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H.036【真田丸】十六

 しかし、何故、毛利輝元は、所領を四分の一にされるという、減封を受け入れたのか。

 薩摩は、当主の島津義久ではなく、弟の義弘が、西軍に参戦していた。

 関ケ原の戦いの後、島津義弘は、薩摩に戻ると、国境を固めて、臨戦態勢を取ると同時に、家康に対して、和平交渉を行っている。その結果、薩摩は、西軍に属しながら、所領を安堵されている。

 関ケ原の戦いで敗北したとはいえ、毛利氏は、中国地方、百十数万石の大大名である。

 更に、上杉氏も、会津、百二十万石の大大名であった。

 いかに、徳川家が、二百数十万石を誇る、日本最高の大大名とはいえ、毛利と上杉が、領国に帰って、国境を固めれば、討伐するのは難しい。

 更に、豊臣恩顧の大名達は、徳川家の家臣になったわけではなく、石田三成が憎いがために、家康に味方したに過ぎない。その三成が、消えた後、彼等が、家康に従う、理由はないのである。

 毛利と上杉は、島津、土佐の長曾我部盛親と手を結んで、地方に割拠すれば、家康が、その全てを討伐することは、不可能であり、再び、乱世になることは、必定であった。

 戦国乱世に戻ることは、天下への野望を捨てていない、伊達政宗、黒田官兵衛などにとっては、望むところであったことは、間違いない。

 豊臣恩顧の大名達の去就によっては、逆に、徳川家が、滅ぼされる可能性さえ、十分にあったはずである。

 それでは、何故、毛利と上杉は、減封を受け入れたのか。

 一つは、最早、日本中が、戦国乱世に疲れ、平和な世を望んでいたためではないかと思われる。

 毛利輝元と上杉景勝には、天下への野心がないことは、明白であった。

 中国地方を征した、乱世の英雄、毛利元就は、輝元に対して、天下を望んではならぬと遺言していた。

 輝元は、自身に天下人の器量がないことを認めていた。

 上杉は、戦国の英雄、先代の謙信の時から、自身の欲望のために戦うことを戒め、「義」のためにのみ戦った。

 景勝は、単に、自領を守るという、「義」のない戦いに、天下の民を巻き込むことを望まなかったであろう。

 毛利と上杉は、天下のために、減封を受け入れたのかもしれない。

 時代の流れは、確実に、豊臣から徳川へと移った。

 毛利と上杉は、その「時代」に対し、敢えて、逆らうことを避けたのである。

 結果として、減封されたものの、彼等は、生き延びることができた。

 そして、徳川家康は、見事に「時代」の流れに乗り、新たな世、「徳川の世」を築き上げた。

 家康は、信幸、本多忠勝の助命嘆願を受け入れ、紀州の九度山村に幽閉する。

 昌幸は、流罪の身となっても、家康に勝利するための謀略を考え続ける。

 しかし、九度山村に流されて、九年後、昌幸は、死去した。

 死の間際、昌幸は、武田信玄の幻を見て、「親方様!」と叫んでいる。

 武田滅亡後の昌幸は、偉大なる戦国の英雄、武田信玄の背中を追い続けた。

 昌幸は、自身の若き日の武田信玄時代の栄光を取り戻すべく、戦い続けた。

 昌幸は、謀略と裏切りを重ねたが、後世、昌幸を、斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家の様な、「姦雄」と呼ぶ者はいない。

 ちなみに、草刈正雄は、2011年の『江』では、本多正信を演じていた。

 本作では、昌幸と並ぶ、謀略家は、家康の側近の正信であり、昌幸と正信の謀略の激突が、本作の魅力の一つであった。過去の作品で、正信を演じた、草刈正雄が、昌幸を演じたことが、大河ドラマの面白さであろう。

 一方、信幸は、家康に、昌幸と信繁の命を助ける代わりに、昌幸と父子の縁を切り、真田家の家督相続者に受け継がれる、「幸」の字を捨てるように命じられる。

 信幸は、「信之」に改名するが、読みは「のぶゆき」のままである。信之の意地であった。



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