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こんばんは! やっぱりKEIちゃんのブログに欠かせないのは神社記事でしょ?
お待たせしました。(笑) では、まずイキナリですが、下の写真をご覧下さい。 これは長野県大町市にある『若一王子神社』さんの写真です。 皆さんはこの写真を見てどう思われるでしょうか?
神社なのにお寺みたい?
そうなんです!! 三重塔があったり、拝殿の横に観音堂があったりします。 でも、ここは歴とした立派な神社。旧県社にもなっていた由緒ある神社さんです。 当然三重塔も観音堂もこの神社さんが管理しています。 この神社さんは、珍しく明治の神仏分離令でも、奇跡的に仏塔や観音堂が 壊されずに残った貴重なお社なのです。 こういう神社さんも素敵でしょ?
もしここの神社さんから観音堂と三重塔を取ってしまったら、 特徴が無く、小さめのお社だけが残って、とても寂しい境内になっていたと思います。 もう一つ… これは奈良県にある旧別格官幣社の『談山神社』にある塔です。 これも仏教的な木造建築ですが、現代まで生き残りました。 お陰で日本で唯一の「十三重塔」として、国の重要文化財に指定されています。
さらにもう一枚。 こちらは生き残れなかった、静岡県の家康の神廟がある『久能山東照宮』五重塔の跡です。 とっても煌びやかで素敵な塔が建っていたようなので、かなり残念です。
ところで… なんでここで、若一王子神社、談山神社、久能山東照宮を取り上げたかと言いますと、 実は私、幕末から明治初期に起こった『廃仏毀釈運動』が嫌いなのです。
確かに江戸時代までは、行き過ぎた神仏習合の時代でした。それは事実です。 だから幕末の機運からも、ある程度の神仏分離の運動は必要だったと思っています。 でも、明治政府が『神仏分離令』を出した時、そこまで望んでなかったにしろ、 結果的に、強烈な『廃仏毀釈』の運動が、全国を吹き荒れてしまい、 神社内にあった貴重な仏教遺産があっちこっちで壊されてしまいました。
その『廃仏毀釈運動』があったせいで、明治から終戦までの間、 まるで、仏教が虐げられた日陰者だったようなイメージが創られてしまいました。 あろうことか、今では軍国主義と神道を結び付けようとする勢力すらあります。 これはたぶんにGHQの『神道指令』の影響でしょう。 本当は最初っから信仰の自由があって、明治時代から終戦までずっと平等だったのに…
もっと言わせてもらえば…
浄土真宗の僧、島地黙雷のせいで、明治政府の神道政策は、メチャクチャにされています。 神道は、「教化神道」と「神社神道」に分離させられ、型にはめ込まれ、身動きがし難く、それでいて 管理し過ぎ、自由の少ない神道になってしまったのです。 まさに神道は『国が幣帛の金を出すのだから布教は禁止!』という、宗教殺しの政策が取られています。 宗教と認められないことで、大学などを作っても「神道大学」という名前をつける事さえ、 禁止されてしまっていたのですから。 結局のところ、明治初期に興った嵐のような廃仏毀釈運動のせいで、得をしたのは… 神道でも、仏教でも無いということです。 そう… 一番、得をしたのは…
仲が良かった神仏を切り離すことに成功し、その隙間に入り込んで布教活動が出来ました。 長いキリスト教禁止のアレルギーを解くのには、神仏の醜い争いは絶好のチャンス。 特に外国人が多く住んだ新しい土地や、過去にキリスト教の下地があった場所は、なお更でした… 北海道、横浜、神戸、長崎…
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日本の伝統が危ない
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