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大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづる kemukemu
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中井久夫(1934年生)

「戦争と平和 ある観察」(2005)

*『樹をみつめて』みすず書房(2006)
または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から




「 一般に、戦闘における死者の大部分は逃走中に生じるが、それは人間の顔に向かって射撃するのは精神的抑制が働くからであって、だから捕虜になるときには鉄兜を脱ぐのが要領であるとグロスマンの著書(*『人殺しの心理学』)にある。
 
 中国戦線の日本軍は、初期には、中国人を豚と思えと教育し、捕虜の刺突を行わせたことがあったが、その結果、生涯悪夢に苦しみ、座禅をもっぱらにして世を去った方もおられる。しかしなお、一兵も殺さなかったという元兵士が存在する。
 同書によれば、発砲者15−20%のうち半分は強い市民的義務感の持ち主であり、残りは冷酷な人格障害者であるという。石川達三の『生きている兵隊』をみると、小学教師の少尉が次第に冷酷な殺人者兵士に引き寄せられてゆく姿がみられる。

 戦後の日本捕虜収容所では、例外はあるが、ヤクザが仕切って一般兵士は搾取された。戦争は実に彼らの出番なのである。カーディナーも、落下傘兵などの兵科には、平時の生活に適応できない者が活躍の場を見いだすという。フランス軍でも落下傘兵は、本来の目的でなくデモ鎮圧に使われていた時期がある。

 しかし、敵兵に対する個人的憎悪は戦友の惨殺と関連していることが多い。ベトナム戦争の残虐行為にも同じ場合が少なくないようだ。一般には兵士同士には個人的憎悪はなく、日露戦争でも第一次大戦でも、対峙する両軍の間で休戦旗を掲げ、酒宴を開く「戦場交歓」がみられた。日中戦争でも、中国兵への敬意を日本兵はしばしば語った。敵兵は「敵さん」と呼ばれることがあった。「逃れられない苦労を共にする者」という感覚が「苦労をさせやがる相手」という感覚と並んで底流していなくもないらしい。・・・・」







(もう少しつづく)

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