【正義】と【平和】

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 1648年12月28日、下院は国王裁判のための特別裁判所設置法案を提出し、3日後にはこれを可決、翌日、法案は上院に送付されたが、上院はこれを否決した。

 そこで下院は、「国民は神の下に全ての正当な権力の源泉であり、議会に集められたイングランドの平民達は国民によって選ばれ、国民を代表するものであるから、この国における最高の権力を持つ」と決議し、国王や上院の同意がなくとも、下院の決定は法律として有効であるとして、裁判所の設置を正式に決定した。

 ブラッドショウを議長とするこの裁判所は135名を委員として任命したが、その多くが拒否し、実際裁判に関係したのは60名ぐらいであった。裁判は1月20日から開始されることになった。
 
 その朝、国王の一行が裁判所に到着すると、クロムウェルは裁判官達に向かってこう訪ねた。

 「諸君、彼がやって来た。我々は国民全部の関心事である、大事業を達成しようとしているのだ。だから決めておかねばならない。国王が我々の前に現れたら、彼はきっと『汝はいかなる権威を職権とによって朕を裁くのか』と最初に尋ねるに違いない。いったい、これに何と応えたらよいのか」

 誰も即座に答えることはできなかった。ややあって、共和主義者のヘンリー・マーティンが答えた。
 
 「議会と、イングランドの善良なる人々の名において」と。
 
 そして裁判が始まった。裁判の仮定では、まず何よりも国王を裁くという未曾有の事態に、この裁判の合法性が問われた。

 チャールズ本人もこの法廷の権限を否定し、一切の答弁を拒否して、こう反論した。
 
 「これは朕だけの裁判ではない。イングランド人民の自由に関係する事柄なのだ。諸君がどう言い張ろうとも、朕は彼等の自由のために立つ。

 なぜなら法を持たない力が法律を作ることができ、王国の基本法を変えることができるなら、イングランドの住民の生命の安全は保証しえないからだ」
 
 「このチャールズ・ステュアートは専制君主であり、裏切り者であり、殺戮者であり、イングランド共和国の公敵、和解不能の敵である」という告発文が読まれた時、チャールズは笑いながらこれを聞き流した。

 3日の審理を終えた裁判所は、いったん休廷し、1月27日に国王の面前で判決を言い渡すことが決められた。改めて国王の罪状を調べるための証人喚問が、四日間に渡って行われた。

 しかし、チャールズは最後まで弁護を拒み、議会において主張を述べることを要求した。法廷はこの願いを却下し、遂に国王の死刑判決を言い渡した。

 裁判所におしかけた兵士や民衆の中からは、「死刑!死刑!」という叫びや、「神よ、国王を救いたまえ」という声が乱れとんでいたという。
 
 死刑判決文には、「チャールズはその恣意によって絶対的専制的に支配する権力をうちたて維持し、国民の権利と自由を覆そうとする悪意を抱き、議会と国民に代表されている国民に反逆し、不正な戦いをしかけた責任を追及する」と述べられていた。

 しかし、この国王裁判は、自らが反逆し、打倒した国王と王政に対する愛着を捨てきれない民衆達に極めて不評判であり、独立派と軍隊による独裁への警戒心は、否が応にも増していった。
 
 裁判官達は、国王を処刑するという空前の判決文に署名するのをためらい、最初は28人しか集まらなかった。これが最終的に59名まで増えたのは、クロムウェルの奔走によるものと言われている。

 彼は、逡巡していた一人の裁判官に対し、「王冠をつけたまま国王の首をはねよう」と語り、革命がもはや後戻りをすることができない所まで来ていることを国民に知らしめようとした。

 国王の処刑は、専制支配に対する戦いを挑んだ、自分達の行動の当然の帰結であった。そしてチャールズの首は、悪しき古き時代の終りの象徴となるであろう。


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