日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ・・・・、

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今日、ここに山梨県知事代理平出( わたる)副知事をはじめ山梨県内各界各層のご来賓のみなさまにご列席を賜り、公立大学法人山梨県立大学・国際政策学部89名、人間福祉学部92名、看護学部105名、以上学部の課程卒業生286名、さらに大学院看護学研究科修士課程9名の修了生の皆さんに、学位記を授与できることを、心からうれしく思います。
また、みなさんを今日まで支援してこられたご家族・ご親族の皆さん、また本学常勤・非常勤の教職員および特任教員あるいは本学との協働事業にご支援くださった実に多くの関係者、加えて学外実習・インターンシップ・地域づくりなどの現場でご指導を賜った無数の県民のみなさんに併せて心からお礼を申し上げたいと思います。
 
さて、皆さんの多くは、時あたかも20世紀末の1990年代に始まった日本経済の下降のはじまりと軌を一にしてこの世に生を享け、今日よりも明日の方が確実に減衰するという体験を持った稀有な世代であります。実際1970年から20年間、我が国の経済成長率は年平均値4.2だったものが、1990年から昨年までの20年間では1.0しかありませんでした。皆さんのご家族では、お父さんやお母さんはいわゆる団塊の世代かまたはその前後、おじいさん、おばあさんは15年戦争の戦中に青春時代を送る不運を経験したものの、物心ついた時には復興期に入っていた。つまりおじいさん夫妻もお父さん夫妻も右肩上がりの時代に生きた人たちばかりでした。事実、1956年から1970年までの年平均経済成長率は9.1という、今から思えば驚異的数値を記録していました。
こういう現代史の中にあって皆さんだけが実に稀有な時代に生を受け、成長して今日を迎えた人達です。それだけに、皆さんは、以前の時代の人々とは一味違う存在であったのだろうと思います。それが証拠に、みなさんの45年先輩の西暦2000年に中・高校生だった人たちに「21世紀への夢や希望」を調査した国際比較調査が残っています。中国・韓国・アメリカの中・高校生と日本の中・高校生たちに同一の設問票で回答を求め、比較したものです。
たとえば、「人類にとって21世紀は希望のある時代になる」という設問について、中国の89.0%、アメリカの63.5%、低い韓国ですら63.2%がこれに賛意を示したのに対して、日本の生徒たちは34.3%しか同感しないで4か国中最低値を記録する。
また、「今より世界は平和になるだろう」という見解に対しても、中国の70.3%、韓国の43.2%、低い米国の35.2%の賛意に対してもなお低い31.0%しか同感していません。
同様に、「国民生活が今より良くなるだろう」という見通しについては実に極端で、中国の84.8%、アメリカの77.0%の高率に対して、低い韓国の54.5%と比べてもなお半分に近い29.0%と4か国中圧倒的に最低の同感ぶりです。
このように、すでに西暦2000年の時点において日本の中・高校生は未来に向かって夢を描くという態度を示していませんでした。
 
Youth is not a time of life -―― it is a state of mind; ・・・・・・・・・・・・・
No body grows only by merely living a number of years;
Peoples grow old,  only by deserting their ideals.
これはアメリカ アラバマ州出身の詩人サミュエル・ウルマンという人の詩です。実は、敗戦直後の1945927日、あの歴史に残る昭和天皇とマッカーサー連合国軍最高司令官の会見の折、マッカーサー将軍の執務室に大きく掲げられてあった詩だそうです。「Peoples grow old only by deserting their ideals. (人は“ideals”(理想や夢)を失う時に初めて老いる。)マッカーサー元帥自身、理想や夢を失いたくないという思いがこの詩を額縁に入れて飾らせたのでしょう。このとき、昭和天皇がこれをどう読まれたのかは残念ながら伝わっておりません。
 
いつの時代でも理想という夢を見ること、できるだけ良い夢を見ること、これは古来人々の永遠の願いでありました。そういう夢の話を日本の古典の中から一つ二つ紹介しましょう。
北条政子と言えば鎌倉将軍源頼朝の妻で、尼将軍の名を欲しいままにした権謀術数の女傑です。その政子がまだ初々しい乙女時代の話ですが、ある日のこと、彼女の妹君が夢を見ました。その夢は、「高い山に登り、太陽と月を左右のたもとに入れ、蜜柑の実が三っ付いた枝を髪に挿した」という実にスケールの大きいものでした。月と太陽を独占するというのですから、こういう夢を吉夢と書いて「きつむ」と読みます。つまり、開運の夢です。ところが、妹姫はこれが大吉だとは知らなかった。そこで、姉の政子は、「この夢はお前にとって災いの兆候だから、人に売ってしまった方がよい。そして他に口外してはならない。姉の私が犠牲になってこの夢を買い取ってあげよう。」親切ごかしにこう言って代々北条家に伝わる中国渡来の鏡と唐綾の小袖を与えて、妹の夢を買い取ってしまいました。この買い取った夢が功を奏したのでしょう。政子は一介の田舎豪族の小娘から、なんと天下の征夷大将軍源頼朝の北の方になるという玉の輿に乗った話が『曽我物語』に書かれています。
これは、女性の話ですが、男子でも同じような話が『宇治拾遺物語』にあります。吉備真備といえば奈良時代の学者・文化人で大政治家。黍団子のふるさと岡山県吉備郡の地方豪族の低い身分の出自ながら聖武天皇・光明皇后夫妻に重用され、藤原氏にあらずんば人にあらずの藤原全盛の時代にあって右大臣にまで上り詰めた立志伝中の人物です。
この人がまだ若かった頃の話です。彼の家の近所に、夢の吉兆を占う夢解き名人が住んでおりました。ある日のこと真備がそこへ行って話をしていると、国司の御曹司が供の者を大勢引き連れてやってきました。御曹司は夕べ見た夢の吉凶を占ってもらいにこの夢解き女の家に来たのでした。真備は別室に隠れてその様子を盗み見しました。夢解きは「大変良い夢です。あなたはゆくゆく大臣にまでなるでしょう」と告げました。御曹司は喜んで着てきた絹の着物を脱いで夢解き名人に与え、意気揚々と帰っていきました。
隣室に隠れて一部始終を見ていた真備はこの夢を全部戴こうと考えました。そこで夢解き名人に「あの御曹司は国司の息子、4年もすれば都に帰ってしまう。仮に、彼が大臣になってもこの地にもお前にも何の益も無い。私は郡司の息子で生まれも育ちも吉備の人間。私が大臣になればこの地もお前も良いことだらけではないか」と懇々と説諭しました。夢解き名人は「なるほど、それではあなたがさっき隣の部屋で聞いていたとおりに話してみなさい」。真備は今聞いたばかりの御曹司の夢を自分が見たように語って聞かせると夢解きは「大変良い夢です。あなたはゆくゆく大臣にまでなるでしょう」と夢を解きましたので、真備は喜んで着てきた着物を与えて家に帰りました。その後、彼は遣唐使に随行する官吏の登用試験を受験して見事に合格、阿倍仲麻呂らと共に入唐して、当時の先端的知識や技術を習得して帰国。政府の要人としてめきめき出世。ついに右大臣にまで登りつめ隆々の生涯を終えました。
他方、かの国司の御曹司は、せっかくの夢を奪われて鳴かず飛ばずの人生を終えたようで歴史年表のどこにもその名が見えません。
 
見た夢は他人に盗られないようにすること。これがこれらの話の教訓なのですが、良い夢が見られない人にとっても他人の夢を失敬することで良い人生が開けること。これも立派な教訓です。以上を要するに、何がなんでも夢を見ること、未来に向かって希望idealsをつなぐこと、これが豊かな人生を実現する道であると、これらの昔話は何百年にわたって語り伝えてきたのでありました。
たしかに、今日、多くの社会科学的指標が単調に減少する時代位相にあります。そういう時代に生を受けたみなさんにとって、夢を見ることは言うほど簡単ではありません。なればこそなおさら未来に夢を架橋することが実に切実に必要なことなのです。
最後に、先ほど冒頭部分を紹介したサミュエル・ウルマンの詩『青春』の中の一節を翻訳で紹介し、皆さんの夢idealsがますます膨らむことを祈念して、私の贈る言葉としたいと思います。
「人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦・勇気と壮大・偉力と霊感を受ける限り、
人の若さは失われない。」
 
ご清聴ありがとうございました。

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