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2010年の夏の甲子園は決勝
東海大相模を破り興南高校が優勝しました。
春の選抜に続き投打がすばらしく、圧倒していました。
興南は連覇、沖縄県勢では夏の甲子園で初優勝です。
今回の優勝は沖縄県民にとってまた格別感慨深いものがあったでしょう。
おめでとうございます!
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甲子園
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春の甲子園は沖縄、興南高校の優勝で幕を閉じました。 決勝戦は一喜一憂の緊迫したいい勝負でした。 準決勝まで勝ち進んだ大垣日大高も素晴らしかった。 また夏を目指してがんばって欲しいです。 対戦した岐阜の雄、大垣ということで一目置かれ この選抜の期間に沖縄の友人らとメールや電話のやりとりをしましたが、 やはり沖縄は甲子園にかける県民意識・注目度が違うなあという印象でした。 地元に愛され、誇りに思われる
それが強さに繋がるんでしょうね。 |
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第82回選抜高校野球大会 4月1日第二試合、準決勝は 大垣日大高と興南高校の闘いになりました。 応援するのはもちろん・・・!?
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「沖縄が暑かったこの日を僕は忘れない」という曲があります。 内容はスバリ実際の沖縄尚学高校が甲子園初優勝した日を歌にしたものです。 ラジオで聞いたのですが 歌・・・というか、ほとんどが台詞を読んでいるようなかんじでした。 ラップでもないし、まるで感想文でも朗読するかのようなかんじで 失礼ながら、最初それが歌だとは気付きませんでした。 試合当日、一大事とばかりに甲子園に駆けつける沖縄県民の様子。 試合が始まる前のドキドキ感、皆が浮き足だった雰囲気。 当日の試合の流れ。 最終回の「あとひとり」の緊迫感。 祈るオジイオバア。 そして、ついに最後の打者を打ち取り、歓声に包まれるアルプス。 沖縄の長年の悲願に他人同士抱き合って喜ぶ人たち。 待ち望んだ感動の瞬間に震えて、泣き出す人たち。 わき起こるウェーブ。 沖縄尚学バンザイ! 沖縄バンザイ! 沖縄が暑かったこの日を僕は忘れない ・・・というような内容です (うろ覚えですが記憶の中ではこういう感じです)。 けっこう長かったのですが 熱い台詞を聞いているうちにぐいぐい引き込まれ、 最後は多県民でも思わずもらい泣きしてしまうような歌でした。 名曲です。 Webで調べた結果、歌っているのは 中村 照琴村(なかむらてるきんむら)という方ということがわかりました。 沖縄では知られている歌らしいですが、現在は入手困難のようです。 実際の甲子園の1日がそのまま歌になる、それだけのパワーをもった出来事でした。
この歌をまた聞きたいです。 |
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沖縄は戦争の後、米軍に支配された別の国でした。 そのアメリカ統治下に、40回記念大会の特別枠として 首里高校が甲子園に初出場しています。 パスポートを持参しての出場でした。 〈1958年夏の甲子園大会に沖縄県代表として出場した首里高校は、福井代表のチームにやぶれた。 選手たちは思い出に甲子園の土をもち帰ったが、防疫法にふれるということで那覇港で廃棄処分になった。異民族支配を象徴する事件であった。〉 (「激動の記録 那覇百年のあゆみ」那覇市企画部市史編集室)より アメリカ統治下におけるこの球児たちの落胆と、沖縄県民の屈辱は、 甲子園で本土の高校に勝つという夢になり、やがて世代を超えた悲願となりました。 その後、1963年の首里高校が本土の高校に初勝利、 豊見城高校ベスト8入り、沖縄水産準優勝と続き、 あれから41年後の1999年第71回大会、 ついに沖縄尚学高校が春夏通じての初優勝を果たしました。 その日沖縄中が歓喜につつまれたそうです。 (ちなみに1999年の入場曲は読谷出身のKiroroの「長い間」でした) 当時の沖縄尚学高校野球部は沖縄県県民栄誉賞を受賞しました。 ウチナーンチュには、高校野球にも様々な思いがあるわけです。 (続く)
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