オマーン 1

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さらばオマーン

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感傷に浸る間もなくオマーンを出てきてしまった。

出国が間近に迫った残り一ヶ月は目が回るほど忙しく、ほんとはもっとゆっくりと時間のゆとりを持って、行き残した場所などを訪問し、ビーチを散歩したりして老後のじいさんのように過ごしたかったのだけど、そんな余裕はまったくなく、ブログの更新もままならなかった。
そういうことで、みなさんのコメントに返事ができなくて、また訪問もできなくてごめんなさい。

最後は仕事の追い込みと引っ越し作業でケツに火がつきまくり、しかしそんな状態でも誘われたバーベキューなどにはいそいそと出かけてしまい、それでさらに火がついて、いよいよ今日がオマーン最後の日となっても引っ越し準備が終わっていなかった。
しかも仕事さえも終わってなくて、「これは飛行機に乗るまでに本当に終わるのだろうか」と未整理の荷物を見て呆然としたりした。
しかし「やっぱ次の便で」というわけにもいかず、猛然と鬼足を使って追い込んだ。

そんな気が狂うほどの忙しさの中でも、やや感傷的になった瞬間が2回あった。

1回は、職場で自分の机を片付けていて、自分が作った多くの図面や資料を整理しているときだった。
図面を描いたときの情景や周りにいたスタッフ、また現場に行って汗を流しながら調査したときのことなどが急に思い出された。
「この2年間、おれもがんばったじゃないか」という感情がどんと湧いてきた。

もう1回は、出発当日、住んでいたマンションの荷物をようやく片付けて、車にスーツケースを詰めて、会社のオフィスに向かうときだった。
すでに飛行機の出発2時間前ぐらいになっていたにもかかわらず、その段階においてもまだ会社でちょっとした打ち合わせがあった。
時間は夜の9時だった。
いつもの通い慣れた道を通って、会社に向かった。
昼間の強烈な太陽は既に沈んで、車のライトと、街灯が代わりに夜の町を照らした。
いつも足を運んだスーパーマーケットや、一時期住んだことのあるマンションの近くを通った。
ぼくは頭の中で飛行機に乗るまでの段取りをあれこれと考えていた。

そのとき、隣の助手席に座っていた妻が、鼻をすすりだした。
彼女は、泣いていた。
膝の上にリュックが乗っていた。
ぼくは、「またなにか怒らせるようなことを言ってしまったかな」と思い当たる節をすばやく探した。
「どうしたの」と妻にきいた。
妻は、涙をふきながら言った。
「ここに来たときも、このカバンだったなと思って」と膝の上のリュックをさわった。
妻がオマーンに来たときも、夜のこの時間だった。
そしてそのリュックを背負って、オマーンに降り立ったのだった。
たぶん、不安一杯だったに違いない。
それから約2年、彼女は不慣れな土地でなんとかがんばってきたのだ。
急にぼくもいろいろなことが思い出された。
じーんとしてしまった。
車は、夜の町の丘を越え、もう2度と来ることはないだろう景色を次々と後ろに送り去った。
「そうだな、2年間、よくやった」ぼくは言った。
妻は涙を押さえていた。
ぼくはもう一度言った。
「よくやった」
ほんとうは、「ありがとう、長い間」と言いたかったけど、それを言うと自分も泣いてしまいそうだったので、また「よくやった」と言った。

そしてオマーンを去った。

今、ぼくはタイにいる。
日本に帰る途中、一泊だけ立ち寄ったのだ。
オマーンで知り合いになったダニエルさん一家が今はタイに住んでいるので、好意に甘えて泊まらせてもらっている。
ぼくはオマーンの暑さに慣れているので、タイの暑さなどは軽い軽いとなめていたのだけど、とんでもない間違いだった。
蒸し暑いのだ。
しかしこれを書いている今は夜の涼しい風が家の中に入ってきて、とても気持ちがいい。

タイは人間がうようよとうごめいていて、あちこちにコテコテの屋台があり、いかにもアジアな雑然としたエネルギーに充ち満ちていて、とてもおもしろいところだ。
いつかゆっくり来たいなと思う。

本日ここに一泊させてもらって、明日の夜、日本に帰る。

また、落ち着いたらいろいろと更新したいなと思います。
もう少しだけお付き合い下さい。

百里の道はどこまでも

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オマーンでの任務を終えて近々日本に帰国する大使館勤務のある方が、
「『百里の道は九十九里をもって半ばとす』という言葉があるように、わしらはもうすぐ帰るけど、気を引き締めんといかんなと思ってるんです」
とおっしゃっていた。

その方は警察官で、オマーンの大使館の警備を担当していた。
日本に帰ると、地元の県警に復職する。
家族を連れて3年間オマーンで過ごしたその方は、おまわりさんらしく武道で鍛えたがっしりした体と、押しの強い大きな声で明確にそのように言って、「家族にもそのように言い含めているんです」と語った。
一本気で実直で力強いその方から目をびしっと見られてそういう言葉をきかされると、ずんと腹にこたえる説得力があった。

ぼくも「そうだそうだ、そのとおりだ」と思った。
オマーン滞在の2年間、短い間ではあったけど、妻共々なんとか無事にここまで来た。
ここで油断して怪我や病気などをしたら、せっかく順調に来たこの2年間にけちをつけてしまう。
帰国に浮かれて足下をすくわれるようなことがあってはならない。
百里の道は九十九里をもって半ばとす、うむ、昔の人はいいこと言うなあ、と含蓄をかみしめていると、妻から電話があった。
「事故った」という。
妻が同乗していた車が衝突した。
九十九里の道が受話器の向こうで消し飛んだ。
怪我はないけど、首が痛いので病院に連れて行ってほしいと妻の声が受話器から聞こえてきた。
怪我がないと聞いてほっとしたけど、妻は首に弱点がある。
以前ムチウチをやっていて、なんか衝撃があると、すぐに首が痛くなるのだ。

事故は細い路地の交差点で起きた。
妻は助手席に座っていて、本来は交差点の前で一旦停止すべきであったその車は、そのままのスピードで交差点に入った。
そこにスクールバスが走っていて、その横っ腹にどすっとぶつかった。

妻は「あーっ、ぶ・つ・か・る・ー」と、スローモーションでスクールバスへ近づく車と衝突を感じたという。
細い道だったからスピードがさほど出ていなくて衝突してもエアバッグが作動しない程度のものだったけど、それでも乗っていた車の前がぐしゃっとなった。
「廃車かもしれないですね」と事故後の車を見た人が言ったほどのつぶれようだった。

トヨタのプラドというランクルより一回り小さい四駆で、普通の乗用車よりはるかに丈夫な作りだったのがよかった。
車の前部がつぶれたものの、中に乗っている人は無事だった。
スクールバスの方も、生徒は無事だった。
ただ一人、妻だけがムチウチになった。

妻からの電話を受けて家に帰ると、妻は首を曲げられなくてロボットのように動いていた。
「ぶつかったときは平気だったんだけど、家に帰ってきたら痛くなって。あいたた。あいたたた」
妙に首筋を伸ばして、鶴みたいになって「いたたた」と言っている。
念のため病院に行った。
特に異常はなく「心配いりません。2〜3日すれば治りますよ」と先生はレントゲン写真をさらっと見てから言った。
しかしもともと首が悪いから、そんなに早くは治らないだろう。

この国で初めて受診するので、病院に行く前に友人のシンシアにいろいろと尋ねた。
シンシアは妻が事故に遭ったことを聞いて驚いていた。
でもシンシアがそのあと言ったことをを聞いてぼくらはもっと驚いた。

「事故にあったの!大丈夫?実は、私も今日事故に遭ったの」

シンシアが車を運転していたところ、路上駐車中の車のドアが突然開き、避けきれなかったシンシアはそれにぶつかってしまったという。
怪我はなかったが、車が傷ついた。

実はシンシアはその事故の直前、ぼくの妻に電話をかけていっしょにお茶を飲みに行こうとしていた。
ところが妻がどういうわけか電話に出なかったので、一人で出かけた。
事故はその後に起きた。
そのときシンシアは「よかった、私一人で来ていて。もしいっしょに来ていたら、怪我をさせちゃったかもしれないわ」と思ったという。
ところが妻は別の場所で事故に遭っていたのだ。
つまり、ぼくの妻はその日どこに出かけていても事故に遭ったとも言える。
妻は車がないので、出かけるときはだれかの車に同乗するしかないからだ。

気をつけなければいけない。
いやらしい悪魔は人が油断したときにそれを逃さずぶちゅうと付け入るのだ。
「あいつらをいじめてやれ、いひひひひひ」と矢印みたいに尖ったしっぽを振って喜んでいるのだ。

妻はその日は首が痛くて服を脱ぐこともパジャマを着ることもできず、横になることもできなかったので手を貸した。
まるで老人介護のようだった。

パジャマを履かすときに足の裏をくすぐってやると「ひゃははははは!やめて。いた。いた痛たたたたた」と首固定の直立不動で笑ったり痛がったりしていた。

百里の道は九十九里を持って半ばとす、まさにそのとおりなのだ。

ウミガメサンバ

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がりっと暑い休日の一日、残り少ないオマーンの日々を満喫しようと海にでかけた。

日本に戻れば気軽にちょっと海水浴でもというわけにはいかないので、今のうちにこんがりひまわり太陽の下の青いきれいな海で泳いでおくのだ。

ここはマスカット市内にあるまったく都市近郊ビーチなのだけど、それなりに魚もおり、ちょっとでかけて水遊びするにはもってこいだ。

海際の白い砂が目に眩しい。
海に入っている地元民数人、岩の上で釣りをしている人が数人、それ以外は浜と海と空、がらんと開放的で気持ちいい。
あち熱ちあちと白い砂の上を駆けて海に飛び込む。
白砂の上に波打つ海の水が透き通った青色で清涼そのものだ。

実はこのビーチにはウミガメがいるのだ。
オマーンのアラビア海に面する海岸線はところどころウミガメの産卵地となっており、それはマスカットから数百キロほど離れているのだけど、そういうところで生まれたカメがふわりふわりとこのあたりまで泳いでくるのだろう。

最初このビーチで泳いでいてウミガメを見たときはびっくりした。
ウミガメがこのあたりにいるということは聞いていたけど、そういうものと出会えるのはよほどの幸運だろうと思っていたのだ。
ところが泳いだ初日にさっそくウミガメと出くわした。

このビーチは砂を巻き上げるためかそれほど透明度が高くないのだけど、ある日ゆっくりとシュノーケリングしていると、薄暗く曇った水の先から、突然大きな黒い影が現れた。
ぼんやりと丸い影は、人間でも魚でもない、なにものかであった。
ぼくは水中で「もがあああ!」と動転した。
それは相当な巨大生物に見えた。
ぼくはダッシュで逃げようとして突発的破滅的三段跳び選手のように海面で手足をばたつかせた。
しかしその黒い影は優雅にすいーすいーと水中を進んだ。
ぼくは恐怖に引き吊った目でその黒い影を見た。
影はバナナのようなスリムな手足があり、泳いでいた。
ウミガメだった。
黒い影はとても大きく見えたけど、実態がわかるとそれほど大きくなかった。
完全に成長する前の、若者ぐらいのカメだった。
それがすいすいと青い海を泳ぎ、またぼんやりと影になって薄青い不透明な水の中へ消えていった。
ぼくは水中でまだドキドキしていた。

その後足繁くこのビーチへ来ることによってウミガメを何回も目撃し、その発見場所や生態などからどうもここに3匹ぐらいのウミガメが生息しているように思われた。
当時はここに来るたびに水中で「どうもカメさん」とご挨拶し、しばらくウミガメと水中を泳いだりした。

しかしそれから2年が経ち、時を追うごとに魚が減ってきたような気配があった。
それは釣りや漁や水の汚染などの複合的な原因によるものだと思うけど、魚と同様にウミガメも以前ほど見ることがなくなってしまった。

そして今日、ビーチに来るとひさしぶりのウミガメがいたのだ。
浜から海面を見ていると、ウミガメが息継ぎで凪いだ水面に顔を出すのが見えた。
「おっ!いたいた!」
ぼくらはウミガメがぽっこりと顔を出したあたりめがけて泳いだ。
水中眼鏡を通して海の中をきょろきょろと探すのだけど、ウミガメはいなかった。
ウミガメだってそれほどバカじゃないので、間抜けな人間にうまうまと見つかるわけがないのだ。

結局その日はウミガメを水中で捕らえることなく、ぼくらは背中真っ赤日焼けの人となって探索を打ち切った。
「ウミガメと泳ぎたかったなあ」妻は残念そうに言った。
「まあ、こんなもんだ」
ぼくらは熱い海風に背中を押されるようにあちあちあちと家路についた。

踊る砂

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オマーン中央部に崩れた目玉焼きのようにべったりのっぺりと広がる乾燥内陸地帯の水源調査を終えたあと、その地域をつなぐ唯一の道にぽつりとあるガソリンスタンドに着いたのはもう日も傾むきかけた夕方であった。

日中の暑さはすでにピークを去り、それでも30度後半ぐらいの気温だけど、真っ昼間の現場で頭上からじりじりと高熱にさらされたぼくらとしては、それだけで涼しさを感じていた。

太陽が高いときは風がなかったのに、いつ頃からか強い気流が砂を巻き上げていた。

ぼくはガソリンスタンドで給油しているとき、外に出てぼんやりと風景を眺めた。
風が吹くと地表付近の砂がさらさらと吹き流れ、アスファルトの上を低く川のようにうねりながら流れた。
地平線に目を移すと、舞い上がった砂で景色がぼんやりとして、一本道を走る車はまだ空が明るいにもかかわらずヘッドライトをつけて砂煙から自分の身を守っていた。
吹き荒れる砂風は辛抱強く生えている木々を横から叩いて引き攣らせ、あっという間に空を砂色に変えた。
太陽が砂で輪郭をおぼろにしながら斜めから照っていた。
世の中が砂に飲みこまれたようだった。

「この世の終わりみたいな風景だ」と鬼田くんがつぶやいた。

風が吹くと、砂が吹きつけてとても目を開けていられない。
思わず後ろを向いて目をかばうと、砂がふわふわと陽炎のように道路の上で踊っていた。
だれかがバックステージでスモークをたいているように、ゆらゆらと揺れてどこまでも漂った。

急いで帰らないと、暗くなってしまう。
こんなところで暗くなったら大変だ。
道はアスファルトでしっかりしているけど、明かりが一切ないのだ。
町はここから100km先までないし、街灯なんか全くない。
道に迷うことはないにしても、真っ暗闇でスピードを上げることができないのでさらに帰りが遅くなってしまう。
暗闇にまぎれてラクダなどが道路にひょろひょろと出てきたらとても危険だ。

ここから鬼田くんと運転を代わることにした。
鬼田くんはここまで初左ハンドルの練習として運転してきたけど、もうすでに朝から一日中走っているし、これからマスカットに戻るまで400km近く走るのは大変である。
鬼田くんはまだ左ハンドルに不慣れで、曲がろうとしてワイパーをしゃかしゃか動かしたり、ガソリンを入れようとしてバンパーをぼん!と開けてしまったり、40度を超す灼熱なのになぜか暖房を入れたり、なにかと笑わせてもらったが、これからは暗くなるのでバトンタッチした方が安心だ。

鬼田くんはどちらかというと慎重派であり、さらに初左ハンドルの運転と言うことでさらに輪をかけて慎重丁寧になっているので、どんなに道が空いていてもかなりゆったりと走る。
彼の手堅い性格を表していて安全でいいのだけど、道中は田舎のゆったりじいさんの運転するヨレヨレ車に抜かれたり、さらには路上教習中の仮免車にまで抜かれてしまったぐらいだった。
そのときはさすがに「鬼田くん、教習車に抜かされたよ」とコメントを申し述べた。
鬼田くんはハンドルを握りながら急速にへらへら化して、
「言わないでくださいよー。あの、追い抜く練習をさせてあげたんですよ」
と自分の言葉で納得し、さらに模範安全運転ゴールドカードの人となった。

現場からの帰り、立ち寄ったガソリンスタンドからも鬼田くんが運転したそうだったけど、ここはひとつ席を譲ってもらった。

アクセルをぐんと踏んで160kmで突っ走り、帰路についた。
太陽が沈み、それでもまだ明るさが残っているうちになんとか近くの町にたどりつき、完全に暗くなったときにはハイウェイが近かった。

家に着いて玄関で靴を脱ぐと、中から砂がじゃあとこぼれた。
靴下の中までざりざりと砂が入っていた。
現場では全然気がつかなかったけど、砂だらけの足でずっといたみたいだ。
子供の時の砂遊びを思い出した。

顔と腕が日焼けして、ひりひりと痛かった。

砂のホイホイ

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ベドウィンの黒鉄仮面のオババから牽引用のロープを借りたわれわれは、砂地で身動きがとれなくなったオランダ人コーネリスの車を助け出しに、現場に戻ろうとした。

コーネリスは、自分では砂地を運転できないから、だれか代わりに運転できる人を貸してくれないかとベドウィンのおじいさんに要望した。
大きな茄子のような鼻をした白髪のおじいさんは小屋から若い少年を呼び、おまえ行け、と命じた。
下着に腰巻き姿の少年は、体の線が細く、まだ中学生ぐらいに見えた。
彼は赤いターバンを海苔巻きのように頭のてっぺんからあごまで巻いていた。
顔に日が当たるのを避けているのだろう。
たしかに40度を超える凶暴な日差しはわれわれの肌にも容赦なく食いついていて、相当に熱かった。

海苔巻きターバン少年をつれてスタックした車のところに戻ると、少年はさっそくタイヤのまわりの砂をかきだし、タイヤの空気を少し抜いた。
砂との接地面を増やすためだ。
それからおもむろにハンドルを握ると、慣れた感じでアクセルを小刻みにふかし、車を少しずつ前と後ろに揺らすように操った。
そうすると砂に埋まっていたタイヤの前後の砂が徐々に広がってきた。
さすが砂育ちの地元民のやることはひと味違うのだ。
小技を使って、まず砂から抜け出す余地を広げた。

それからロープを車の下に結び、ぼくの車につないだ。
ぼくの車は4000ccの四駆でパワーがあり、これぐらいの砂ならば「そりゃそりゃそりゃ!」と進んでいくことができる。
スタックした車も四駆だけども2000ccの排気量なのでそのぐらいだとたちまち砂に搦め捕られて台所の隅に置かれているゴキブリホイホイのねばねば手足吸着万事休す状態になってしまう。

ぼくは運転席に座り、牽引する準備をした。
ミラーで見ると、すぐ後ろにスタックした車が見える。
ぼくの車とロープでつながれている。
ぼくは四駆のエンジンを徐々に上げた。
スタックした車を引っ張った。
タイヤが砂の上をぎゅうっと空転したあとすぐにがっちりと大地を噛むと、ごとりと動いた。
たちまちロープがぴんと張られ、その反動でぼくの車は後ろ髪をつかまれたように急に止まった。
「もう1回行くぞ!」
再びアクセルを踏んだ。
後ろの車が砂の上でもがいた。
エンジンがうなり、何回か引っ張るとスタックした車は砂を撒き散らせながら砂漠のずるずるゴキブリホイホイ状態から脱出した。
「よし、出たぞ!」ぼくらは声を上げた。

地元ベドウィンの助けによって砂から脱出したわれわれは、ついでに海苔巻き少年に村の水源を案内してもらった。
少年はコーネリスを横に乗せて運転し、やたらとだだっ広い大地を疾駆した。
このあたりは砂地地帯ではなく固い土の地面で走りやすい。
しかし、見渡す限り地平線の先までなんにもないのだ。海苔巻き少年の車が先導してくれなかったら、その先に村があることや井戸があることはわからなかったと思う。

この村の井戸はすべて塩水であった。
井戸から汲んだ水をコンクリート製の小さな池にためていた。
澄んだきれいな水だったけど、池に指をつけてなめてみたら、やっぱりしょっぱかった。
はっと気がつくと、ぼくが水をなめていた同じ池で、海苔巻き少年がサンダルをざばざば洗っていた。
「おまえそんなところで!今味見をしているのに!」と思ったが、もう遅い。
彼の足とサンダルで多少塩味が強くなったかもしれない。
よく見ると池には小型ゲンゴロウのような小さな虫がたくさん泳いでいた。

少年は足とサンダルを水場で洗うと頭からターバンをぱらりとはぎ取り、それを砂の上に敷いた。
その上に立って姿勢を正し、すぐに膝を折ってお祈りを始めた。
人も建物もない地平線まで続く平原に小さな布を敷き、やや傾きかけた日を浴びながら祈っている姿は、とても純粋な、侵しがたい光景であった。

海苔巻き少年の案内で村の水源を見て回り、少年とロープを家に戻すために引き返していると、砂の深いところで再び彼の車がタイヤをめりこませた。またもやスタックだ。
しかしわれわれはさきほどスタックから車を脱出させた実績がある。
心に余裕があった。
「またやったな」ぼくらは笑った。

今度は全員で車を押した。
車の鉄板が手に熱い。
それ以上に、頭上から降り注ぐ太陽光線がぎっちり隙間なく皮膚を焦がした。
少年がアクセルを踏んだ。
タイヤが砂を巻き上げた。
エンジンがうなりを上げる。
砂煙と巻き上がる粗い砂が、車を押している人を包んだ。
「うがっ!」
にゅるにゅると車が動いた。
「それっ!」
タイヤがようやく砂を噛み、ずずずずっと進んで、そこから一気に前に出た。
後ろで押していた人が、前への支えを失って砂の上につんのめった。
「脱出したぞ!」
車はそのままの勢いで砂の薄い地点まで進んだ。そこまで行けばもう安心だった。

ぼくらは汗を流し荒い息をつきながら、持参した水を飲んだ。
車に積んでいたペットボトルの水は、熱いぐらいになっていた。
こんなぬるくても、安心して飲める水が手元にあるのはありがたい。

砂地を乗り切り、無事海苔巻き少年を茅葺きの家へ送り届けたとき、すでに夕暮れが近づいていた。
いつしか風が強くなって、砂が霧のように舞っていた。

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