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先ほどの前編に載せた、浄土真宗、東本願寺派、本山東本願寺のHPを再度見てみると判りますが、 親鸞聖人以来の長きに渡る伝統を必死に守ろうとする勢力と、袈裟は着てても、中身が真っ赤な 共産主義者勢力の戦いがあり、伝統派の本物のお坊さん達が哀しくも負けてしまったのです。 そんな様子が良く伺えます。
浄土真宗のお寺が、意外と真っ当な右の思想から、テロリストと見紛う程の極左に到るまで居て、 まとまり無くバラバラな部分が多いのは、このような歴史的な経緯も関係するんです。 きっと本物のお坊さん達が、それぞれ独立した結果だったのでしょう。
1981年・・・。 けっこぉー最近までなんとか持ち応えていたのに、この日を境に日本最大宗派の浄土真宗の本部は、 共産主義革命派に完全に乗っ取られ、あろう事かニセモノ宗教に生まれ変わっていたのです。 その後、浄土真宗の政治活動が盛んになったのを見れば、当然といえるでしょう。
ただし、少数になってしまったのは、本当に残念なことではありますが、このHPの東京浅草にある 『 浄土真宗、東本願寺派、本山東本願寺 』 と、少数の地方のお寺さん達は、貴重な法統と 本物の浄土真宗を細々ながらも引き継ぐお寺として残ることが出来ました。 ( ※ 牛久の大仏も正統派の浄土真宗です。)
それでは、実際に本当の姿の浄土真宗はどうだったのでしょう? 教祖の親鸞聖人は、どう言っていたのでしょう? そもそも神棚やお札を毛嫌いしていたのでしょうか? 神道を排除しようとしていたのでしょうか?
少し調べました。 もともと浄土真宗は、昔から 『 門徒物知らず 』 という言い方がされるように、他の仏教徒から、 白い目で見られていました。でも彼ら自身は、そのように他宗から常識がないと思われている ことでも、逆に自らその諺を誇るような変な癖もあります。それは、今までの仏教とはかなり 離れた価値観なので、まるでピューリタンのように他宗からは観られていたのは事実です。 西洋人のカトリック教徒の目から見ても、浄土真宗はピューリタンの如く見えるようです。 その事を語った面白いエピソード・・・ ヤン・シンゲドさんは、清水寺へ行って、「これはローマンカトリック教会と同じだ」と思ったそうです。「やっぱり人々の宗教というのはこういう形なんだということで、やっと安心した」と、カトリックの神父ヤン・シンゲドさんが言うのです。 庶民教会、大衆教会というのは、大体あの形です。まず水を飲んだり、お線香の煙を頭にフワフワとすると頭がよくなるとか言う。もっと同じなのは 「あなたの生まれ年は」 「昭和十七年です」 一覧表を見て 「午年ですね。午年の人の守り神はコクゾウさんや。ハイ、あなたのお守り、三百円」 とやりますね。それと全く同じことをキリスト教でもほとんどやっている。日本人によく知られているのはサンタ・クロースですが、ああいうセント何々といった聖者様がいっぱいおられ、中にはマリア様もおられる。それがペンダントになっているのを買う。 「こういう形は当たり前のこととちがうか」 と、彼は言うわけです。 「そうやってキリスト教は庶民の中に定着してきた。こういう構図こそが、全世界の宗教である。どうも違うのが、ピューリタンとおまえのところの浄土真宗だ。おまえのところは、どうもピューリタンの傾向がある」 と言われた。 日蓮宗 現代宗教研究所 しねない時代の仏教 ttp://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho27/s27_004.htm このように、浄土真宗とは、もともと改革者的であったので、戦後のGHQショックにより、 共産主義との結びつき易い体質が出来てしまったということだと思います。
では、肝心の教祖の親鸞聖人さん、ご本人はどうだったのでしょう? 彼は神道を毛嫌いしていたのでしょうか?
最初に答えから言えば、決してそんなことはありませんでした。 そもそも親鸞聖人がいた鎌倉時代は、神仏習合がかなり進んでいた頃。神社とお寺の区別も かなり曖昧になっていたのですから、当然ながら神道だけを排除しようとはしていません。 それどころか・・・
例えば・・・ 親鸞聖人、神奈川県の箱根神社さんに参拝しています。 そこには、親鸞聖人が自ら彫り上げた本人の坐像が今でも残されていて、箱根神社の宝物殿に行けば、 誰でもその姿を見ることが出来ます。箱根神社には境内に親鸞聖人の銅像もあり、さらには、箱根の あちらこちらには、親鸞聖人の事跡が残されいます。 箱根神社は、確かに江戸時代まで、半分神社、半分お寺の性格がある「箱根権現」と言った 存在でした。しかし、開祖が万巻上人というお坊さんであったとしても、神道の神である、 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を祀って いるのは、創建当初より変わらないことです。それは当然ながら、親鸞聖人本人も知らないはずが ありません。これは神道の神々を親鸞聖人が篤く敬っていた証拠でもあるんです。 でもこれだけなら「権現だったのだから当然だ!」と反論されそうですね。 実は親鸞聖人、まだここ以外にも純粋な神社さんにも参拝しています。
新潟県に越後一ノ宮の居多神社というお社があります。 親鸞聖人は時の上皇の怒りに触れ、捕らえられ、越後に配流されてしまいます。その時にお参りした のが、この居多神社なのです。そのことが、諸国一の宮の本に載っていたので引用してみましょう。 越後国に流罪となった親鸞は、居多ケ浜に着船し上陸した。配流中の親鸞は、浜の波間を染める夕日に感動し、白地に朱色の日の丸を描き、その上に「南無阿弥陀仏」の六字の「日の丸名号」に、「末永く法を守らせ居多の神 弥陀と衆生の あらん限りは」の一首をそえて、神前に供えて奉納した。 移動教室出版事業局 「諸国一の宮」P164
共産坊主たちにとっては、卒倒するほど、都合が悪い事実でしょうね〜♪(笑) でも、この日の丸名号、現にこの居多神社さんに、今でも残っているようです。 親鸞聖人の筆跡鑑定をすれば、面白いことになりそう♪
親鸞聖人について、神道を否定する「神祇不拝の先駆」とされる論調は、共産坊主たちによって、 多く書かれているようですが、親鸞本人の作と言われている 『 和讃 』 には、いくつか 神仏習合を伺わせるものがあるそうです。 例えば・・・ 天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなりとか。まさしく神々について、肯定的に語っています。 このように親鸞聖人自身が日本の神々を敬い、奉り、文章まで残しているというのに、 その開祖の意図を捻じ曲げて、勝手に神道を貶める行いをする共産坊主たち。 こういうニセモノ坊主が居るという事実は、私達保守派はよぉ〜〜〜く 肝に銘じておく必要があると思います。
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2009年05月10日
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