もうほぼ1週間が経ちますが、先週日曜早朝にペンステート大の
ジョー・パターノ元監督が亡くなりました。12月に85歳になったばかりでした。
引退するはずだったのが、レギュラーシーズン最終戦を待たずに解任。
その直後に治療可能なレベルの肺がんが見つかり、治療を受けていました。
1月14日(土)には解任後、初めてワシントン・ポスト紙のサリー・ジェンキンス記者との
インタビューに応じ一見元気そうな姿を見せていました。自宅で行われたインタビュー記事、
動画は
こちらで。私、まだこの記事読めていません。明日には是非とも。
1月20日(金)に肺がんの合併症で入院。以降の出来事を時系列に記します。
写真は全てペイトリオット・ニュース紙の
オンライン版から転載しています。
1月21日(土)
- 地元ペイトリオット・ニュース紙が「パターノ監督余命僅か、最期のお別れの為、
スー夫人が親族や友人を病院に呼び寄せた」、とTweet。
- 学生運営のペンステート・コミュニティサイト、オンワード・ステートが「ペンステートの
アメフトチームの選手達にEメールがあり、パターノ監督死去が伝えられた」とTweet。
- CBS Sportsもパターノ監督死去をTweet。メディア大手もこぞって報道した。
- 息子でQBコーチだったジェイ・パターノと弁護士のスコット・パターノが「ジョーはまだ
闘病中だ」、と死亡否定のTweet。情報が混乱した。
1月22日(日)
- パターノ監督死去のニュース。やはり時間の問題だった。
- 同日夜ペンステート構内のオールドメインという建物前で学生達が祈祷集会を行った。
- 去年ドラフト2巡でレイダース入りしたステフェン・ウィズニュースキがスピーチ。
出身はピッツバーグで高校はダン・マリーノやマーク・バルジャーと同じセントラル・
カソリック高校。オフなので既に地元に帰省していたものと思われる。
1月24日(火)
- 午後1時から11時まで、大学構内のパスカリア・スピリチュアル・センターにて、
パターノ監督の遺体を入れた棺が弔問客に一般公開された。
- 教え子の多くもキャンパスに戻り、恩師に最期の別れを告げた。
- 1994年に無敗シーズンを達成したものの、当時のAPポールとコーチズポールで同じく無敗の
ネブラスカ大に次ぐ全米2位となったチームを牽引したQBケリー・コリンズ。
- 元スティーラーズでNFL殿堂入りRBのフランコ・ハリス。
- ESPNやNFLネットワークで活躍中のマット・ミレン(左端)
- シーホークスWRディオン・バトラー(右)とジェシー・ニューマイヤー(左)。
- サンダスキー事件の最重要証人となったWRコーチ、マイク・マクエリーの姿も。
不謹慎ながら奥様の足がとても綺麗。
- ビル・オブライエン新監督。来週スーパーボウルに出場するペイトリオッツの練習を
抜け出してステートカレッジまで駆けつけた。スーパーボウル終了まではペイトリオッツOC兼任。
1月25日(水)
- 午前8時から正午まで、パスカリア・スピリチュアル・センターで棺の一般公開。
- 午後2時から親族と招待者のみによる葬儀、埋葬。
- ビーバー・スタジアム前を通過する霊柩車。背後のチームバスには家族。
この日パターノ監督の指定席にはスー夫人が座った。
- フェースブックでの呼びかけで大勢のファンが霊柩車の走行ルート沿いに立ち並び
パターノ監督を見送った。
1月26日(木)
- 大学構内のブライス・ジョーダン・センターにて追悼イベント実施。同センターは
ペンステートのバスケチームのホームコートで、アメフトのビーバースタジアムの正面。
- センターは収容16,000人。無料配布の整理券はあっという間になくなり、eBayなどで転売された。
- 1960年から10年ごとに区切り、それぞれ10年間を代表する選手を遺族が選び、
追悼の辞を述べてもらった。大学側からは人文学部の学長にだけスピーチを依頼した。
- スー夫人が入場するなり会場から大きな拍手が湧き上がった。
- 1983年ドラフト1巡でチーフス入りし、1988年から89年まではスティーラーズで
プレーしたQBトッド・ブラックレッジ。ペンステートが2回果たした全米優勝のうち、
1982年のチームでQBだった。
- シーホークスFBのマイケル・ロビンソン。今年は初のプロボウル出場で既にハワイ入りしていたが、
このイベントのためにステートカレッジに戻り、終了後またハワイへとんぼ返りした。大学時代は
QBだった。パターノ監督には「将来RBとしてプロボウルに招待されるぞ」、と言われたらしいが
今年本当に実現した。
- 友人代表でスピーチを行ったナイキCEOのフィル・ナイト。故人を偲ぶ心温まるスピーチが続く中、
過去のサンダスキーの不祥事で片手落ちの調査しか行わなかった大学幹部を辛らつに批判し、
大喝采を受けた。
肺がんが見つかった時点では治療可能なレベルと言われていたのに、急に悪い方向へ
転換してしまったようです。マット・ミレンが言っていましたが、パターノ監督はがんではなく、
傷心の為死んでしまったのだろう (He died of a broken heart)、と。
サイドラインで選手にぶつかられて怪我などはしましたが、それでも84歳ながら元気に
していたのはペンステートのフットボールという生き甲斐があったからでしょう。
去年11月にそれをもぎ取られてしまってからは、生きる楽しみがなくなったのかもしれません。
いつか、もしかしたらサイドラインで試合中に倒れて亡くなってしまうのではないか?と
心配していました。試合中にそんなことになれば関係者はそれは大変でしょうが、
好きなことをやりながら死ねるのは、とても幸せなことにも思えました。
その好きなことを奪われた途端にお別れすることになったのは残念です。しかし、前人未到の記録を
達成し、何千人もいる教え子達が監督の教えを次世代に伝えていくことを、天国から楽しみに
してくれていることでしょう。
JoePa, YOU ARE PENN STATE!
知らなかったです・・・
心からご冥福をお祈りいたします。
2012/1/28(土) 午後 9:39
選手、スタッフ、ファンにここまで愛された監督もそうはいないでしょうね。ただ不祥事発覚から人生の幕引きまでの過程があまりにも残念だった。
パターノを見ていると元明治大学ラグビー部監督の故・北島忠治氏を思い出しました。
惜しい人物を無くしましたね。
2012/1/28(土) 午後 10:56 [ - ]
ぐっぴーさん
日本ではあまりニュースにならなかったのですね。
土曜日にデマが流れてからは覚悟していました。
残念な終わり方になりました。
2012/1/29(日) 午前 7:40
HITMANさん
本当にそうですね。半世紀以上も現役のトップクラスで仕事して
いる人っていうのはどの業界にもそうそういないと思います。
でもあの年で裁判に引っ張りまわされたりせずに済んだのは
唯一の救いだと思います。
2012/1/29(日) 午前 7:43
僕もPenn St.のファンだったので残念です。
パターノ氏の志を受け継ぎ、皆から愛されるチームであり続けて欲しいです。
2012/1/29(日) 午後 8:07 [ blitzburgh1994 ]
blitzburgh1994さん
コーチングスタッフもほぼ一新で、来季からはチーム再建に
向けてオブライエンに頑張ってもらいたいと思います。
また名門復活と呼ばれる日を楽しみにしています。
2012/1/30(月) 午前 2:58