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こんにちは。
今日は、とっても寒いですね。おまけに雨が降っているし。
花冷えでしょうか? といっても、桜はほとんど散り際のよう。
残念ながら、今年は私メ、桜を堪能する機会をのがしてしまいました><
また、来年。来年があるからこそ、これも楽し^^
前向きに考えることにいたします。
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ところで、先日観た「戯伝 写楽」の場面が、フラッシュバックのように離れないのです。
不思議な怖さを秘めた舞台で、非常に奥が深い。
脚本の中島かずきさんのプロットのうまさにもうなりますし、演出の荻田浩一さんの目線も見事。
そして、写楽役の大和悠河さんの女写楽の造詣も素晴らしい。その写楽を愛?信頼で守る十郎兵衛役の橋本さとしさんの懐の深さもいい^^
ただ、タイトロールの写楽なくしては、この作品は語れません。
で、私メ、天才と狂気 についていろいろと考えてみました。
作品では、写楽は「人間の本当の顔が見える絵師」 という言い回しが使われます。
外側からは見えない、その人の本質(今、思っていること。その人の持つ心)を読み取ることができるというわけです。
★★写楽の作品は、ほかの浮世絵師と違い、かなりデフォルメした表情が身上。
そのため、歴史の事実としては、浮世絵が歌舞伎役者のブロマイドだった役目上、美しくない浮世絵でもあったわけで、相当な点数が出ているわりに、当時はあまり売れなかったそうです。
その後、浮世絵は多くが海外へ流出します。
その写楽の天衣無縫の筆致に驚いたヨーロッパの人々からたくさんの賞賛を得、いわば逆輸入というカタチで、日本にも写楽ブームを巻き起こすのです。これは、ずっと後のことですけれども。
今なら、ポップアートとして、当然、日本でも大ブレイクしたであろう写楽でありましょう。
江戸時代にしては、早過ぎた画風だったに違いありません。
ほかの誰の作風とも違うその印象に、大衆は驚いたが、ブロマイドとしては成功しなかった。★★
そんな背景をかんがみながら、作者の中島さんは、女写楽=おせい の人物像をぐいぐい〜っと描ききっています。
この脚本を書き始めたときから、おせいの筋書きはすぐにできた・・・とのこと。
なるほど。おせいを中心にうごめき、翻弄される男たちを描いたのであろうと。
ちなみに出てくる男性陣は、すべて実在の人物であります。
人間の本当の顔が見えてしまう絵師
まさしく、人とは異なる視線があるということで、これが天才の定義のひとつとなります。
天才は・・・・普通の人が見えないものが見えるらしいのですが、
当然ですが、何も霊感があるとかそういうことではありません(笑)。
これは、ものの見方が違うということを指しています。
ですから、生活上では、困ったさんにもなるわけです。
常軌を逸した行動に出たり、極度に感じやすい神経と周囲に適応しにくい気分を持ち、ある種の精神的病質なものを持つ(しかし、根本的にはそれとは違う性質のようなもの。ただし、中にはやがて逸脱していく人もいる)特殊な人です。
そのため・・・・アンバランスに偏った才能の持ち主であるため、芸術やスポーツ、学問のどの分野でも価値観が非常識なことが多くなるわけですね。
ゴッホの逸話に自画像を描くのに「自分の耳がじゃまだ」とし、みずから耳を切り落としたというものがありますし、ダリはある公演で、潜水ヘルメットで登場し、呼吸できずに卒倒したこともあるそうです。
これらの逸話などを聞くと、
「戯伝 写楽」のおせいにもその天才ぶりがあますことなく描かれています。
寝食忘れて絵に没頭。平気で男女のエロスを口にし、それをたいしたこととは思っていない。
さらに、人間関係やお金にも無頓着で、絵さえ描ければいいと固執します。
(大和さんの描くおせいには、一点を見つめているためなのかどこか信念のような凛とした姿があり、下品さがないため、それが逆に際立ち、透明感があり無垢で精錬さまでも感じさせるおせい像を構築しています)
そのため、普通の男たちが知らず知らずのうちにおせいに惹かれ翻弄されてしまうわけです。
とはいうものの、本当の人の顔がわかるため、相手の本質や心情がすべて読み取れてしまうシビアさを持っているのです。
物語上では、このおせいに最大の悲劇が訪れます。
それによって天才の狂気を逸脱し、本当の狂気(精神疾患)の手前まで至ろうとしてしまうわけです。
そして・・・・・(ネタばれになるので、ここまで^^;)
先日、私メが書いた事柄に、おせいの狂気は、大竹しのぶさんや毬谷友子さんがときどき演じる狂気とは違うというのがありましたが。。。。。天才の狂気と病理の狂気は異なるわけです。(※そうそう、年嵩ではありますが、白石加代子さんも狂気を演じると絶品ですね)
しかし、あることをきっかけにそちらへ(病理の狂気世界)行きそうになるおせい。
つまり、大和さんが演じるおせいは、
天才の狂気と、病理の狂気近辺の両方を演じる必要があるわけですね。
この狂気は常人から一線を越えそうになる直前まで描かれ、大和さんはこれを細部にわたって心理を再現していきます。お化けや危険が恐ろしいというのとは異なる、人間に潜む心理の怖さをリアルに魅せていきます。
ここが、本当に凄い。身震いします。
微笑みながら泣く 錯乱して叫ぶ(この叫びは絶叫ではなく、ほんとにリアルな錯乱です)・・・・・
これまで観たどの狂気とも違う、心をえぐる様な怖さと悲しさ、せつなさ。
この作品に描かれた天才の悲劇は、周囲の男性陣の懐の深さとあいまって上質の人間群像劇になっています。
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【ネタばれ 注意】
最後に、おせいが十郎兵衛に彼のために描いた似顔絵を渡します。
おせいが去った後、
しかし、「あいつの目も曇ったものだ」と言って絵を破り捨てる十郎兵衛。
この一連の場面は、おせいが完全に写楽ではなくなった(天才 写楽は消えうせた)ことを暗示しています。
もう二度と写楽は現れない。
歴史上、写楽がわずか8ヶ月しか活動せず、忽然と姿を消す その理由が暗黙のうちに語られるわけです。
非常に凄い脚本といえるでしょう。
そして、演出(元宝塚の演出家さんですね。私メは初めて観ますが、わかりやすくて秀逸でした^^)、写楽=おせいとそれを取り巻く出演陣が一丸となって醸し出すその雰囲気。
とても魅力的な作品です。
そして、何より、写楽であるおせいを見る価値は十二分にありますよ^^
今は桜の季節。
まるであっという間に散っていく桜のように疾走し消えていった写楽であります。
ぱっとほころび、その生命力であでやかに咲き誇り、潔く散る・・・
私メ、先日観て、当日、チケットを買い足しました。今度は16日の夜に^^;
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私は今回大和さんについて何ひとつ感想を書いておりません。
もしかしたら書けないのかもしれません。
自分で理解できていそうでその実は理解できていないのかもしれない・・と感じたりします。
昨日のお茶会で大和さんはおせいの最後のあたりについて話が出たようですがおせいは狂ってはいないまったくの正気だそうです。
きっとその『正気』を見てるこちら側が狂気と勝手に見えてるんだと思うんですけどね。荻田先生は『おせいちゃんは宇宙人だから・・』
と言っているそうです。
2010/4/12(月) 午後 10:37 [ 優雅に宝塚 ]
十さんに目を切られますが、あそこはおせいは本当に
目を切られたんだと思ったようです。
>「あいつの目も曇ったものだ」と言って絵を破り捨てる十郎兵衛。
なるほどそうですか・・・・その後の絵を切り刻む行為に納得しました。
2010/4/12(月) 午後 10:42 [ 優雅に宝塚 ]
優雅に宝塚さん、こんばんは〜^^
そうなんですか。狂っていない。私メが拝見しているところでは、狂いかけているように(まだ狂ってはいない。だから正気に戻って来ることができると解釈しました)思えるのですが^^;
確かにおせいからみるとなんら、自分自身に変化はないのかもしれません。われわれごく普通の人間は、それが狂気に見える。それこそが天才であるゆえんかもしれない(と個人的には感じます)
おせい自身は、状況に応じて目が(心が)ただ反応しているだけなのかもしれません。
よくわかりませんが・・・
でも、おせいを演じている大和さんがそういうのであれば、大和さんにおせいが憑依しているのかもしれません。
2010/4/12(月) 午後 10:44
>十さんに目を切られますが、あそこはおせいは本当に
目を切られたんだと思ったようです。
その通りだと思います。
だから、写楽の心を見る目に変化が訪れた・・・と解釈しました。
そして、そのあとの、十郎兵衛のセリフにつながると・・・
間違っているかもしれません(だったらごめんなさい^^;)。
いろんな含みを持っている作品なので、見る側の解釈次第かもしれませんね・・・。
でも、とてもいい作品ですよね。
2010/4/12(月) 午後 10:50
少し飛躍して考えると・・・十郎兵衛の気持ちを読み取れなかった(おせいに対する愛情?)ことへのひとことという解釈もできます。
どうなんでしょうか??
それは、観るものにまかされているようにも思います。
2010/4/12(月) 午後 11:26
ついでに・・・
天才は自分がある種の狂気を携えているだなどとこれっぽっちも思っていない。だから、本人からすると正気には違いないといえます。
とはいえ、私たち普通の人間から見るとやはり変人というか、どこか違って見えるのではないかと思うのです。それが不思議ちゃんということだろうか・・・と^^;
2010/4/12(月) 午後 11:42
う、うちゅうじんなんだ…(動揺)それはともかく、最後のシーンの解釈、鳥肌立ってしまいました。丁度今晩観劇したところで、なるほど〜!と。
私が思うのは、おせいには十郎兵衛がそう見えたんだと。何かちゃらんぽらんな、欝屈してるような面白い顔の男は、おせいを地上につなぎ止めたことでいい顔になったんだと。十郎兵衛も絵からそれを感じたからこその「とりつかれるなよ」だと。
でも十さん馬鹿だからわかってないかもしれないな…
2010/4/13(火) 午前 0:07 [ gar**630 ]
十さんが絵を破るのは、もう自分のほんとうの顔を忘れることはないだろうから。と勝手に思っていつもここで号泣してました。
面白いですね戯伝写楽。
2010/4/13(火) 午前 0:15 [ gar**630 ]
gar**さん、こんばんは〜^^
コメントをありがとうございます。
にゃは・・・宇宙人だそうです^^; ということは、つまり私たちの世界に住んでいない。別世界の人ということになります。その人の正気は、私たちの世界の正気とは違うかもしれません^^;
gar**さんの解釈。なるほどぉ。
それもありかもしれませんね。でも、十さん・・・^^;
2010/4/13(火) 午前 0:19
本当に面白いです。
エピソードのひとつひとつがパズルのようでもありますし、その解釈もいく様にもできますよね^^
私メは、最後の場面で、もう写楽はこの世からいなくなった・・・と思い込み、泣いておりました^^;
何だか、それぞれの見方で本当に面白い。
私メは、まだ1回しか見ていないので、次に観た時にはまた違った感覚を得るかも・・・と思ってます^^楽しみっですっ^^
出演者の方もアフタートークで再演したいと話していたようですので(この時期にこの発言、貴重ですよね)、再演、ありそうですね〜^−^
何だか、嬉しいです。
2010/4/13(火) 午前 0:24
いよいよ明日観に行きます!
こちらで予習させて頂きましたが・・私に理解できるでしょうかと心配しています(^^?
「これまで観たどの狂気とも違う、心をえぐる様な怖さと悲しさ、せつなさ」なのですね
keijyuさまが魅了された「上質の人間群像劇」を味わってきます(*^^)v
ありがとうのポチ
2010/4/13(火) 午前 11:10
メープルさん、おおっ、今日ですね。もしかすると、もう出発されているかもしれませんね^^
いえ、お話はとってもわかりやすいです。私メにもわかるくらいですから^^ でも、奥が深い・・というべきなのか、解釈次第でさまざまに受け取れるものを持っているようです。
はい。大和さんの透明感のある演技。ご堪能いただけますように。
時代を駆け抜けた若者たち(写楽をはじめとする絵師たちとそれを取り巻く人々)の群像劇は、とても秀逸です。
何よりも、おせい(大和さん)の静かなたたずまいや相反する強い熱情・・味わっていただきたいと思います。
この作品で、大和さん、私メが思いますに、ひとつ何かを超えたように思うのですが・・・一皮剥けた?^^
ぽち、ありがとうございますm(_)m
2010/4/14(水) 午前 8:55