)に報告するための勅使ご差遣をなさらなかった。 これは、とてつもなく異例のことである。 いや、明治天皇のご意思は、疑問の余地がまったくないほど、日月よりも明白であった。 天皇は、断固として対清開戦をお認めにならなかった。 しかし、すでに明治23年2月11日、大日本帝国憲法は発布されていた。 大日本帝国は、律令国家以来の専制国家てあることをやめて、立憲国家に変身していた。 日本軍が清軍に一斉に火蓋を切るや、伊藤内閣は閣議において対清開戦を決定した。 伊藤首相は直ちに参内して、この閣議決定を明治天皇に上奏した。 明治天皇は、宸念(しんねん=御心)と正反対の閣議決定を裁可したもうた。 かくて、対清開戦は大日本帝国の意思となった。 日本は清国に宣戦を布告した。 この前例によって、大日本帝国憲法第3条(天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス)、及び、第55条(国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス)の解釈が確定した。 すなわち、内閣が正式に決定して上奏したことは、天皇はこれをこのまま裁可しなければならない。たとえ、いかにお気に召さなくとも、内閣が決定したことを拒否することはできない。 この解釈の確立によって、日本も英国同様、国権の発動における内閣の君主に対する優越性が確立された。 〜〜(中略)〜〜 名目上は森厳(しんげん=おごそかなさま)この上なき立派な君主国である。しかも、それは仮面にすぎない。政治権力上は共和国である。だから仮面の共和国。 また、特徴的な政治過程も確立された。 出先があばれる。ジャーナリズムがこれを熱狂的に支持する。これをうけて、少壮、中堅の高官が暴走に加わる。始めのうちはためらっていた政府も、結局はこの暴走に加わる。 天皇は暴走に反対する。が、いかんともしがたい。 天皇の意思は無視される。 このパターンはそっくりそのまま日露戦争のときも行われた。 いずれも大成功であった。 ゆえに、右のかたちで天皇の意思が無視されることは、政治過程のうえでも慣行として確立されてしまった。 天皇の意思を無視しても戦争を強行することが、結局は天皇の為にもなるんだ。 この理論が、日本国民の中に定着した。 繰り返される悲劇。 まさしくこれは、昭和天皇の悲劇そのものではないか。『昭和天皇の悲劇』小室直樹 著 より引用。 どうでしたか? これで大日本帝国の政治の仕組みが少しは理解できたのではないでしょうか? 如何に天皇陛下が戦争反対をして足掻いても、いくら抵抗を示されたとしても、 内閣の優越性によって、陛下が示された意思は、ことごとく無視されて来たかを・・・
天皇陛下の存在とは・・・ 発言権があっても、決して閣議で採用される事はなく、あっても参考程度。 大日本帝国の実態とは、ほとんど象徴天皇制に近い形式を敷いてきていて・・・ 共和国制の国民国家と内面においては変わりがなかった。
ご理解いただけましたか? もし機会があれば、次回は日本史から見る主権在民を記事にしようかなぁ〜♪・・・って、考えています。
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皇室関係のこと
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KODERAさん。そうです。天皇陛下はそういう意味ではとても苦労されているんですよね。
2007/6/20(水) 午前 0:14
伽月さん。あらら・・・そうなんですか?戦後直ぐのGHQのやった洗脳は私達の祖母の世代もおかしくしちゃってたんですね・・・
2007/6/20(水) 午前 0:14
PSYさん。転載どうもありがとうございます。(*- -)(*_ _)ペコ やっぱり転載していただけるってとっても嬉しいです。
2007/6/20(水) 午前 0:15
日清・日露への突入、大勝利さえなければ、第二次大戦もなかったと思いますし、そして第二次大戦後に日本という国が失われなかった一番の功績はひとえに昭和天皇陛下の占領軍と一線を画するご人徳にあると思います。間に挟んだ絵や画像も美しいです♪ポチ♪こうもり
2007/6/20(水) 午前 10:58
こうもりさん。そうなんです。日本は天皇陛下がいたからこそ、今まで陛下を中心に国家が回って来れたんです。この日本の中心の陛下を亡き者にしようと企んでいるサヨク連中にとっては、陛下の行った美しい出来事とか平和的な思想なんかは、どうしても邪魔なんでしょうね。
2007/6/20(水) 午後 10:03
転載させていただけて、こちらも嬉しいですw
自分では、言いたい事があっても、勉強不足やセンス不足で書けない記事を、こうしてお借りする事が出来て、感謝しています。
また、一人でも多くの人に知って欲しい事だと思いますので、力不足ですが協力させていただきたいと思いました。
2007/6/21(木) 午後 4:56 [ psy ]
おぉ、Keiさん、お返事遅くなってすいません!もちろん良いですよ〜。これは遠藤浩一さんという拓大の客員教授の方がおっしゃった言葉です。結構お若いかたなんですけど情熱あふれる講義でしたよ。チャンネル桜にも出てらっしゃいます。
2007/6/25(月) 午前 0:21 [ ytc*n*erin* ]
PSYさん。お返事遅くなって御免なさい。(*- -)(*_ _)ペコ
転載どうもありがとう。これからもまた遊びに来てください。
宜しくね。(*- -)(*_ _)ペコ
2007/9/25(火) 午後 10:20
天皇陛下の責任をお守りするための言葉としては結構ですが
日本がなぜ清国と戦争をするに至った理由が抜けていては、これでは日本の侵略戦争と誤解されます。日本の商船が清国に攻撃されて自衛のために行った戦争であることをこの記事の補足としてつけてほしいものです。まさかと思いますがKeiさんも日本が侵略戦争をしたと思ってはいないでしょうね。
2008/3/31(月) 午前 10:33
天皇陛下の地位というものが今は民間に近づいていますから
Keiさんのように臣下に振り回されてと述べられますが、日本の帝王とはそのようなものではなく、なんといえばいいのか言葉がすぐに思い浮かびませんが、国の神主のようなものといったらいいのか、国の安泰を守り願う役目の者で天皇の地位は西欧の帝王とは違いますから
2008/3/31(月) 午前 10:42
ytcenteringさん。お返事したつもりで居たようです。遅くなってすいません。(*- -)(*_ _)ペコ
拓大の客員教授の遠藤浩一さんですか?知らなかったので今度調べてみますね。日本の大学にも少し思想に右左があるようですね。勿論同じ大学で左右いろいろな教授がいるのは知っていますけど・・・でも特に国立系がサヨクが多いような気がするのは気のせいかな?
2008/4/2(水) 午後 9:23
桜酒さん。内容は小室直樹氏の著書『昭和天皇の悲劇』からの抜粋で、私も小室先生には大きく影響されています。私は清国との戦争の経緯をここでは問題にしていたのではないので、書きませんでした。YAHOOのブログって文字数制限があるので、あれもこれも書くわけには行かないんです。記事を2つに分割しても、それでも目イッパイって感じですし。そもそも侵略戦争って概念がサヨクや中共が押し付けてきている馬鹿らしい考え方と私は考えていますから。( ̄∀ ̄*)ウヒッ
2008/4/2(水) 午後 9:24
続き>>
【国の神主のようなものといったらいいのか、国の安泰を守り願う役目の者で天皇の地位は西欧の帝王とは違いますから 】
本来はそうあるべきですし、少なくとも江戸時代までは権威としての天皇陛下は神そのものだったと言っても良いと思います。でも明治政府が作った近代日本は、西欧列強をモデルに無理やり陛下の地位を築き上げたので、いわゆる西欧の皇帝と同じ立場に立たされてしまったと言えると思います。それが明治日本の悲劇でもあったのでしょうね。
2008/4/2(水) 午後 9:24
わたし、昭和天皇が日記をつけておられたら、それが宮内庁に邪魔を
されずに世に出てきたら、読ませていただきたいな、、、って思ってるん
ですよね。私は左翼ではないし、日本大好きだし、皇室もリスペクトしてる
けど、どんなに周辺事実をかためても、天皇自らがどう考えておられ、
どう苦悩されていたかという肉声(というか肉筆)に勝るものは
ないんじゃないかと思っています。
天皇=アンタッチャブル、ではなく、当時の資料や発言録、
そんざいしていたら天皇ご自身の日記なども、含めて検証してみたいと
思っていますよ。そこは、私は譲れないポイントです。
2009/6/9(火) 午前 0:26
アマさん。( ´・ω・`)_且~~ イラッシャイマセ〜♪
えっと、小泉政権の時に話題になった侍従手帳の件ですね?その件についても記事にしているので読んでみます?もしご希望があれば、書いた記事のアドレスお教えします。でもあんまり説教調になって嫌われたくも無いし・・・ヾ(;´▽`Aアセアセ
えっと、この記事で言いたかった通り、近代の明治から昭和のそれぞれの天皇陛下は、戦争についても「ノー」を云える立場ではないんだってことについては、お解かり頂けましたでしょうか?まずはそこをご理解して頂かないと。
2009/6/9(火) 午前 1:03
庭主です。どうもお邪魔しました、読ませていただきました。ありがとうございます。実は、明治憲法には個人的な『う〜ん』な部分ってのが前からありましてね、天皇が、征夷大将軍に引き下げられた憲法なんじゃないのかなっていうとこなんですね。そこのへんが、隠れ蓑なりなんなり都合の良いというか、今の首相に対する、官僚の存在的な大元になってるんでないのと。ってことは、維新がなんらかのキッカケであり・・・という考えです。不勉強な私はこのあたりをぜひ愛国なみなさまと解いていってみたいですねぇ・・・
2009/6/10(水) 午前 0:25 [ 庭主 ]
庭主さん。
【天皇が、征夷大将軍に引き下げられた憲法なんじゃないのかなっていうとこなんですね。】
仰っていることの意味がわからないんですけど。征夷大将軍というのは天皇から命令されてなる位ですよ。天皇陛下が軍事における最高司令官になった例は、飛鳥時代以前にもあります。ただし、明治憲法下の天皇陛下は、征夷大将軍と違って実権はありません。
【不勉強な私はこのあたりをぜひ愛国なみなさまと解いていってみたいですねぇ・・・ 】
でもアマさんのところでは、私に対して【維新を、よくよく紐解いてみてください。】って仰ったじゃないですか。私よりご存知だからのセリフだと思いますけど。
2009/6/10(水) 午後 9:16
そうですか?まぁ言い方が曖昧だったかもしれませんね。征夷大将軍の様な位置。ですね、お騒がせいたしました。
2009/6/10(水) 午後 9:41 [ 庭主 ]
庭主さん。
でもアマさんのサイトで言われたこと。了解です。
ちょっと私も熱くなりました。いっつも他の方の分は見えているのに、自分だとすぐにこうなちゃうんですよね・・・ちょっと反省です。
2009/6/10(水) 午後 11:34
先ほどは携帯からでしたので、あらためてお晩です♪いえいえ、わかるも八卦、わからぬも八卦(笑)ですのでね・・・。いつでも熱くなりましょう、熱い血潮はお互い様です。こちらもお騒がせいたしました、こういうご縁をありがとうです。またお邪魔いたします(笑)
2009/6/11(木) 午前 2:59 [ 庭主 ]