いきいき4・6

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体罰は日本の伝統?

このごろ、体罰について、いろいろと議論がありますが、
施 光恒氏の文章、少し長のですが、なるほどねと思いましたので
そのまま転載させていただきました。

______________________________☆

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
 
おはようございます(^_^)/

最近、何かと「体罰」が話題になっていますね。

周囲の学生などに訊くと、「体罰は日本の伝統」だと考えている子が多いようです。
マスコミの議論でも、体罰は、「日本型組織運営の伝統」
などと断定しているものを見かけました。

これ、間違いです。
(`・ω・´)キリッ


体罰は日本の伝統なんかではありません。
むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、
欧米人に驚かれることが多かったのです。
つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあるといえるでしょう。


渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)では、
日本の温和な子育てについて、昔の多くの欧米人の記述が引用されています。

たとえば、戦国時代(16世紀)に日本を訪れた
ポルトガル出身の宣教師フロイスは次のように記しています。

「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは滅多におこなわれない。
ただ言葉によって譴責するだけである」。


江戸時代以降でも同じだったようです。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。
子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、
家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも
子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」
(18世紀後半に日本を訪れたスェーデン人ツュンベリ)。

「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、
手で打つことなどとてもできることではないくらいである」
(19世紀前半の日本を訪れたオランダ人フィッセル)。

「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。
世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、
そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」
(19世紀後半(明治初期)の日本をみたアメリカ人モース)。


実際、江戸時代の子育ては、非常に温和で、子供を大事にしたようですね。
( ^^)/(^^) ナデナテ
「溺愛」といっていいほど子供をかわいがり、
その一方で子育てに対する人々の知的関心も庶民にいたるまで高く、
数多くの育児書が出版されていました
(中江和恵『江戸の子育て』(文春新書、2003年))

日本における体罰の歴史を研究した江森一郎氏によると、
江戸時代の始め(17世紀前半)ごろから、
日本人は、家庭や学校(寺子屋など)で体罰をほぼ用いなくなったそうです
(『体罰の社会史』新曜社、1989年)。

上記で触れた日本を訪れた欧米人の言葉からもわかるように、
同時代の欧米や中国ではムチで打つなどの体罰がさかんだったため、
体罰の少なさは、日本のしつけや教育の際立った特徴でした。

江森氏は、庶民教育を担った寺子屋では、罰として、
居残りさせたり、立たせたりすることは行われていたようですが、
体罰は非常に少なかったと推測しています。

藩校など武士の教育機関でも、同様だったようです。
武士は誇りを重んじ、体罰は体面を傷つけると考えられたことから、
武士の教育でも体罰はあまり用いられなかったというわけです。



江森氏は、「武士のモラルがわかり興味深い話」として次のエピソードを紹介しています。

明治六年に、できたばかりの日本の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)は、
英国海軍少佐ドークラスを招聘し「新兵学寮規則」を制定しました。
ただ、その際、佐賀藩士出身の校長・中牟田倉之助は、英海軍式の鉄拳制裁を、
「武士の伝統と作法を説き、頑として受け付けなかった」そうです。
(江森氏が参照している元ネタは、鎌田芳朗『海軍兵学校物語』(原書房、1979年))

つまり江戸時代には、庶民も武士も、子供への体罰を強く嫌っていたといえるでしょう。



明治12年(1879年)に教育令が定められるのですが、
そこには「凡そ学校に於ては、生徒に体罰を加うべからず」
(第46条)と体罰禁止規定が明文化されました。

日本が体罰禁止規定を法文化したのは、欧米の大多数の国々よりむしろ早かったのです。
江森氏によれば、「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、
(日本の)教育令の規定より8年遅れている」のですから。

日本の学校で体罰が結構みられるようになったのは、
1930年代から第二次大戦中にかけてのようです。
近代化が進み、江戸の記憶が薄れてきたころから、
まず日本の軍隊が徐々に変質し、鉄拳制裁が行われるようになった。

そして、その影響が、学校での軍事教練などを通じて、
次第に、1930年あたりから学校教育の現場に伝わった。そのように描けるのかもしれません。


この点について、著名な文化人類学者・梅棹忠夫氏(1920年生まれ)は、
あるシンポジウムで、自身の体験にもとづき、
「一つの証言」として体罰について次のように述べていました。

「私は、1920年代に幼稚園、小学校教育を受けた、
まさに戦前の非民主主義教育を受けた人間ですけれども、
私の記憶の中には、たたかれたという記憶は一切ありません。

…体罰というのは考えたこともない。全然ありません。
…日本はもともと幼児に対する観念が(欧米などと)非常に違うんだ。たたいたりはしない」
(梅棹忠夫・栗田靖之編『知と教養の文明学』中央公論社、1991年)。


同じシンポジウムで、日本政治思想史の研究者・渡辺浩氏も次のように述べています。

「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、
それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。
明治時代にはやらなかったというのです。

それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。
侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。
侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。
そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。
たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。

軍隊の私刑は…、…むしろ武士的なものがなくなってから
軍隊ではじまったんだという説があるのです。
それが1930年代になったら、学校教育へ還流してきたと言えるのかもしれません」(同上書)。



戦後は、どうなんでしょう。

読者の皆様のなかにも、個人的体験から、「結構、先生にたたかれた」という人、
あるいは逆に「ほとんどたたかれたりしなかった」という人が、
それぞれいらっしゃるんではないかと思います。

一般的には、日本の家庭や学校でのしつけや教育(特に初等教育)は、
意外だと思われるかもしれませんが、
欧米と比較して、温和で、情緒や人間関係を大切にし、非権威主義的だと言えるようです。

たとえば、アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、
現代日本の学校教育、特に初等教育をとても高く評価しています。

ルイス氏は、日本の親や教師は、アメリカに比べて、
頭ごなしに命令したりルールを押し付けたりするなど権威主義的にふるまうことが少なく、
子供の自発性を大切にしている、学業面だけではなく
情緒や共感性や意欲など全人格的発達を重視している、と論じています。

また、そういう日本の教育の良さは、
江戸時代以来の日本の伝統的な子ども観や教育観の影響が大きいとルイス氏は述べています
(土居健郎、キャサリン・ルイス『甘えと教育と日本文化』PHP研究所、2005年。)




***
えーと、結局、何を言いたいかといえば、体罰は日本の伝統とは言えない、
日本のしつけや教育の伝統はまんざら捨てたもんじゃなく、
誇るべきものがある、ということです。

経済の議論でよくみられますが、どうも日本の議論というのは、
「悪いのは日本の文化や伝統だ! それをとっぱらい、
世界に学んで、もっと合理的にしていくべきだ!
 良いものは日本の外にある!!」というようなのが多い気がするので、
そうとは言えない例も大いにあるぞ、と言いたかったのでした。
f(^_^)ポリポリ

いつもながら長々と失礼しましたm(__)m

______________________________☆





「潜水服は蝶の夢を見る」日本版予告編


うぃきより・・・・・
世界最大手のファッション誌『ELLE誌』の編集長であるジャン=ドミニック・ボービーは、ある日、長男を乗せて新車を試乗中脳溢血に襲われたが、 一命を取り留め、リハビリのためパリから北部海岸の街ベルク(Berck)の療養所へと移床される。
3週間におよぶ昏睡の後、意識と記憶は回復し、音は聞こえるが、言葉を発することはできず、全身に亘っての重度の麻痺が残った、閉じこめ症候群Locked-In syndrome)の状態になってしまった。
全身の運動機能を完全に失ってしまった現在、唯一動かせたのは左目のまぶたのみだった。
絶望の後、彼は、左目のまばたきのみで、自伝を書くことを決意する。。。




ふと目覚めたとき、自分がその立場だったら、、、絶望してもそれすら伝えられない、、、。

大変深い意味を含んだ、実話を元にした作品です。
感銘を受けました。
おすすめです。




温めあう

牛への愛情たっぷりな作品を観ると、あったかくなれます。
近ごろおすすめ版画家です。
酪農の仕事をしながら作品作りをやっている”つわもの”です。



冨田美穂さんのプロフィール(ブログのプロフィールより)

1979年東京都生まれ
2004年武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画コース卒業
それ以降、北海道で牛にかかわりながら、牛の版画を作っています。

2008年から、中標津町佐伯農場にある、「荒川版画美術館」で作品を展示させてもらっています。
2010年の10月に、中標津町の東一条ギャラリーで個展を開きました。




Older: 札幌、GalleryRetara での個展のお知らせ。←お近くの方、是非!!
http://usinotumuji.blog28.fc2.com/blog-entry-166.html


今日のブログの「温めあう」のスケッチがほのぼのとしていて、
是非皆さんにも観てもらいたくなりました。

http://blog-imgs-48.fc2.com/u/s/i/usinotumuji/usi024.jpg
子牛たんぽ、猫たんぽ。


木版画作品


http://blog-imgs-42.fc2.com/u/s/i/usinotumuji/20100423132424360.jpg
部分

シナベニヤに彫刻刀で彫って、ばれんで和紙に刷っています。


http://blog-imgs-42.fc2.com/u/s/i/usinotumuji/20100423142828315.jpg
「388正面図」 2007 133cm×69cm 板目木版画

よく牛舎の388のところに行きました。
言葉は通じないけれど、388はただ、その黒くて大きい瞳で見ていてくれました。
それが、私には、なによりありがたかったものです。


http://blog-imgs-42.fc2.com/u/s/i/usinotumuji/20100423135545f39.jpg
388乳(搾乳後) 板目木版 43.5cm×32cm 2008

388のお乳を後ろから見た、多色刷り油性板目木版。
朝と夕方の搾乳の、合間の時間帯なので、お乳がしょんぼりしてます。
搾乳前にはぱんっと張ります。ふつうは。
388はけっこう乳牛にしてはお年寄りなので、さほどでもないですが。
そのうちぱんぱんお乳の作品も作りたいものです
__________________________________

私なんぞ批評できるようなものではありませんが、
応援しています。

中標津では佐伯農場の中にある荒川美術館に展示してありますので
あちら方面に行かれるときには寄ってみて下さい。

うしのつむじ→http://usinotumuji.blog28.fc2.com/

大鵬記念館にて

19日、大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜(なや・こうき)さんが亡くなりました。
心室頻拍ということでした。

カラフトに生まれ、幼い頃に父と離別し、樺太から引き揚げて北海道を転々としながら母親に育てられた。入門したのは「白い米が腹いっぱい食えると聞いたから」

子供時代を過ごした弟子屈(テシカガ)には大鵬記念館があります

ちょっと前、ええっと、かれこれ20年以上前ですがその記念館に行った時、
たまたま大鵬さんが来ていて、事務所みたいなところで写真を撮らせてもらいました。

おかげで一生の思い出になりました、アリガトウゴザイマス。
イメージ 1

昭和もかなり遠くなりました。

ご冥福をお祈りします・・・・・・・



すべて生きてるね!

日本全国真冬の寒さの真冬です。
マァフユですからあきらめましょう。

先日、恒例「喫茶休養林」での歌声がありました。
正月らしく山椒魚あるじさんと女将さんとの三味線とお琴の合奏が
ありまして、わたくし動画撮ったのですが、アップはまかりならんと言うことで
写真だけ、、、

お琴の音には心を揺らす何かがありますね。
イメージ 1
女将さん、まだはじめて間もないということでしたが、なかなかどうして妙なる音色でした。



イメージ 2



毎回、歌声喫茶だけでなく何が飛び出すかわからない、なんでもOK!の
ミニミニコンサートがあるのですが、来月はコインランドリーしろくまの二階の
「欠陥人」グループのエレキギターの方が演奏を披露してくれるとのことです。


私の家は高台にありますが、冬場は製紙工場の煙突と前の丘に阻まれて
日の出直後を見ることは出来ません。
20〜30分経ってやっと見えてきます。
イメージ 3


イメージ 4


こういう捻じ曲がった木に人生の険しさを感じたりしませんか、、、。
こんな木たちに共感する自分もいます。
イメージ 5


野菜の高騰で新鮮野菜の摂取が少なくなりがちのこの頃、
豆苗の三番草であります。

刈られてもめげずにすっと伸びる草にも共感します。

イメージ 6

イメージ 7

たくましく伸びる豆苗の新芽です。



去年の今頃のブログを見直していましたが、
やっぱり寒かった。

寒さの写真をいろいろ撮っていましたが、今月中は中標津でしたから、
白老ではあんな写真は撮れないなと、、、。

まだコインランドリーしろくまは影も形も無く、白老の人はここに何かが出来ることも知らない頃です。
それが今、普通にある不思議さ!

去年の2月1日に中標津を発ち白老に来てまもなく一年。
いろいろありました。
詰まってますが、長かったか短かったかは判然としません。


何事もうまくいっているわけではありませんが、
乗り越えられない山や谷はなく、
物事はよい方向に自然と向かうという確信が常にあります。

困難はいつもよい方向に向かわせるために与えられてるような気がしています。

いろんなことが同時に進行していつ訪れるかわからない死へと
向かっていることだけは確かです。
不吉な意味ではなく、死は日常ですし、必ず一度やってきますから。

その死を受け入れられるだけの人生を歩んでから来てほしいとは思いますが、、、。



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