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”最近、武術の記事は書かないんですね”と云われますが、確かに前に記事を書いてから1年経っています。
でもちゃんとまだ続けていますよ、なんと12年、これは自分的には凄いことです(笑)
7月は色々と込み入った仕事で行けず、昨夜、久しぶりに練習に行きました。
いつものように準備運動にたっぷり時間を掛け、歩法や蹴りや打撃の基礎練習をみっちりやり、最後はそれぞれ自分の武術をやります。 昨年はグローブを付けて相手のミットにパンパンやってましたが、仕事の負担からか左肩に支障がでて出来なくなり、最近はまた陳式の套路を地道にやっています。
僕の相手をしてくれていたMさんには申し訳ないことをしました、彼もまた練習相手がいなくなってしまいました。
中国武術は武道ではありません、これは技術です。
その技術は普段の生活ではやらない動きを求められます。
だから繰り返し繰り返し練習して少しずつ身に着けてゆきます。
考えないとダメです。
よく”套路が覚えられない”と悩むいう方がいますが、そもそも覚えるものではありませんし、套路の順番を覚えることばかり要求されるような教室はどうかと思います。
その動きを身に着ける為にはアタマとカラダの一致が必要です。
この12年間、ここへ通っているお蔭か、年齢的な体力の落ち込みを感じたことがありません、これはありがたいことです。
また、老師を含め、こういうチャネルの仲間と楽しく過ごす時間があることがどんなに貴重な経験であるかを感じます。
そんな人とのつながりが自分の人生を支えている、そんなふうに思える、ありがたいことです。
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太極拳と中国武術
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久しぶりにこちらの記事を、、、。
今期の課題の七星拳、相変わらずボロボロで、陳式太極拳の時間はほっとしている状態(笑)
陳式についてはこれまで何度も取り上げられてきた武術なのですが、老師が少しずつアプローチを変えていることで毎回、まったく違う武術のようにすら感じます。
今回も陳式のフォームそのものよりも体重移動と”股関節を入れる”ことに重点を置かれています。
実のところ陳式は面白いのですが、反面、やはり慣れ親しんだ楊式の影響から抜け出せず、陳式の単鞭なども、”ええい、メンドクサイことを、楊式みたいにスッとやろうよ、スッと!”という苛立ちを感じているのも事実です。
陳式に限らず太極拳の動きというのは無段階の変速機のようなもので、練習時はいくつかの動きに分解して学んでゆきますが、それはあくまでも便宜的にやっていることであり、本当は切れ目のない一つの動きです。
陳式は楊式に比べて体の各部分が同時にしかも微妙なタイムラグをもって動いているので先のように分解して説明しようとすると大変。
楊式が20枚ぐらいのパラパラマンガで作れるとすると、陳式は100枚ぐらい書かないとできないわけです。
でも、避けては通れない、自分の出来ないことを避けて、自分の出来ることだけやっていては練習になりませんよね(笑)
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仕事が忙しくて2ヵ月近く練習に久しぶりに行ってきました。
蹴りの練習などやると関節がピキッといいそうなほど体が鈍っていて、まるで他人の体のような感じってわかります?(笑) 今週から共通課題は少林七星拳。
少林拳の中のひとつの武術だそうです。 少林拳というのはひとつの門派であり、その中には沢山の流派の武術が存在します。 なかなか面白い、僕が面白いと思うのは今までやってことのないスタイルの武術をやる時です。 10年以上、こうして武術を続けていられるのは、老師が次々と新しいプログラムを出してくれるからです。 そしてそれらがバラバラな知識や経験としてあるのではなく、習っている武術全体の共通の経験値として生きてくるところが老師のコーチングの素晴らしいところなのです。 さて、カッコいい名前の七星拳がどんな武術なのかを説明するのは難しいのですが、基本的にはスピードのある効率的な動きで構成される少林拳なのですが、大きく移動することなく、その場で周囲360度の攻防をカバーするように考えてあるのではないかと思われます。
特徴的なのは手の形、手を開いた状態で親指と小指を曲げて掴むような形にします。 相手の腕を素早く掴む為だそうです。 それよりも僕にとって難しかったのが立ち方、内股で少し前屈みになって立つのですが右膝が痛くなる。
でも痛くなるのは何かが間違っている、老師に言うと体重の乗せ方が間違っていると教えられ、それを直すと痛みはなくなりました。 本来、無理のあるスタンスでは戦えない、だからそんな体に無理な負担の掛かる武術はおかしいのです。 しばらく練習に来ないと肉体的もそして精神的にも何か良くないものが溜まってくるような気がします。
2時間足らずの練習ですが最後の体操をやる時には心地良い疲れとスッキリした気分で帰宅しました。 |
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そもそも、”中国4000年の歴史”という言葉がどこからきたのかということが気になります。
まず中国の方にこれを言うと「中国4000年?」という反応が返ってくるところからすると、これは中国で生まれた概念ではなさそうです。
世界史の授業は居眠りしていたので詳しくありませんが、紀元前の黄河文明まで遡ると中国7000年までいってしまいます。
その後、民族入り混じった難しい漢字の国名が続くので事細かに解説はしませんが、どこかに”ここから数えて4000年”という理由があるのでしょう、、、。
この問題には諸説あることはお断りして書きますが、この”中国4000年の〜”というフレーズはどうやら日本発の概念のようです。
80年代に発売された明星食品の「中華三昧」というインスタントラーメンのCMで「中国4000年の味」というキャッチコピーが定着してしまったという説があります。
この「中国4000年の〜」というフレーズが日本人の、それも一般の日本人にかなり浸透していることを考えるとこの説は信憑性があります。 これを作った明星食品のコピーライターは天才ですが、インスタントラーメンのコピーで太極拳の歴史を語るのはやはり、、、、ですね(笑)
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ネットで”太極拳”と”中国4000年”というキーワードを入れて検索すると、出てくるわ、出てくるわ、思い込みの連鎖(笑)
確かに中国には巨大で長大な歴史と文化があり、それはヨーロッパなどとは比べものにならない遺産です。
そういう文化はときに神秘的な、神仙の世界の産物のように思えます。 でも、こういう中国思想から太極拳を作ったわけではない。
太極拳が少林拳のような武術の延長線上にあることは明白なのですが、直線的な運動を円運動に変え、体重移動を徹底的に分析して人間が持つポテンシャルを最大限に引き出そうとする究極の武術だと僕は思っています。 太極拳が生まれたのが19世紀(太極拳の新しい武術なのです)であったにも関わらず、それを説明するのに力学と生理学ではなく、なぜか伝統的な陰陽思想で説明してしまったのはなぜだろう?、19世紀ですよ!
たぶん、そこには太極拳を気功のような健康法に転化し、新しい健康法として上流階級に広めるという意図があったのだと思います。
また、太極拳がとても斬新で、かつ難解であったからこそ、あえて歴史をもつ武術であるかのような印象を植え付ける必要もあったのだと思います。 ではそれをやったのは誰か?、たぶん太極拳の創始者である楊露禅(よう・ろぜん)自身ではないでしょうか。
時代は人と人が白兵戦で戦う時代でなくなり、そういう時代にあって太極拳を残す方法として、露禅はこういうやり方を選んだのだと思います。 でも、露禅はひとつ大きな誤算をした。
それは現代において太極拳の武術としての技術よりも、太極拳のイメージが先行してしてしまい、彼が残したかった太極拳の本質が失われてしまったこと、、、。
”太極拳は中国4000年の歴史”、こういうことをまことしやかに解説するサイトは信頼に値しないと断言します(笑)
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