|
あの時こうしていたらと人間後悔は尽きないものですが
人生は過ぎ去った時は存在しないとさっさと過去は捨てて
忘れて今ここを生きるのが賢明な生き方なのではないかと思います。
毎朝そんなことを気づかせてくれる白老八幡神社の
この立て看板にありがとう!であります。
なんだかわかりませんが、、
歳のせいなのかも知れませんが
この頃良いことも悪いことも
やって来ることはだいたいありがたいと感じることが多く、
「雨降らば降れ、風吹かば吹け」の一休道歌の意味がわかったような、、、。
愛する一休さんの歌を今再び読むと
若いころとは違う感銘と共感を得ている自分に驚いています。
やっぱり歳はとるもんですねえ。
ここでしか味わえないものがあるものですから。
今日は朝から曇っていました。
これらの写真は昨日の朝5時半ごろのものです。
肉体の病と言うものはある意味分かりやすく
直し方も道筋が立ちやすいものですが、
心の病はつかみどころがなく
なかなか一筋縄ではいかないことが多いものです。
私の内側の闇、深い傷は多分幼児期から10歳ぐらいまでに
形成され、中学生時代には父親に対する強烈な殺意の嵐が
吹き荒れ、その感情を押し殺すのに精神をすり減らす日々が続いたものです。
その傷は深く、今もそれを乗り越えるのが
ある意味自分の人生の目的にもなっているのです。
ただ父親との葛藤そのものは多分もうだいぶ前に乗り越えた気がします。
しかし傷が深かったため完全に癒えるのにはあることをなしえなければ
ならないのを分かっているのです。
「本来の面目坊の立ち姿」(一休道歌)に到ることが
病の癒える道でもあるわけです。
それが形は違うのですが、内面的にはほとんどそっくりな傷に
今も深く深く苦しめられている人が近くにいたのを
つい最近知ることとなり、驚くばかりです。
吹き荒れる殺意について初めて同じ経験の人間と
語り合い、内なる闇の深さと引き寄せられる似た魂に
なんとも言えない感覚に浸る自分を見ました。
人生は不思議ですね、出会いもまた不思議です。
このいろんな苦しみも含めて人生は面白く味わい深いものです。
エドガー・ケーシーのある人の悩みに対しての言葉
「あなたが冷たくされていると感じるとき、それはあなたが冷たいということだ」
父親から受けた苦しみはもし内側にそれを感じるものがなければ
苦しみにはならなかった。
だからそれは自分のことなのだと知れ!と。
自分の中のそいつに会わせるために父親がいただけなのだ。
父親に感謝こそすれ、憎しみなぞもってのほか、、
お前は何様?
大海の一滴のような私たちがほんの一瞬の人生で出会う人々は
とても近い存在、逃げても逃げられない魂の兄弟とも言える人々なのです。
感謝して今とここでのほんのひと時の出会いを大事にしていきたい。
ああしかし、、
寒い、、、、
人との出会いより暖かさと出会いたいとか。
ついに寒さに耐え切れず、、ストーブのスイッチに手が・・・・・
今夜から全道大荒れのようです。
こんな時はなるべく家で静かにしていましょうね。 |
病気と健康
[ リスト ]



