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大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづる kemukemu
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中井久夫(1934年生)

「戦争と平和 ある観察」(2005)

*『樹をみつめて』みすず書房(2006)
または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から



「 リデル=ハートは、その『戦略論』において、成功した戦争は少なく、また戦争の後遺症は予想外に永続的であるとしている。特にゲリラ戦の後遺症は長く残り、たとえばナポレオン軍に対するスペインのゲリラ闘争は百年以上後のスペイン市民戦争にも影響していると考えている。これはほとんど外傷史観である。ベトナム戦争以後の米国の政策は依然として「ベトナム症候群」の呪縛の中にあるという。日露戦争以後のわが国の、最終的に袋小路に至る彷徨の軌跡は、にわかに興った大国意識を含めて、日露戦争の後遺症ではないかと考えてみる価値があるだろう。
 したがって、いかに戦争を終結し、その後遺症を防ぎ、平和を構築するかが非常に重要である。しかし、後遺症をできるだけ少なくするような戦争の終え方と、戦争を防止する積極的な平和構築については、戦争の準備以上の巧智と忍耐と見極めと断念と決断を要するものであると思われる。
 「平和を欲するなら戦争に備えよ」とはローマ帝国以来の殺し文句である。しかし、積極的な平和構築が念頭にない戦争準備は時には戦争を呼ぶのである。ここで、積極的な平和構築は、勝利の維持とは別個であることを言っておかなければならない。勝利の状態は必ず一時的である。勝利にもとづく多国間体制を長期的に維持しえた例は仮にあってもきわめて少なく、その後にはしばしば災厄が待ち構えている。そのよい例は第一次大戦後のヴェルサイユ体制である。ウイルソンの理想主義的調停は破綻して、英仏は過剰な安全保障を求めてドイツを再び立ち上がれないようにすることを求めた。第二次大戦の火種がその中にあった。。・・・」




「 戦争の終結にはいくつかの形態がある。戦敗国の併合(たとえば英国によるインド併合)、成功あるいは挫折した独立戦争、勝敗をサスペンドした状態での停戦の維持(たとえば朝鮮戦争)、低い水準での戦争状態の維持(たとえばイスラエルとパレスチナ)がある。
 模範例は、講和条約の締結による戦争の結果の固定とされてきた。勝者は敗者に領土の割譲と賠償金の賦課を求めるものであるが、実際にこれが実現した場合はそれほど多くない。日露戦争は賠償金の取り立てに失敗したところを東アジアから得ようとして地域の平和構築失敗の原因を作った。普仏戦争、第一次大戦もこのモデルに従おうとして、平和の構築に失敗した例である。第二次大戦においてこのモデルに従おうとしたソ連は、従わなかった中国よりも怨恨を買い、パックス・ソヴィエティカの構築に失敗して瓦解した。
 第二次大戦の終結はドイツと日本の場合が対照的である。ドイツの場合、1945年4月30日にヒトラーが自殺すると、5月8日の休戦前後にドイツ軍は遭遇した連合軍に個々別々に降伏していった。その過程で少なからなぬ死傷者が出た。また、ドイツ兵はソ連兵の手を逃れて米英兵に投降しようとしたが、協定によって米英兵は彼らの一部をソ連軍に引き渡した。この間の犠牲者は10万と見積もられている。
 日本ではポツダム宣言という停戦後の青写真を連合国が示したことがソ連参戦あるいは原子爆弾よりも大きな力となったと私は思う。米軍上陸までの二週間以内のうちに本土決戦に備えていた兵士の大部分は復員してドイツのような摩擦はなかった。その間アメリカ空軍は都市の上空に爆撃機を飛ばして威圧を続けた。・・・・・」




(次回でおわり)

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