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昔からジンタ・懐メロ系の音楽が好きで三線でも遊びでよく弾いていました。 老人会の誕生日会などでも披露させていただいたことがあります。 居酒屋ではウケがとてもよろしく、 調子にのって何度も同じ曲ばかり弾いていました。 そんな中でも、当地でのテッパンは「憧れのハワイ航路」です。 みんなが知っているのという理由もありますが、 作曲家の江口夜詩(えぐちよし)は大垣市出身なのです。 (市町村合併で最近大垣市出身になったともいいますが) 〈江口夜詩は、明治36年に上石津町時地区(当時の時村)の農家の次男として生まれた。(中略)大正8年、16歳で海軍軍楽隊に志願し、横須賀海兵団に入団した。ここで第1期軍楽補習生として1年間学び、首席で卒業、軍楽隊のトロンボーン奏者としてスタートした。(中略)太平洋戦争中のヒット曲には「月月火水木金金」「轟沈」「海底万里」等がある。戦後は、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」「東京の空青い空」、小畑実の「長崎のザボン売り」、津村謙の「緑の牧場」「天草のバテレン祭り」「赤いマフラー」、近江俊郎の「湯の町月夜」、春日八郎のデビュー曲「赤いランプの終列車」等、軽快でリズミックな歌の作曲で、一世を風靡した。また、昭和29年には、岐阜県養老町の依頼で春日八郎の「瓢箪ブギ」を作曲した。〉 (江口夜詩記念館 展示パネルより) 地元出身でこんな偉人がいたとは知りませんでしたが 資料によると、なんと我が母校の校歌も作曲してくれてたみたいです。 全然気付きませんでした。 江口夜詩は生涯で4000曲も作曲したといいます。 その他のヒット曲に、亡妻に捧げた「忘れられぬ花」、「急げ幌馬車」、 「十九の春」(沖縄で有名な方とは違いますよ)などがあります。 中でも憧れのハワイ航路は、切れの良い明るい曲調、夢と希望ある歌詞、 岡晴夫の伸びやかで朗々とした歌声が見事に調和した 戦後の日本復興を象徴する傑作です。 大垣市の上石津の日本昭和音楽村という施設の中に 江口夜詩記念館がつくられ先人の遺業を称えています。 ちなみに日本昭和音楽村は緑豊かな山の中にあり、 コテージ宿泊や水嶺湖でのカヌーが楽しめます。 (つづく)
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