|
せっかくなので、オリンピック関連で僕の勉強と重なる部分について書いてみようと思います。
2020年のオリンピックの日程は、開会式が2020年7月24日。競技日程は翌7月25日から8月9日までの16日間。
つまり、真夏の猛暑の中での開催ということになります。
そしてこの暑さは、参加するアスリートだけでなく、応援に訪れる観客にも容赦なく降りかかります。
今年(2013年)の、同期間の最高気温の平均が31.4℃。期間中に猛暑日は1日もありませんが、8月中旬には38℃台を記録した日もありました。
これからの7年でどれくらい東京の平均気温が上昇するのかはわかりませんが、猛暑の中でのスポーツも観戦も健康に悪いのは確かなので。
屋外の競技はできる限り早朝や夜間に振り分けるようにするとか、屋根付きの競技場で行うなど、熱中症対策は不可欠になるでしょう。
そういえば、2024年のオリンピック開催地に立候補を検討している都市の中に、テキサス州のダラスがありました。
7月とか8月にダラスでオリンピックをやるなんて無理。
2020年のオリンピックと同日程で開催されると仮定した場合、今年のその期間中に35℃を下回ったのはたった1日で、40℃超えが3日。
記録的暑さだった2011年の同期間では、40℃を下回った日がわずかに4日だけで、残りはずっと40℃超え。
我慢比べとかサバイバルゲームにしかならない。
なんにせよ、これから先のオリンピックは、開催地の気候や気象条件を十分考慮に入れて開催期間や競技日程を決めるべきだと思います。
|
Blah
-
詳細
他愛もないひとりごとです。
コメント(0)
|
2020年の夏季オリンピック開催地が東京に決定してしまった。
どうにもこうにもスッキリしない。
まだ福島第一原発事故が収束の気配も見せない中で、数千億円を注ぎ込んでオリンピックを招致する必要があったのかどうか。
いまだに、仮設住宅で生活している被災者や、避難生活を強いられている人の合計は28万人を超えており、復興や被災者の生活の先行きが不透明な中で、被災地と被災者を置き去りにしている印象は拭えない。
復興中の被災地の人たちを勇気づけるためのオリンピックではなく、被災地が復興してから被災地でオリンピックを開催すればいいだけ。
IOC総会で開催地が決定するまでのここ数日の招致活動関係者の発言も酷いものだった。
「東京は福島から250km離れているから安全」って、福島は危険だけど東京は大丈夫と言ってるようなもの。東京さえよければ、他の地域はどうでもいいのかと言われても言い訳のしょうがない発言だと思う。
ちなみに、島国で狭い日本の250kmは遠いのかもしれないけど、たとえばここテキサスでの250kmは、この街からどこへ向かってもテキサス州から出ることもできない。早い話が、全然遠くないってこと。
そして、どうにもこうにも納得いかなかったのが、最後のプレゼンテーションで安倍首相が行った汚染水漏れの問題に対する発言。
「状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えることを許さない」
「汚染水の影響は原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で、完全にブロックされている」
「健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない」
科学誌ネイチャーや海外メディアを含め、福島第一原発事故の現状がコントロールされているとは認識していない。むしろ、現状を認めようとせず、過小評価して情報を矮小、小出しにする日本政府と東電の体質を厳しく指摘する論調が目立つほど。コントロール不能になっていて、政府も東電も福島第一原発でなにが起こっているのか把握できていないとみてる。
これからどれだけの汚染水が漏洩するのか見通しも立たない中で、東京のダメージを語ることはできないし、ましてや原発の港湾内0.3km範囲内でブロックすることなんでできない。海に漏れ出た水を、どうやって海中でブロックしているというのか、技術的な説明はまったくなされていない。
健康問題についても、今なにが起こっているのかもこれからどうなるかもわからないのに全く問題ないと言い切るのはあまりにもいい加減すぎる。深読みすれば、これは今後7年間東京でどんな健康問題が発生しても、すべて原発由来とは認めないという宣言のようにもとれる。
IOC委員の投票で決まるため、各委員に科学的知見がないと、一国の首相がプレゼンテーションで語る言葉は事実と同じだけの重さがあるんだろうと思う。たとえそれが国内向けには一度も語られたことがない、根拠を伴わない大嘘だとしても。
そんなものが決め手になったと言われている開催地決定を、どうして素直に喜べるのか僕には全く理解できない。
「原発も汚染水もまったく手に負えないし、今後どうなるかわからないけど、世界の技術と知恵を結集して7年間でできるだけ収束させるから、それを見込んで東京で開催させて」くらいだったらもうちょっと納得もできたかもしれないけど。
正々堂々やフェアな精神、良心や倫理、モラルという人が生きていくうえでもっとも大切なものを捨てて、嘘をついて勝ちとった2020年東京オリンピック。
そこにどんな夢や希望を見出し、勇気をもらえるというんだろうか。
僕にとって、今日は世界が良心を失った悲しい日になってしまった。
|
|
しばしの間定義を調べて読んでみたものの、いまだによくわかんないのだけれども(月齢に比べて1ヶ月の方が微妙に長いため、3ヶ月ごとの季節によっては、4回満月になることがあり、その場合、4回の満月のうちの3回目をブルームーンと呼ぶらしい。たぶん。)、2013年8月21日は、ブルームーンなのだとか。
これ以前のブルームーンは2008年5月20日、次のブルームーンは2016年5月21日らしいので、どうやらこれはとっても珍しい出来事らしい。
だからというわけではないけど、そのブルームーンとやらを一眼レフで撮ってみた。
びゅーりふぉー。
今まで散々携帯カメラで挑戦し、月なのかただの灯りなのかわからない出来映えのものしか撮れなかったんだけど、さすが一眼レフ。
メイを賢そうに見せるだけでなく、月までキレイに撮らせてくれるとはっ!
くれ、このカメラくれ。
|
|
寛容さなど必要ない。
個人的にはまったく同意できない考え方ですが、そういう排他的な人を否定するつもりはありません。
それすらもその人のほんの一部でしかなく、それだけで人を判断するのはフェアではありませんから。
どういった距離感でそういう人と付き合うかはまた別の話ですが。
さて、その寛容。辞書で調べると、こんな意味。
世界大百科事典 第2版より ふむ。つまり、寛容さなど必要ないとこうなるのか。
「自己の心情とは異なる他人の思想、心情や行動を許容することなく、自己の思想や信条を外的な力を用いて強制することを意味する」
「心が狭く、人の言動を受け入れないこと。他の罪や欠点などを厳しく責めること。他人を厳しくとがめだてすること。人を受け入れないこと」
念のため、「不寛容」を調べてみた。
デジタル大辞泉より 寛容は、英語でtolerance。こんな言葉があります。
Where there is no tolerance, there is no freedom. (寛容がないところに自由はない)
僕は、寛容さをなくさない。
|




