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大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづる kemukemu
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故・臨床心理療法家・霜山徳爾の言葉から



●「そもそも人間のいとなむ社会では、「縁」ということばの意味深さを、つくづくと感じさせ、数奇な体験を味わわせるさまざまな出会いに満ちている。それらを直截に把握するためには、これらの多様な事象の意味する一般的、基本的な真実を知らねばならない。しかし、知るといっても、それはいわゆる分別知、すなわち、見る自分をこちらにすえ、見られるものをあちらに置いてながめるような「冷静な」客観的観察によって知ることではない。・・・・大切なのはそのような分別知の立場をすてて、一つの宿縁によって邂逅した人間に、私の存在を結びつける直截的な人間的なかかわりの中に、いわば一隻(いっせき)の瞳をこらして、交感的にその意味を見出そうとすることではないだろうか。」

●「出会いということの本質は、私と一致しようとする「汝」、すなわち、いわば限界を知りながらもあたたかく、私の内面性の閾をこえ、自らの内面性をいかに貧しく、あるいは無惨でも、私に開き示そうとする「汝」を発見することの内に存する。」

●「神経症者や精神病者に対して、彼等を理解しようとするならば、われわれが彼等に対して無関係な主体としての態度をとる限り、あるいは彼等を単なる客体ないし対象として考える限り、われわれは彼等について何ものも了解することができないということである。・・・・人間がもし単に並存的にのみ在るものならば、ひとりの人間が他の人間を真に揺り動かし、他によって理解され、認識されるという意味で互いに感動し触れ合うことはできないであろう。・・・・・むしろ、人間がかたみに真実のふれ合いをし得る事は、人間の根源的な、「他に向かってひらかれている」という性質を、人間の「汝」性を、前提としているのである。」

●「人間を理解しようとするには、・・・・・相手を客観化し、対象化することによっては可能ではなく、いわば存在の伴侶性、共人間性とでもいうべきものを通しての直截の接近が求められるのである。われわれにとって、人間として生きる哀しみの照翳、ひそやかな落下、そのみじめな栄光、をひとと共にしないでは、いかなる 他者の理解もあり得ないであろう。 ・・・・・一基の墓の下に、どのような辛酸があったかをはかるようなものである。それは目に見えず耳にきかれないものを、やさしいみとりをするようにそっと握えるという意味で、ほとんど芸術的な直観に似ている。」

●「最初は、なにか寄りつきがたい冷たさ、距離を感じさせていた、疎通性のない「他人」が、次第にこちらに心を開いて、自己の生活の哀歓を語り、よごれた巷で日毎ひろい上げる苦悩を打ちあける時、われわれは「告げられた苦しみは分けられた苦しみ」であることを痛感する。」

●「不安には、この狭窄、圧迫、重圧に対して、これに拮抗し、あるいはこれに促進される「心拍性」、つまり内からこみあげてくるあらがい難いうながし、という現象性がある・・・精神病理学においても、不安症状を有する患者が怒りやすくなり得ることはよく知られており、また不安の圧迫から脱れるためのいわば衝動的な自殺や、内心の不安を防衛するための衝動的な攻撃行動が指摘されている。体感としての不安の次の特性は、よりどころのない「浮動性」ということである。不安には何か「碇泊点がないこと」「基盤のないこと」、立場の喪失の感じが伴っているものである。・・・・・しかし、浮動性それ自身が恐るべきではなく、それは落下や転落への不安なのである。・・・・・ところがそれ(庇護と安定)が失われると、生活空間はあるおびやかすものを持ち、狭小化され、人間は生活空間への定位を失い、汝の世界との関係を定めることができずに動揺して、立つ瀬がなくなり、立場を失うことになる。・・・・めまいの語源になる言葉は、いずれも、「存在しているものが消失すること」を意味している。またいずれも、不安の場合の「眼の前が暗くなる」、存在的定位の消失、浮動感、脱力感、世界の相貌化の変化の気分及びこれに伴う身体症状を表現している。・・・・この不安の持つ浮動感は正に人間の未来が不明であり、「かくされている」ことから一般に生じる。すなわち、未来は影にかくれて不明なのである。そしてかくれているものは不気味であり、文字どおり我が家にいないことであり、故郷感を持つことができない。・・・・・・不安神経症や強迫神経症の場合に、不安に対する不安、つまりある症状が起こりはしないかという、いわゆる期待不安が悪循環的に症状を悪化させるのも、未来の不確定性によるからであり、それを確定しようとする努力が裏返しにされたのが予期不安であるといえる。」

●「精神的な苦しみというものが、例えばどんなに甚だしいものであっても、その「心の痛み」を、痛覚という感覚的なものによって表現せざるを得ないということには重くて深い意味が潜んでいるように思われる。何故ならば、感覚としての痛みは、もろもろの精神的な苦悩の長い昏い原点、惨めな根源、だからである。・・・・痛みは、・・・われわれの身体にとって、それが大切な警告であり、防禦的なものであり得ることはよく知られている。それは単なる生理的現象でもなく、幅広く人間的な重い意味を荷っている。それは同時に「人間の痛み」であり、人間に対して問いかけてくるものであり、人間の精神的な応答を待つものである。」

●「われわれを脅かすものに対する防禦運動は自動的に行われるが、もしそれを反射的と呼ぶならば、それは神経系における生理学的な過程を意味しているのではなく、人間が以前の経験の意味に基づいてなす無意識的なはたらきをさすのである。そして、このことから判るように、人間は刺戟に反応するのではなく、刺戟を媒介として、その人間の内的生活史や現在の気分や、その時の状況すべてに依存するいろいろな意味に対して反応しているのである。・・・・身体が物理的なあるいは化学的な刺戟に反応するのではなくて、人間が身体的に刺戟の意味に反応するのである。・・・・視覚や聴覚の印象、また臭覚や味覚がその意味によって働くのみならず、また苦痛もある意味を持っている。すなわち、痛みによって人間は自己を理解しようとする場合もあり、痛みは彼の存在、彼の宿業の理解にも役立つのである。また痛みは障碍をおこした器官のために意味を持ち、自律神経系にとっても有意味であり、ある見方をすればひとつの不幸な適応であり、身体の応答、身体の言葉なのである。・・・・・人間は生きられた身体性であり、世界と共に生きる有機的なものであり、そこでは傷を負わせるような刺戟の「痛ましめるもの」が、「おびやかし」という意味を持ってくるのである。」

●「誰の一生にも、どれほどの不幸な人の一生にも、その人なりの美しい瞬間、いわゆる星の時間がきっと一度や二度はあったにちがいない。そして誰もが、この美しい瞬間によりすがって生き、かつ死んでいったのであろう。・・・・その患者の孤愁が性格的なひずみからこようが、精神病的、あるいは神経症的なものからこようと、そしてそれが他人に不快と禍いをまきちらしたとしても、もともと患者自身がそれに平気でいるわけではない。それどころか、むしろ誰よりも患者自身が悶え苦しんでいるのである。」

●「事象と意味とは基本的に二つのことではなく、事象自体が意味を持っているもので、意味それ自身が根本的な現実なのであり、いわば一つの「存在」といってもよい。・・・・・患者は、いや人間そのものは、そのような、言葉にならないものをカルマとして持っている。・・・・言葉と言葉との間のいわばすきまのようなところがあり、そこを通してしか、でてこないある根源的なものがあり、人間は、その根源的なもの、そして、その苦しみの内の静謐というものの内に、引きもどされて、意味の世界にふれるのではないだろうか。。・・・・彼ら(患者)の気持ちを汲むことは、「平安」を送りとどけることなのである。」

●「人間それぞれは、その歴史的、伝統的文化の背景を抜かしては考えられないのである。」

●「患者が独自の世界であり、山や海や風や星々、それに何よりも草木虫魚の「生きられた空間」のなかにある。何ものにも代えがたいものとして、それに根源的信頼をよせることである。そしてそれを前提として畏敬が生れる。」

●「患者に自由な、くつろいだ時間を贈り、かつ真剣な関心を持っていることを示すことが必要である。そしてただでさえ傷ついている患者の心をさらに傷つけることを決してしないように・・・・・」

●「注意を患者の一つ一つの個々の行動にとらわれず、普遍的にただよわすことによって、直観的にその背後の世界を見てとることである。ただだからといって、患者の内的生活史をないがしろにすることは、絶対あってはならないことである。詳細な生活史の情報を知っていればこそ、直観的な読みが深くなるのである。・・・・患者のありふれた言葉が、意外にも重い歴史から生れたものを持っていることが多い。ことに分裂病の患者がくりかえしつぶやく独語や、神経症の患者から告げられたイニシャル(*象徴的)な夢などは、とくに注目に価するものである。」

●「人間は「問う存在」であるから、患者の言葉には問いが必ず含まれている。それを患者の身になって考えなければならない。」

●「幻覚というものは、一見、知覚性を持っているように見えても、よく訊ねていくと知覚性は希薄になり、次第に病的想像、すなわち妄想と離れては考えられないものになってくる。」

●「患者は何も好きこのんで発症しているわけではない。家族関係、社会的対人関係、知能、遺伝負因、それに何よりもまだ未知の因子などが、たまたま「運悪く」相乗的に裏目に出て発症したのであって、われわれと異次元の病者ではなく、すぐ隣にいる人間である。われわれの方が「たまたま運がよく」わずかの僥倖で発症しなかっただけの話である。」

●「自由はたとえそれが一片の自由であっても、人間をして人間たらしめるものである。自由の重さは人間の重さである。・・・・自立・自律・自由こそ、いかに運命のくびきが重くても抵抗することに意味がある。」




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ここで、突然、番外編! 

<昔の精神科医の言葉から>


●「精神病理学的諸現象の現象学的考察に際して特に重要なことは、決してひとつの孤立した現象に眼を奪われないということです。現象というものはいつも自我とか背景の上に生じるものです。別の言い方をすれば、現象というものはいつも、かくかくしかじかの性質をもった人間の表現あるいは表示として見られるものです。個別的な現象の中で当の人間が自己を表示し、逆にわれわれはその現象を通じてその人間の中をのぞきこむのです。・・・・・・精神病理学的現象の現象学的考察というものはすべて、まずもって(これらの現象にみられる)病的な心的機能を分類し区分することをめざしているのではなくて、まず最初に病める人間の本質に眼を向け、この本質を直観にまでもたらすものなのだ、ということだけです。」(1922講演 ビンスワンガー)

●「・・・皆さんは、人間がからだを「所有」しているという事実および、このからだがどのような性質のものなのかということを知るだけでけなく、さらに人間自身はつねになんらかの仕方でからだである、ということを知らなければならない・・・しかもこのことはたんに、人間がつねになんらかの仕方でからだで生きている、というだけでなく、人間はいつもなんらかの仕方でからだで語り、あるいはからだで自分を表現する、ということ、したがって、・・・・からだの言語というものをも、ひとは所有している、ということを意味しています。そしてひとが一般に、交通をこばみ、固有の自我へとひきこもった結果、交通の本来の表現手段たる言語が問題にならなくなってくると、あるいはさらに心像空想さえも沈黙し、ひとがまさしく本来的に苦悩のうちに沈黙するとき、かえってひとは、からだの言語において、きわめてあざやかに語るのです。けだし人間は、ひじょうに広い意味で「語る存在」ですから、言語や心像が沈黙しているときでさえも、なおなにごとかを表現しようとします。」(1934講演 ビンスワンガー)*あげられている例→失声症、食欲不振、不眠症、吐き気、嘔吐、頭痛、胃痙攣・・・・

●「観念奔逸にせよ、造語症にせよ、常同症(*こだわり)にせよ、症状というものはすべて、ある包括的な心情的変化の表現、ひろく現存在形式全体もしくは生の様式全体の変化の、表現であることが確実なのです。」(1945講演 ビンスワンガー)

●「悲しみ、絶望は、病気とは関係なく、被(こうむ)った運命の打撃にもよる。この打撃によって絶望するのは「人情でわかる」ものであり、ひとりでに起こるのではない。ところで、何か大きな打撃のあとにすみやかに立ち直れるような人は健康と思われ、親しい人を失ったことを一生涯嘆く人は健康と思われないのは、おかしなことである。心情の深い人の方が病気のように見える。けれども精神医学は普通もっと表面的なものにしか見ない。個人・社会生活に困難をきたすような人間をすみやかに社会生活に適応させるのが目的なのであるから、言わば何の悩みもなくぼやぼやとその日その日を送っている、ジャックとジル、太郎と花子、張三と李四(*平凡でありふれた人たちのこと)を健康者とみなす。」(1975西丸四方)

●「われわれは、わけのわからないものに対したときに、わかったような気になったり、そのわかったのは誤りであるとわかったり、本当にわかったのがまた妙になったりということを反復しているので、精神分裂病などという奇異なものを見ると、わかってみたり、わからなくなったりすることを反復する。あらゆるものはよく見れば奇異である。・・・とにかく妙なものと見れば何でも妙なものなのであり、狂人(原文のママ)もじっと見ていると身近な親しいものとなる。妙なものと見るのはやめて、近づいてよく見てみようというのが、学問的理解の発端である。」(1975西丸四方)

●「よく考えてみると、誰が自分でも悩まず、誰をも悩ませない、すなわち変わり者でないことがありえようか。誰がまったく神経症でないであろうか。誰がいったい自分の過去の重荷を負わず、未来を気づかわず、現在のいかなる状況に対しても冷静に妥協し、自由な決断を行って後悔せず、うまく困難を切り抜けていって満足しえるであろうか。まったく苦悩のない人がありえるだろうか。」(1975西丸四方)

●「幻聴や被害妄想は本来人間の孤独、はかない存在、いつどこから破滅をこうむるかもわからない危ない存在ということから、脳が傷つき、心が傷ついたときに姿を現してくる人間存在の根本的不安なのであろう。そういう根本的な存在の深淵の無が姿を現すときに、幻覚や妄想でやっとそれから顔をそむけているのであろう。」(1975西丸四方)

●「・・・今の患者の病的な点だけを見るのでなく、全生涯の歴史を負った人間全体を見て、その人間の生活の中の弱い点はどこにあるのか、その人間の存在する空間的時間的な全体像をつかまえなければならない。これは広範囲な人間知を必要とし、一つの定まった観点があるわけではなく、また医学だけが取り扱うべき問題でもない。・・・・根本的には人間とは何か、人間の存在とは何か、不安苦悩とは何か、を問題とする。・・・・・これは神経症だけに妥当するとは限らず、病気一般に通ずることで、癌患者なら癌だけ見ていればよいのではなく、癌を病む人間全体を相手にしなければならないのであり、死の不安におののく、のっぴきならぬ状況に追いつめられた人間を相手にしなければならないのである。」(1975西丸四方)

●「病人とはまずつき合うことが大切である。よく世間では、狂人は危険で何をしでかすかわからないから監禁しておかなければならないと言い、この危険な行動は病気の直接の現れであると考えられがちであるけれども、実は周囲の人の無理解な言動に対するあたりまえの反応なのである。病人をいきなり捕まえて監禁すれば、出してくれと暴れるのを、それは病気の症状であると言うが、時として健康な人を病人とまちがえて―こういうことがないとは言えない。・・・・・・病人が体操をすると、また妙なことをしていると言われる。黙って座っていると無為無精だと言われる。結局何をしても病気の症状となってしまう。」(1975西丸四方) 
                             ●「(精神科)病院は、社会的座敷牢であるものが多い。・・・・・監房のような、保護室という、刑務所の独房のようなものもあって、暴れる病人はここに押しこまれていた。ていのよい座敷牢である。精神病院にはこのようなものが必要であるとされている。しかし本当に必要であるかどうかわからない。次第に必要でないことがわかってきている。あれは看護者には便利である。ちょっと面倒なときには、そこにたたきこんで知らぬ顔をしていればよいし、少し世話のやける病人は、そこへ入れるぞとおどかせば、たいていはおとなしくなる。けれども看護の手さえ充分にあれば、病人との話し合いだけで、格子も鍵もなしに充分うまくやっていける。・・・・・人間は反抗的なもので、監禁すると何とかして出ようと乱暴するが、自由にしておけばおとなしくしているものである。精神病の病人は脳の病気のため何の理由もなく乱暴すると言われるが、実は病人は気が利かないため、はたの者がやけを起こして乱暴な口をきいたり、ののしったり、ばかにしたり、いじめたりするので、そのはたの人の扱い方に腹を立てて病人が乱暴するのである。多くの病人の入っている病院でも、医者がいきなり病人になぐられるなどということはない。・・・病院生活で、自ら進んですることも考えることもなく、同じような日を過ごすと、保護にはなるが、軟弱にしてしまい、知情意を非常に鈍くするのであって、精神分裂病の症状と思われるものは、病院に長く閉じこめておくことによって生じた症状で、病気の症状でないものも多い。・・・・・・病人はかなりよくなっても監禁されたままになってしまう。病人は不平を言わないのか。言えば、それは病気の症状とされて、薬でぼかされてしまう。結局、以前は格子や鍵で病人を物理的に監禁し、今は薬で化学的に監禁することになっている。」(1975西丸四方)

●「(精神分裂病は)いわゆる神経症とはちがって、症状は奇妙で、正常人から懸け離れていて、「狂って」見え、ひとりでに起こってくるようで、心理的なきっかけはないように見える。しかし(よく見れば)精神分裂病の症状は全然無意味なもの、わけのわからないものとも言えず、人間はいかなるものにも意味をつけることができるものであるし、きっかけはないと言っても見つけ方が悪くて私たちには気づかないものがいくらもありえる。・・・・・そのわけや意味を見つけて対処すれば、うまく治療できるものである。・・・・・・とにかく行動だけで見るのは頼りないもので、行動以外の背景の知識がないと、診断は当たらない。」(1975西丸四方)

●「訴えを聞いたら、すぐにそれを治療の目標とする症状だと受けとらず、なんらかの病的症状にたいする(本人なりの)対処行動と考えられないかと思ってみること・・・あきらかな動作の形で表れるもののほとんどは、対処行動と見なせます。また怒りなどの感情も・・べつの感情への対処行動であることが初診の段階であきらかにされることも少なくないのです。そして、対処行動であるとわかったら、なににたいする対処行動であり、どのように成功・不成功になっているか、に注目するのが定石です。」(1997神田橋條治)

●「ほとんどの症状はパニック、あるいはパニックが迫っていることへの警戒情報として、とらえることが出来る。症状の内容は、なんとか崩壊への道を遅らせよう、あるいは回避できないものだろうかという工夫のあらわれである。」(1988神田橋條治)

●「過去を参照し、未来を推測することによって、初めて、ここにあるもの(現在)の重要点が見えてくる。・・・・・観察というのは、小さなもののなかにひそかに現れてくる「大きな未来の動き」を、あるいは「過去の動き」を見抜くということ。」(2000神田橋條治)

●「部分のなかに全体が含まれているからこそ、部分を見ることで全体が推測できるし、また、部分を取り扱うことで全体に影響が及ぶのである。・・・・一般に行動というものは、種々の複雑な心の動きを整理し単純化して選択された結末である。・・・・言葉や振舞いや構えも、』緊張解放の道具として、あるいは緊張回避の道具として機能している場合は多い。・・・・人の精神活動は無意識のレベルで連続しているのだから表面の話題や行動に不連続が起こったように見えても、何らかの「無意識の連続」があるのだと思って想像をたくましく観察すると、連続している無意識の世界が察知できる。この習練を積むと、精神分裂病者(ママ)の支離滅裂の底に流れている連続性を察知できる場合がある。」(2010神田橋條治)

●「「症状」、「疾病」のむこうにいる人間に終始関心をもつこと。症状や病気だけを評価するのではなく、病気の背景にある患者の人間、生活にも、目をくばる(みる)。個人史には、発病後もハンディに耐えながら、生きる「生活史」がある。・・・・皆それぞれの場所で、それなりの人生を生きています。」(2013笠原嘉86歳)



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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から 〜12
(デーヴ・グロスマン著)



「 殺人の恍惚に酔いしれているなら別だが、少し距離をおくほうが破壊は簡単になる。1フィート離れるごとに現実感は薄れてゆく。距離が膨大になると想像力は弱まり、ついにはまったく消え失せる。というわけで、最近の戦争では目をおおう残虐行為の大半は遠くの兵士が行っている。自分の使っている強力な武器がどんな惨事を引き起こしているか、かれらには想像することができなかったのだ。
             グレン・ゲレイ「戦士たち」

・・・犠牲者が心理的・物理的に近いほど殺人はむずかしくなり、トラウマも大きくなる。

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<図>
(近い順)

性的距離、素手、ナイフ、銃剣、近距離(拳銃/ライフル)、手榴弾、中距離(ライフル)、長距離(狙撃、対戦車ミサイル)、最大距離(爆弾、砲撃)




 いっぽうの極には爆撃や砲撃がある。長距離殺人が比較的容易であることを示すためにしばしば引き合いに出される例だ。だが、反対側の極に近づくにつれて、殺人への抵抗感はしだいに強烈になってゆき、ついにその極にいたって最大に達する。銃剣やナイフでの刺殺になると抵抗感はすさまじいほどになり、素手で殺すにいたってはとうてい考えられないことになる。しかし、これでもまだ終わりではない。極の極には、セックスと殺人が渾然とまじりあう背筋の凍る領域があるのだ。」



「 (*第二次大戦中)ハンブルグでは7万人が死んだ。ドレスデンでは、1945年の同様の焼夷弾爆撃で8万人ほどが命を落とした。東京では、焼夷弾によるたった2回の空襲で、22万5000人(*?)が火事場風のために死んでいる。広島に原子爆弾が落とされたときは7万人が犠牲になった。(*ただし、1945年12月末までに約14万人が死亡したと広島市は推計している)第二次大戦を通じて、両軍の爆撃機の乗員たちは何百万という女性、子供、老人を、自分の妻や子や両親と変わらない人々を殺害した。これらの航空機のパイロット、航空士、爆撃手、射手は、主として距離という要因がもたらす精神的な後押しによって、これらの民間人をあえて殺すことができたのである。頭では自分たちがどんな災禍をもたらしているか理解していても、距離のおかげで気持ちのうえではそれを否認することができたのだ。・・・遠くからはだれも友だちには見えないのだ。遠くからなら、人の人間性を否定することができる。遠くからなら悲鳴は聞こえない。」



「紀元前689年、アッシリアのセンナケリブ王はバビロンの都を破壊した。

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 バビロンでは、だれかが何万という男女や子供を自分の手で押さえつけ、そのおびえたバビロン人たちをべつのだれかが突き刺し、切り捨てていかねばならなかった。ひとり、またひとりと孫や娘や息子が暴行され虐殺される悲鳴を聞きながら、祖父たちは苦悶の涙を流していた。わが子が暴行され切り刻まれるのを見ながら、父と母は断末魔の苦しみに身をよじっていた。

・・・・・

 ナチでさえ、たいてい男女や家族を別々に収容していたし、犠牲者を銃剣で突き殺すことはめったにしなかった。殺すときは機関銃を好んで使い、ほんとうに大仕事のときはガス室のシャワーを選んだ。バビロンの悲惨さはまさに想像を絶している。

 
 私の落とした爆弾が・・・・・ここに引き起こした悲惨な死を思いを描くことができなかった。私に罪悪感はなかった。達成感もなかった。ーーダグラス・ハーヴィ(第二2次大戦の爆撃機のパイロット。再生ベルリンを60年代に訪れて)ポール・ファシル『戦時』より


 ハンブルグとバビロンではどこが違うのだろうか。結果にはなんの差もない。どちらも罪もない人々が痛ましい死にかたをし、都市は破壊された。では、なにが違うのか。
 その違いは、ナチの死刑執行人がユダヤ人に対してしてことと連合軍の爆撃機がドイツや日本にしたこととの違いである。カリー中尉がベトナム人でいっぱいの村に対してやったことと(*ベトナム戦争中の1968年、アメリカ軍兵士がソンミ村のミライ集落で非武装のベトナム人住民を虐殺した事件)、多くのパイロットや砲手が同じベトナム人の村に対してやったこととの違いである。
 その違いはつまりこういうことだ。バビロンやアウシュヴィッツやミライ(*ソンミ)村の虐殺者についてじっくり考えるとき、そんな慄然たる行為を行ないえたかれらの病的な、理解不能な精神状態にたいして、人は心理的に嫌悪感を覚える。相手は同じ人間なのに、どうしてそんな非人間的な残虐行為を働けるのか理解できない。その行為を私たちは人殺しと呼び、その行為者を犯罪者として捕らえて裁きを受けさせる。それがナチの戦争犯罪人であろうと、アメリカの戦争犯罪人だろうと、そして個人を裁くことで、これで文明社会では許容されない逸脱行為なのだと自分に納得させて心の平和を得るのである。

 しかし、ハンブルグや広島に原爆を落とした者について考えるとき、その行為に嫌悪感を抱く人は少ない。少なくとも、ナチの死刑執行人に対するほどの嫌悪感を抱くことはないはずだ。この爆撃機の乗員たちに精神的に共感するとき、すなわち自分自身
をかれらの立場に置いてみるとき、自分だったらそんなことはしないと心から言いきれる人はほとんどいないだろう。だから、犯罪人として裁くことはしない。私たちはかれらの行動を合理化する。
・・・・・

 爆撃機の乗員の境遇に同情の手を差し伸べるとき、私たちはまた犠牲者にも同情する。奇妙なことだが、イギリスやドイツの戦略爆撃の生存者には、その経験によって長期的なトラウマに苦しんだ者はほとんどいない(*kemukenu注:??)。ところが、ナチの強制収容所の生還者のほとんど、そして戦闘を経験した兵士の多くはトラウマに苦しんだし、いまも苦しみつづけている。犠牲者の目から見れば、このふたつの惨事には質的な相違があるのだ。

(中略)

爆撃の死は、距離というきわめて重要な要因によってやわらげられている。爆撃は非対人的な戦争行為であり、特定の個人の死を意図したものではないという意味で自然災害に近い。」






(つづく)

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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から 〜11
(デーヴ・グロスマン著)




「 すでに数々の研究で結論づけられているように、戦闘中の人間はたいていイデオロギーや憎しみや恐怖によって戦うのではない。そうではなくて(1)戦友への気遣い、(2)指導官への敬意、(3)その両者に自分がどう思われるかという不安、(4)集団の成功に貢献したいという欲求、という集団の圧力と心理によって戦うのである。
 たびたび目にすることだが、戦闘中に兵士のあいだに生まれる強力なきずなは、夫婦のきずなよりなお強いと古参兵たちは言う。

(中略)

 このきずなが非常に強烈なために、戦友の期待を裏切るのではないかという恐怖で頭がいっぱいなのだ。・・・・・
 仲間の期待に応えられないのではないかという兵士の不安は非常に大きい。これほど強い友情と同志愛で結ばれた仲間を思うように支えられなかったら、罪悪感やトラウマは底無しに深い。しかし、程度の差はあれ、どんな兵士も指揮官もこの罪悪感をかならず感じているものだ。まわりで戦友が死んでいるのに発砲もしなかったことを自覚している者にとっては、この罪悪感はまさにトラウマ的である。」




「殺人の義務と、その代償によって生じる罪悪感、このふたつのあいだで悩むことが、戦場での精神的被害を生み出す大きな原因になっている。」



「 殺された兵士は苦しみも痛みもそれきりだが、殺したほうはそうはいかない。自分が手にかけた相手の記憶を抱えて生き、死なねばならない。教訓はいよいよはっきりしてくる。戦争の実態はまさしく殺人であり、戦闘での殺人は、まさにその本質によって、苦痛と罪悪感という深い傷をもたらす。」




「 戦争による罪悪感、それにともなう倫理の問題については、心理学の分野さえ取り組みの姿勢がじゅうぶんでないようだ。ピーター・マリンは「良心の呵責」の影響力と実態を表現する心理学用語の「不適切さ」を批判している。この社会全体が、倫理的な苦しみすなわち罪悪感に対処できずにいるようだ、と彼は言う。
 罪悪感は神経症や病理として扱われ、「そこから学ぶべきものではなく避けるべきものとして、それが過去への苦痛に満ちた反応であれば、適切な反応(帰還兵にとっては当然の)ではなく病気として」扱われる。さらに、これは私も研究中に気づいたことだが、復員軍人庁の心理学者は罪悪感の問題をなかなか扱おうとしないとマリンは指摘している。それどころか、兵士が戦争中になにをしたかという問題さえめったにとりあげようとしない。同庁のある心理学者がマリンに言ったように、たんに「帰還兵の適応障害として治療する」のである。    」






(つづく)

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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から 〜10
(デーヴ・グロスマン著)




「 戦闘中の兵士は悲劇的ジレンマにとらわれている。殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を接近戦で殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負いこむことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大義に背いた恥辱が重くのしかかってくる。まさに退くも地獄、進むも地獄である。」



「 作家ウイリアム・マンチェスターは、第二次大戦に従軍したもと海兵隊員だが、接近戦において日本兵をみずから殺したあとで、後悔と恥辱にさいなまされたという。
「いまも思い出す。私はバカみたいに『ごめんな』とつぶやいて、それから反吐をはいた。・・・・・全身が自分の反吐にまみれた。それは、子供のころから言い聞かせられてきたことへの裏切りだった」。
 接近戦での殺人について語るとき、マンチェスターのおののきとよく似た心理的な反応を経験したという戦闘経験者はほかにもいる。」



「・・・ここでは殺人にたいする心理的反応の真髄をまともに表現している文章を紹介しよう。

・・・

 おまえは人殺しだと自分で自分を責めた。なんとも言いようのない不安に襲われ、犯罪者になったような気分だった。
           (ナポレオン時代のイギリス兵)

 人を殺したのはこのときが初めてだった。どのドイツ人を撃ち殺したかわかっていたので、ことが片づいたとき見にいった。もう女房も子供もいそうな歳だなと思って、ひどく申し訳ない気分になったのをに憶えている。
        (第一次大戦に従軍したもとイギリス兵)

 あのときは大したことと思わなかったが、いま思い出すと・・・・・私はこの手であの人たちを虐殺したんだ。皆殺しにしたんです。     
         (第二次大戦に従軍したもとドイツ兵)

 私はぎょっとして凍りついた。相手はほんの子供だったんだ。たぶん十二から十四ってとこだろう。ふり向いて私に気づくと、だしぬけに全身を反転させてオートマティック銃を向けてきた。私は引金を引いた。20発ぜんぶたたき込んだ。子供はそのまま倒れ、私は銃を取り落とし声をあげて泣いた。
     (ベトナムに従軍したアメリカ特殊部隊将校)

 ・・・・

 だから今度は、その近づいてきたプジョーにみんなで銃をぶっ放した。乗ってたのは家族づれだったよ。子供が三人、おれは泣いたよ。けどどうしようもなかったんだ。・・・・子供に親父におふくろ。家族全員みな殺しさ。だけど、ほかにどうしようもなかったんだ。
     (レバノン侵攻に従軍したもとイスラエル兵)



 殺人にともなうトラウマがいかに大きいか思い知らされたのは、ポールという人物に面接したときだった。
 第二次大戦時バストーニュで第101空挺部隊の軍曹として戦い、いまは海外戦争復員兵協会の支部長である。自分の経験、殺された戦友についてよどみなく話してくれたが、私が彼自身の殺人体験について質問すると、戦場ではだれが殺したかはっきりわかるものではないという。そのうち、ポールの目に涙が浮かんできた。長い沈黙があって、彼はようやく言った。「でも、一度だけ・・・・・」そこで、老紳士はすすり泣きに声を詰まらせた。顔は苦しげにゆがんでいる。「いまも苦しんでおられるんですか。こんなに年月が経ったのに」私は驚いて尋ねた。「そう。こんなに年月が経ったのにね」それきり、この話にふれようとしなかった。・・・・」






(つづく)

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