日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ・・・・、

玄洋庵文庫

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「ポスト・トゥルース」時代の新聞崩壊


今世紀に入って全国紙・地方紙を合わせた国内の全新聞の発行部数が単調減少の一途をたどっている。西暦2000年の全国紙と地方紙を合わせた一般紙の発行部数は5,371万部だったが、昨年2017年は3,876万部だった。その減少率はなんと3割に近い。この10年でみても約10%の減少である。どうしてこんなことになったのか?。
「若い人たちが新聞を読まないから」というのが巷でよく言われることだが、若い者が新聞を読まなくなったのは何も今世紀になってからというのではない。おそらく、大学紛争の70年安保騒動が、まるで潮が引くように去っていくのと同期するように大学生たちが社会問題に関心を寄せなくなっていった。それがそのまま脱政治となり、それはそのまま脱新聞と同値であったように思われる。
60年安保闘争に懲りた政府は、10年後に来る70年安保改定時の騒動を予見していた。折しも、日韓条約調印が、国内保守派と韓国「親日派」との胡散臭い関係とみなした学生たちは70年安保改定を前に動き出し、まんまと計略にかかるようにして体力を消耗し、ついに本番の70年には四分五裂に陥って泥沼の状況に陥ってしまった。この間に増強された国家権力(機動隊)の前に完膚なきまでに敗北した。敗北したというより死んだのである。青年たちはこの段階でアツモノに懲りたように政治への関心を失っていった。ベビーブーマーであった彼らとしては、政治や社会よりも激しい生存競争社会にただただもまれるばかりでもあったのである。
その彼らが今ようやく定年の年齢に達している。政治・社会問題に懲りた彼らがつくった家庭には週刊誌や漫画本はあっても新聞は無かった(?)。つまり、新聞はすでに20世紀の第3クォーターにおいてすでに敗北していたのである。そこへ追い打ちをかけるように20世紀末に至ってネットが現れた。70年安保世代の子供たちは新聞の存在すら知らない純ネット世代である。つまり、客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ「ポスト・トゥルース」と呼ばれる時代がやってきたのである。その時代風潮にあおられて、ここで「新聞」と呼んでいるそれらがその中身を見ればもはや「フェイク」そのものとなって混沌を呈している。その結果、何が「トゥルース」で、何が「フェイク」なのかすら分からなくなってさえいるのだ。
いわゆる「従軍慰安婦問題」報道に関わって朝日新聞に対する産経・読売の攻撃などはその好例だし、またそれに対する朝日側の無条件降伏ぶりなども端的な一例であった。もはや知性の岩盤が四分五裂して、正と邪の磁針すら定まらない、まるで「チバニアン」といった按配ですらある。
こうして、日本の新聞は、言論は早晩死ぬのだろう?。時代がどんどん暗くなっていく。

 

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