日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ・・・・、

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2019318日より

下記に転居致します。長年にわたってYhoo Blogをご愛読くださいましてありがとうございました。

 

Goo版 「日々是好日日記https://blog.goo.ne.jp/genyoanki


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越後の国松山村一村には鏡というものが無かったという。だから村人は他人の顔は分かるが肝心の自分の顔ときたらせいぜい鼻先と上唇が見えるくらいで生涯見ることなく死んでいったという。
この村の百姓正助は、18年前に死んだ父親の墓参りを毎日欠かしたことが無いという。この村の代官はこの孝行ぶりが大いに気に入ったので彼に「青ざし五貫文」の褒美を与えることとして、代官所に村役同道の上で呼び出した。
代官所に出頭した正助、褒美の5貫文はもらっても村でお金を使うところも必要もないので要らないと辞退。では、田畑をやろうというと、今夫婦二人で朝から晩まで働いても手一杯これ以上増やしたら小作を使うしかない。面倒だから要らないとこれも断る。
では、なにか欲しいものは無いかというと、「お父に一目会いたい」という。困った代官は村役に「正助と父親は似ているか?」と尋ねると「正助の父親はちょうど今の彼と同じ年頃に死んで瓜二つと言ってもよい」ほどに似ていると答える。
しからば、褒美に鏡をつかわそうと衆議一決。正助に、家内も含めて村人に決して見せてはならないと厳命の上で鏡を褒美に貸し与えることとする。
家に帰った正助、そっと納屋の二階に行き、褒美の品を開けてみて仰天。そこに父親が居るではないか。「おゝ、おっ父う!、なつかしい。おまえさん、こんな所にいたのかえ?」。
以来、朝に夕なに正助は、妻のお光に隠れて納屋の二階に上っては長持ちに隠した鏡の父に挨拶に行く。これを怪しんだお光、正助の留守にそっと納屋にのぼっていって箪笥・長持ちをひとつひとつ点検して驚いた。なんと、長持ちの中に女が隠れているではないか!。しかも実に色の黒いみっともない女!。
夕方畑から帰ってきた正助の胸倉をつかまえてお光は叫んだ。「あんな色黒の見っともねぇ女さこの私に隠しているとはなんだこのバカ男!」「なにお、お父うに悪態を吐くだか、このあまっ!」。くんずほぐれず二人は取っ組み合いの大げんか。
ちょうどその時おもてを歩いていた村の尼寺の尼さん、「これこれ、正助さん、お光さんよう、二人はおしどり夫婦という評判だに、なして喧嘩を?」。聞けば正助が女をかくまっているという。「それはいけねえ。オレガどれ会って意見を言ってきてあげよう」
納屋の二階に登って行った尼さん、「アハハッ、お光さん、大丈夫だ!女は恥ずかしいって坊主になってらぁ!」

鏡という、見えないところを見る、分けても自らを見る必須の道具を持たなかった松山村の悲喜劇が落語「松山鏡」だ。そして;現代の松山鏡は「統計」だ。その法律第一条は:
「公的統計が国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報であることにかんがみ、公的統計の作成及び提供に関し基本となる事項を定めることにより、公的統計の体系的かつ効率的な整備及びその有用性の確保を図り、もって国民経済の健全な発展及び国民生活の向上に寄与することを目的とする」とある。これの遵法を肝に銘じたい。

 

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下のような、実に「独創的」な新聞記事を見つけた。まだ、こんなに元気な中学生がこの国にいたらしい。この危なっかしい少年少女をどううまく育てられるか?。世の大人たちの力量が問われる。
「卒業式後の中学3年生らが毎年、派手な柄や刺しゅうを施した「特攻服」や学生服でJR岡山駅前に集まる行為を巡り、岡山県警や県内の教育委員会が対策を強化している。岡山、倉敷市で卒業式がある13日に向け、県警は「非行を助長する」などとして、これらの服装の生徒を補導対象とする方針を打ち出し、教委は学校を通じて生徒に参加しないよう指導している」(2019/03/08 山陽新聞)。
世の大人たちにとっては、騒々しくて迷惑な騒ぎに違いない。だいたい子供たちが集まって、仲間同志で意気投合し合っていたらやかましいに決まっている。それが、この未熟な世代の特徴であり習性なのだから。
なぜ県の玄関口岡山駅が選ばれてしまったのか?。乗降客にとっては通行の邪魔であり、賓客の送迎もある地元の名士たちにとってはいささか赤面もの、噴飯ものであろう。だから、できることなら見ないだけでなく、無くて済ませたい。大人たちにとっては大いに恥じ入る悪ガキたちの騒擾に違いない。だからこそ彼らはここを選んだのであろう。実に賢い。
「おい、何とかしろ!」という声が、さぞ、学校や教育委員会にたくさん寄せられていることであろう。年来、眉をひそめていた警察も誰かが言い出したら動かぬわけにはいかないと思っていたところへ、「どうしましょう?」と市や県から声を掛けられては動かざるをえない。しかし、警察が動くのは、ニキビに売薬の「タコの吸出し」を塗るようなもので、跡が残るシミの原因で最悪だ。
自分でも制御不能なエネルギーが噴出する年齢の青春前期。世の大人は、そのエネルギーを「健全」な方向に向けてもらいたいと都合の良い事を考える。しかし、「可能性」しか誇るものの無い未熟をもっぱらの少年少女たちにとって、そんな「おためごかし」はなかなか通じない。通じないのを無理に力ずくで圧殺したのでは、「焼けボックイに火」、その不燃のくすぶりがますます内圧を高めて大爆発を招来するだけ。締め付けが強ければ強い程爆発力が高まることは、爆発物の威力特性と原理を全く同じうする。
どうだろう?、ダメダメとばかり言わないで、大の大人が中に入れてもらって一緒にこの「卒業パレード」に参加してみては?。若い先生などが入るのも面白いかもしれない(日頃の関係がよくて受け入れられる人に限られるが)。少なくとも、機動隊が取り囲んで威嚇したり、各中学校の校長先生が監視に行ったりすれば悲壮感とヒロイズムをたかぶらせて益々もって逆効果、愚の骨頂というものであろう。彼らのオモウツボになること請け合いだ。
矢じりの先にちょっとした鼻薬を塗る知恵が必要だ。それは、彼らへの愛情の深さでもある。こうなったのも、肝心の「愛情」が不足していたためだったのだろうから。

 

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健康保持のためにぶらぶらとウォーキングをやっている。自宅から半径4,5キロ圏内に散在するコンビニエンス・ストアはその際の水分補給基地として実にありがたい存在である。特に夏場は、コンビニはオアシスである。

その「オアシス」のコンビニだが、系列によらず、店内照明の明るさとも無縁に無愛想だ。アルバイトの青年男女店員にあってはパターン化された用語で必要最低限の対話で済ますだけ。外国人である場合にはパターンは一本橋を渡る類のもの。たまたまオーナーと思しき大人が居れば一様にくたびれている。

この我が縄張りの中にあるコンビニ群、それらはその縄張り範囲内にあった少なからざる三文商いの家内商店群、それらは戦前又は戦後以来細々と続いてきたものであったが、その全てを廃業に追いやった勝者たちでもある。と同時に、そのほとんどは廃業させられる前に身を挺してコンビニオーナーに変身し勝利した人たちだ。おかげで、経営的に見れば家業の存続に成功をおさめた勝者である。地区大会では勝利したものの、因果応報?、今、人手不足と過重労働と販売促進の二重三重の修羅場に苦しんでいる。

ここにわかに、コンビニ問題の象徴のようにセブンイレブン加盟店の24時間営業が社会問題になっている。本社とフランチャイズ店主との間で風雲急を告げている。筆者にとってコンビニは夏場に特にオアシスに見えてくるありがたい存在だから勝ち負けは一応無縁だが、その経営者たちが目に見えて疲弊していて、一様に暗い顔をしているというのは不健全で気にかかる。何とかしなくてはならないのは今や国民的テーマではないかとさえ思う。

先には、レオパレスがオーナーと本社との間で食うものと食われるものの弱肉強食の関係が「不正を介して」実行されていたことが判明している。コンビニ問題も、見ようによって、コンビニ本社の商品を強制的に買わされる個人経営者と、それを叉買いしている客という我ら利用客は、コンビニ本社が持っているビッグデータという神に替わるAI情報の託宣に支配されている「駒(プレイヤー)」ということになるらしい。

どうりで、昔々村々にあった三文商いのあの懐かしさは有り得べくもない。店員は必要以外の口はきかず、店主は疲れ切って、黙々と商品棚から棚卸作業に追われている。上部機構の都合で夜中に送られてくる品ぞろえのために徹夜で店を開けておく。外には家にいられない少年少女が、誘蛾灯に集まる夏の虫たちよろしく群れている。

コンビニが無くなって困るのは、まず筆者と、家が楽しくない少年少女たち、アルバイトの青年達、そしてコンビニを経営する商社、最後にお店の商店主という順だろうか。

これらの全部とは言わないが、三方一両損ぐらいのところで手が打てないものか? 大企業コンビニ経営商社のAIシステムから、大岡越前守の知恵は出てこないのだろうか??


 

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大阪府の松井一郎知事(大阪維新の会代表)と大阪市の吉村洋文市長(同政調会長)は、公明党との交渉が決裂して実現が困難になった大阪都構想を強引に推進させるとして共に辞職し、知事・市長の立場を入れ替えて出馬することを正式表明したという。己の野心を実現せんがために法の隙間を利用する。これこそ、住民無視・政治の私物化・党利党略以外の何物でもない。
大阪では、すでに先の2015517日「大阪都構想」なるものについて賛否を問う住民投票を行っていて、僅少差とはいえ「反対」が「賛成」を凌駕し、時の府知事が敗北し引責辞任している。あれから今日までまだ4年に満たない。件の「構想」がかりに百歩譲って良いものであったとしても、新たな情勢変化が無ければ原理的に民意は変わらないとしなくてはならない。そう論理的思考するのが真っ当な判断というものである。これは真っ当ではない。
勝つまでやらないと気がおさまらないというのでは、それは仇討ち・子供の喧嘩、はたまた「傘碁」の落語噺、「善の実践」たるべき政治にはならない。率直に言って、ならない政治をならせているところが、近年の大阪府政・市政の歴史であった。
そもそも「大阪都構想」なるものは大阪府政と大阪市政の二重行政が非効率だということから始まった。たしかに、数多の政令都市の中でも大阪市はオール大阪府の中におけるシェアが大きいので二重行政となるのは問題があるだろう。そうであれば国と府行政の中で工夫していけばよいはずではないか?。結党のワンポイントイッシュウが「大阪都構想」であったからこれに固執するのであろうが、他にも解決策が無いというものでもなかろうに・・・。
この度の判断は、友党である自民党幹事長からすらも「思い上がりだ!」と批判されているという。その幹事長氏にはまた別の思惑も有りそうだから多少値引きするとしても、その評価はむべなるかなである。
そもそも京阪神工業地帯の中心都市大阪の生産力は、大阪万博を最後に80年代から急激に衰退に入り、日本は東京・大阪の二眼レフ国家から大阪が欠け落ちることで一眼レフへと構造変化してしまった。大阪は文字通り世紀末のお笑い芸人文化の街と化し、日本経済の弱体化の一因ともなっていった。
いまや、安倍晋三氏の悲願「改憲」を共にする大阪府市の首長を援護すべく苦しまぎれに考え出したのが再度の万博と隣地のIR施設という。70年万博が重工業都市大坂の終焉からお笑い芸人の大阪に変わったように、よもや2025年万博によって「バクチと遊興都市大阪」になろうというのでもあるまい。
もう一度、「大阪」には、江戸時代に見せたはなやかな「大坂」、橋下府政が破壊してしまったあの香り高い文化と知性の「大坂」を蘇らせてほしいものである。

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