地下鉄九段下の駅の階段を登り地上に出ると夏の青空が広がっている。
緩やかに登って行く坂の向こうには大きな鳥居が見える。
この辺りに来ると昭和の太平洋戦争という言葉が思い浮かぶ。
この坂は私にとっては別の意味で懐かしい。学生時代にお茶の水から皇居前広場や靖国神社へ山に登るトレーニングのため毎日走った場所だ。
新聞記事で九段下に『しょうけい館』という戦傷病者史料館があることを初めて知った。
平成18年3月に開館されたという。早速行ってみた。
子どもの頃私は桜で有名な場所に住んでいたので、お花見の季節になると傷痍軍人といって白衣のようなものを着帽子をかぶり義足や義手を付けてアコーディオンでもの悲しい音楽を演奏していたのをはっきりと覚えている。毎年毎年やって来た。
最近ではもう見ることはなくなったが、昭和50年代までは上野駅や浅草駅などで時折見かけた。
『しょうけい館』は戦争で傷つき、あるいは病で倒れた戦傷病者とその家族が戦中・戦後に体験した様々な労苦を後世に伝えるために開館された。
体験者が実際に経験した苦労を語る証言映像の上映や、体験者が実際に使ったり持っていたもの、写真、絵などを展示している。このような施設は世界の中では唯一ここだけとのこと。
銃弾で頭を打ち抜かれたときにかぶっていた軍帽や包帯代わりに使用した血の付いた日章旗など様々な展示品がある。
圧巻は野戦病院ジオラマ。東南アジアなどの南方の戦線の壕の中に作られた野戦病院と瀕死の傷病兵が横たわる簡易ベット枕元には肌色っぽい重湯が入った飯盒の中蓋がころがっている。あまりのリアルさに言葉にならない。
証言映像シアターでは元軍医や衛生兵が自身の戦争体験を語っている。
インパール作戦の最前線で兵士とともに戦った軍医やビルマ戦線を生き延びた衛生兵のことばが印象的だ。
・今は医者と患者との間にはどうも溝があるような気がする。軍医と兵隊は身内のようなものだった。自分の子を診る様に、自分の親を診るように一生懸命何とかしたいという気持だった。
・戦友は親兄弟以上のものだった。
15日付朝日新聞夕刊は次のように伝えている。
戦争で傷ついた元兵士らの支援のために作られた財団法人日本傷痍軍人会(奥野義章会長)は2013年11月30日に解散する。事務局によると、会員の平均年齢は91歳。一時は30万人とも言われた会員数も、今年は5100人に。活動の継続は難しいと判断した。
(2012年8月15日朝日新聞夕刊 小倉いづみ記者)
太平洋戦争・シベリヤ抑留を経験した父親が既に他界したように、戦争体験者の超高齢化が進んでいる。