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東北楽天は2日、高校生ドラフトで1巡目指名した北海道・駒大苫小牧高の田中将大投手(18)と仮契約を結んだ。球団の期待の大きさを反映し、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円という大学・社会人ドラフト希望枠同等の条件で合意。背番号は「18」に決まった。 田中投手は北海道苫小牧市内のホテルでの仮契約後に会見し、「プロとして早く投げたい。トップレベルの投手になりたい」と抱負を語った。エースナンバーが用意されたことについては「光栄です」。その一方で、「結果を出してなんぼだと思う。ありのままの自分の投球ができればいい」と力強く話した。 会見に同席した山下大輔編成本部長は「エースナンバーは、野村(克也)監督もぜひにという話だった。太い大きな木に成長してくれると思う」と期待を語った。 田中投手は終始緊張気味のだったが、両親に関連する質問をされたときなどは、表情を崩した。 田中投手は昨夏の甲子園大会で同校の連覇に貢献。今夏の大会では決勝で東京・早実高の斎藤佑樹投手と投げ合い、37年ぶりの引き分け再試合の末に準優勝。9月の高校生ドラフトでは、1巡目で4球団による競合の末、東北楽天が交渉権を獲得した。 田中投手ら新入団選手の発表は来月16日、仙台市内で行われる予定。(金額は推定) <責任と義務感じる 東北楽天・野村克也監督の話> 期待が大きいだけに、一人前に育てないといけないという責任と義務を感じる。順調に育ってくれることを願っている。大仕事です。 「東北楽天のエースに」「プロ球界を引っ張って」。2日、東北楽天ゴールデンイーグルスと仮契約を結び、入団が決まった田中将大投手(北海道・駒大苫小牧高)。甲子園で活躍した右腕が、今度は本拠地・フルキャストスタジアム宮城(仙台市)で躍動する姿を、地元のファンや関係者は心待ちにしている。 官民挙げた支援組織「楽天イーグルス・マイチーム協議会」の丸森仲吾会長(仙台商工会議所会頭)は「大変喜ばしい。甲子園を沸かせ、チームの将来を担ってくれる素晴らしい投手の入団は、勝つチームとして来季に大きな弾みがつく」と大歓迎。「今後さらに成長し、早く1軍で登板してもらい、ファンに感動と喜びを与えてくれる活躍を」と期待を寄せる。 「東北のプロ野球を応援する会・宮城」事務局長の伊東利光さん(42)は「実力はもちろん、夏の甲子園で早実と熱戦を展開したように大舞台をつくり出す力を感じる。新庄(剛志)選手が日本ハムを日本一に導いたように、プロ野球界を引っ張る存在に」と、プラスアルファの魅力開花を待ち望んでいる。 田中投手と同い年で、今季はほぼすべてのホーム戦を見た宮城・宮城工高3年の佐藤亮太さん(18)=仙台市若林区=は「2年の夏に全国制覇した時から注目していたが、東北楽天に来てくれるとは」と大喜び。「自分たちの世代のスター。チームがこれまで以上に身近になる」と話した。 今季、フルスタ宮城で50試合を観戦した、仙台市若林区の主婦、永山理恵さん(33)も「1軍で投げる日が今から楽しみ。早実の斎藤投手と投げ合った姿を見ていると、とても忍耐強いタイプだと思う。東北楽天のエースになれる」と来季に夢を膨らませた。 ◎「焦らずに頑張れ」 両親笑顔で会見 「ほっとひと安心。まずは、よかったなあ、とひと声掛けてやりたい」。2日、東北楽天と仮契約を済ませた田中将大投手の父・博さん(47)は、記者会見場で、念願のプロ入りがかなった長男を誇らしげに見守った。 兵庫県伊丹市の自宅から妻の和美さん(45)と駆けつけ、仮契約に同席。続く会見中は終始神妙な表情だったが、終了後に親子3人で記念撮影のため壇上に上がると、満面の笑みでわが子を見詰めた。 早くプロでのマウンド姿を見たい思いはもちろんあるが、「焦らず頑張って、これが田中将大だという投手になってほしい」と、着実な歩みを望んでいる。 「北の怪物」の異名を持つ、北海道・駒大苫小牧高の田中将大投手(18)の東北楽天への入団が、2日決まった。昨夏は全国制覇、今夏は決勝再試合と甲子園を沸かせ、高校生ドラフト1巡目では4球団が獲得を争った右腕。東北楽天も契約条件や背番号など、最大限の誠意で迎え、「将来の大黒柱」を育てていく方針だ。田中の意気込みやこれまでの歩み、関係者や選手の期待などをまとめた。 田中の次の舞台が、東北楽天に決まった。「(東北楽天に入れば)本当の意味で、挑戦者になれる」。高校生ドラフトでの言葉だ。新規参入2季目で、まだ戦力的に整わないチームへの入団にも、迷いを全く見せない。白球を追い続けてきたチャレンジャーの素顔を、チームメートや恩師の言葉から探した。 □ ■ ■ この夏の甲子園大会、田中はフォームを崩し、本調子ではなかった。大会直前には40度近い熱も出した。それでも決勝に進み、早実との決勝は延長15回の末に引き分け。そして、再試合が行われた。この2試合の、ふとした瞬間、チームメートは田中の強さを感じたという。 1試合目の延長13回裏、1打サヨナラ負けのピンチ。駒大苫小牧高の小林秀(すぐる)捕手(18)は、このときの田中の落ち着いた表情が忘れられない。 2死二塁で暴投し、3進を許した。「僕に『大丈夫、大丈夫』と2回言った。この3年間で初めて。それまでは『とにかく1つずついこう』とかだった。本当に安心できた」と振り返る。 2つの敬遠で2死満塁。田中はおくすることなく腕を思いっきり振った。得意のスライダーで、2ゴロに仕留めた。 当時主将の本間篤史外野手(18)が今でも覚えているのは、田中の大きな手のぬくもりだ。決勝再試合で負け、泣き崩れていた本間の背中を、さすってくれたという。「『よくやった』って言ってくれた。本当にうれしかった」 そのとき、田中には涙はなかった。「野球をやっていて泣いたことがない」と言う。ただ、他人の涙には人一倍敏感なのかもしれない。 ■ □ ■ 野球人生を導いてきたのも、周囲の涙だった。中学まで兵庫県伊丹市で過ごした田中は、硬式の宝塚ボーイズに所属していた中学2年の夏、全国大会を懸けた県大会決勝に5番捕手で出場。最終回、1点を追う場面で、4番の先輩が敬遠されて、2死満塁で打順が回った。右邪飛に倒れ、試合は終わった。 「先輩たちが泣いていた。本当に悔しかった。もう絶対に負けたくない」。13歳の田中はそう思った。宝塚ボーイズの奥村幸治監督(34)が振り返る。「あの後、彼は変わった。負けている試合でも、決してあきらめないようになった」 そんな少年が進路に選んだのは、駒大苫小牧高。決して、道外から積極的に選手を受け入れているわけではなく、これまで道外から野球部に入ったのは、田中と宝塚ボーイズから同時にやって来た山口就継(よしつぐ)外野手(18)だけだ。 きっかけは中学3年を迎える春休みの選抜大会だった。宝塚ボーイズの奥村監督にチームメートとともに連れられ、駒大苫小牧高の試合を観戦。「北海道は雪が積もって、満足に練習できないと思っていた。それなのにチームがまとまって、細かい(ち密な)野球をしていた」と振り返る。 その年の夏、苫小牧まで出掛けた。練習見学で、先の塁を狙う姿勢や連係プレーの細かさを感じ、進学を決意した。 ■ ■ □ 田中が2004年春に進学した当時、駒大苫小牧高は、全国的には全く知られていない存在だった。04年に夏の甲子園で初優勝するまで、1回戦すら突破したことがなかった。 「怪物なんて言われているけど、本当は普通の高校生。それでも、いちずに思えば夢に到達できると、あらためて教えてくれた」。香田誉士史(よしふみ)監督(35)は、田中と過ごした3年間をそう振り返る。 無名だった駒大苫小牧高から、2季連続最下位の東北楽天へ。18歳の誕生日を迎えた翌日に、新たな進路を定めた田中はこう言う。「下から、下から行くものの方が逆に強い。そういった意味では、(東北楽天でのプレーは)楽しめると思う」(安達孝太郎) [田中 将大(たなか・まさひろ)] 88年11月1日、兵庫県伊丹市生まれ。昆陽里(こやのさと)小1年の時に野球を始める。松崎中入学後は硬式の宝塚ボーイズで投手と捕手を務めた。 北海道・駒大苫小牧高では1年秋からベンチ入りし、2年時に春夏連続で甲子園に出場。夏の大会では優勝投手として2連覇に貢献。3年夏には早実との決勝で歴史的な再試合を繰り広げた。今秋の国体で、高校通算奪三振を458とし、西武・松坂大輔投手(横浜高)の持つ高校記録を塗り替えた。 最速150キロの直球、140キロ近い高速スライダーが武器。186センチ、83キロ。右投げ右打ち。家族は会社員の父、母と弟。 ◎プロとして早く投げたい 一問一答 東北楽天と仮契約を交わし、プロのスタートラインに立った田中。新たな進路に挑む意気込みを語った。 ◇ ―仮契約を済ませた率直な気持ちは。 「一段落がついてほっとした。プロとして早く投げてみたい。万全の体調でチームに合流できるように、しっかり基礎体力をつけたい」 ―どんな選手になりたいか。不安はないか。 「プロのトップレベルの投手になりたい。目標を高く持ったほうがいい。高校時代も数々の苦しみを乗り越えてきた自信があるし、不安はない」 ―エースナンバーとされる背番号18など、好条件での入団だが。 「高い評価は光栄だが、まだそれに見合う投手になっていないと思う。試合ではあまり(18番の)プレッシャーを気にせず、自分の投球をしたい」 ―野村監督の印象は? 「選手生活、監督生活とも長く、経験と知識がある方。自分は細かい野球をやるのが好きなのでいろいろ聞きたい。(身だしなみに厳しいと聞くが)長髪、長いひげ、ピアスをしたいとは思わない」 ―あらためて仙台をどう思うか。 「非常に注目していただいている。行ってみて『なんだ、こんなやつか』と思われないよう頑張る」 ―将来、メジャーに挑戦したいか。 「先のことは考えていない。まず日本で全力を出し結果を残したい。そこで考え方が変わってくるかもしれない。いつかは(WBCなどの国際大会で)日の丸を背負って投げたい」 ―ライバルの斎藤佑樹投手(東京・早実)は大学へ進み、進路が分かれる。
「夏の甲子園の決勝、国体と続けて負けたので勝負したい気持ちもある。またどこかで対戦できればいい」 |
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久しぶりです。昨日、今日と田中投手の話題でもちきりですね。来年以降の活躍が本当に楽しみです。
2006/11/3(金) 午後 3:13