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お墓参りに行って

酸素ボンベを曳いての満員電車の通勤にはやっと慣れてきたが、一日仕事をして家に着くと疲れる。
まだ週の第一日目がスタートしたばかりなのに・・・
 
勤務は営業活動を離れてオフィス内での内勤勤務。朝夕の通勤の移動でも息が上がり、もう外回りの営業は限界と痛感している。
オフィス内でも酸素ボンベの扱いが厄介で、ファイルやコピーやトイレなど、ちょっとした移動が大変面倒。そんな生活もいつかは慣れていくのだろう。
 
昨日のひな祭りの日に実家に帰り、亡父の墓参りに行ってきた。
交通の便の悪い、田舎にあるために自力(徒歩)では行けない。
兄に車に乗せられての墓参りだった。兄は前日のうちにきれいにお墓掃除を済ましてあった。
 
お墓掃除や墓参りと言ったら兄弟姉妹の中でも自分の専売特許のようなものだったが、もはや屈んで鎌で草を刈ったり高箒で掃き清める体力もなくなった。以前はとなりのお墓の草まで刈りまくって掃除していたのに・・・・
 
そんなに遠くない時期に自分もここに来るのかとフト考えたりした。
以前は決して考えもしなかったが・・・
 
 
世界的なオルガン奏者であるフランスのマリークレール・アランが亡くなったという。
86歳だった。
この人の名前を聞くと1990年代の初めの頃に友人に連れられて、確か、開館間もないサントリーホールでパイプオルガンの演奏を聴いたことを思い出した。
 
澄んだ音色と荘厳な音響から、大袈裟だけれども頭上から神が舞い降りてくるとはこういう瞬間なのではないかと感じたことがあった。
 
少し関心があって、その後CDを買い集め度々聞いていた。
 
バッハから現代音楽まで、膨大なレパートリーを誇る巨匠として知られている。
楽譜を持ち歩かず常に暗譜で弾き、バッハの全オルガン作品を3回録音するなど、数々の「伝説」でも知られたという。
【参考】(2013年2月28日 朝日新聞朝刊)
全国各地から雪の便りが届く。
関東近辺でも早々とスキー場がOPENしている。
長野県と群馬県の県境の標高2000mにあるASAMA2000parkスキー場。
高峰高原と言った方が今は人気の場所かもしれない。
かっては山スキーのメッカだった。
私がスキーを一からマスターしたのはこの場所でまだ高峰高原スキー場という名前でかっては東邦観光という会社が経営していた。
一人乗りリフトしかない時代で、巨大で寒い円型食堂が有名だった。
お金がなかったのでリフトに乗らず何度もスキーを担いでゲレンデを往復した。
ゲレンデを歩いても人が少なく怒られなかった。
 
第2ゲレンデが本日オープンしたようだ。毎年この季節に高峰高原に行くとスキー場のゲレンデだけが真っ白に輝いている。シーズンを待ち望んでいた腕自慢が集まる時期でもある。
この時期を過ぎれば腕自慢は各地に散っていくのだけれど・・・  
USTREAM LIVEを見ると混雑しているようだ。
 
床暖房の入ったリビングで雪景色を見るともう一度滑りたいと思うが・・・
今の体調では再びゲレンデに立つことは困難か。
スキー場が提供されている本日の写真を引用させていただく。
 
イメージ 1
 
 
イメージ 2
地下鉄九段下の駅の階段を登り地上に出ると夏の青空が広がっている。
緩やかに登って行く坂の向こうには大きな鳥居が見える。
この辺りに来ると昭和の太平洋戦争という言葉が思い浮かぶ。
この坂は私にとっては別の意味で懐かしい。学生時代にお茶の水から皇居前広場や靖国神社へ山に登るトレーニングのため毎日走った場所だ。
 
新聞記事で九段下に『しょうけい館』という戦傷病者史料館があることを初めて知った。
平成18年3月に開館されたという。早速行ってみた。
 
子どもの頃私は桜で有名な場所に住んでいたので、お花見の季節になると傷痍軍人といって白衣のようなものを着帽子をかぶり義足や義手を付けてアコーディオンでもの悲しい音楽を演奏していたのをはっきりと覚えている。毎年毎年やって来た。
最近ではもう見ることはなくなったが、昭和50年代までは上野駅や浅草駅などで時折見かけた。
 
『しょうけい館』は戦争で傷つき、あるいは病で倒れた戦傷病者とその家族が戦中・戦後に体験した様々な労苦を後世に伝えるために開館された。
体験者が実際に経験した苦労を語る証言映像の上映や、体験者が実際に使ったり持っていたもの、写真、絵などを展示している。このような施設は世界の中では唯一ここだけとのこと。
銃弾で頭を打ち抜かれたときにかぶっていた軍帽や包帯代わりに使用した血の付いた日章旗など様々な展示品がある。
圧巻は野戦病院ジオラマ。東南アジアなどの南方の戦線の壕の中に作られた野戦病院と瀕死の傷病兵が横たわる簡易ベット枕元には肌色っぽい重湯が入った飯盒の中蓋がころがっている。あまりのリアルさに言葉にならない。
 
証言映像シアターでは元軍医や衛生兵が自身の戦争体験を語っている。
インパール作戦の最前線で兵士とともに戦った軍医やビルマ戦線を生き延びた衛生兵のことばが印象的だ。
・今は医者と患者との間にはどうも溝があるような気がする。軍医と兵隊は身内のようなものだった。自分の子を診る様に、自分の親を診るように一生懸命何とかしたいという気持だった。
・戦友は親兄弟以上のものだった。
 
15日付朝日新聞夕刊は次のように伝えている。
戦争で傷ついた元兵士らの支援のために作られた財団法人日本傷痍軍人会(奥野義章会長)は2013年11月30日に解散する。事務局によると、会員の平均年齢は91歳。一時は30万人とも言われた会員数も、今年は5100人に。活動の継続は難しいと判断した。
(2012年8月15日朝日新聞夕刊 小倉いづみ記者)
 
太平洋戦争・シベリヤ抑留を経験した父親が既に他界したように、戦争体験者の超高齢化が進んでいる。
 
 
 
 
 
午前中に近所の教会へ行ってみた。洗礼を受けた信者でなくても受け入れてくれる。
外は既に30℃を超す炎天下。蔦に覆われた古い建物の中は涼しく快適。
パイプオルガンの前奏が始まる。聞き覚えのある曲。
あとで調べたらJ.S.Bachの『小フーガト短調』だった。じっと聴き入っていると心が落ち着く。
確かバッハの曲は、かって長く入院している時にNHKFMのクラッシック音楽番組で聞いたことを思い出した。
昼食後の午後に放送される曲をベットの上や病院の外に出て近くの公園で聞いて心が癒されたことがあった。その時と同じ感覚がよみがえった。
 
先日、朝日新聞記事で軽井沢追分教会の「音楽礼拝」について書かれていた。
その時、記者がパイプオルガン聴いた印象を次のように書いている。バッハ作品も演奏されたようだ。
「美しく調和した響きは、日常のささいな悩みを一瞬忘れさせてくれた。」
(2012年8月2日朝日新聞夕刊『快体心書』:青山祥子記者)
 
 
 
 
 
 
 

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