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H.006【独眼竜政宗】五

 本作は、母のお東の方を追放し、小田原参陣を果たした後、登場人物が一変する。

 それまでは、伊達家を中心に、最上家と、奥羽の諸大名が中心であったが、豊臣秀吉・徳川家康・石田三成・豊臣秀次・蒲生氏郷・千利休・ねね・淀君など、全国区の人物が中心となる。

 伊達政宗は、小田原参陣に遅参したことを咎められるが、その後、豊臣秀吉に気に入られる。

 そして、奥州仕置によって、会津を召し上げられたものの、本領を安堵された。

 政宗は、表向きは、秀吉に臣従したものの、未だ、野心を捨てず、天下取りの隙を伺い続けることになる。

 政宗は、秀吉の家臣の石田三成、会津に入った、蒲生氏郷とは、そりが合わず、対立を続けることになる。

 秀吉は、葛西大崎一揆鎮圧のために、「独眼竜」の政宗と「麒麟」の異名を持つ、氏郷を競わせるが、その際、政宗は、一揆勢に気脈を通じたために、絶体絶命の危機に陥る。

 政宗が、夢にまで見た、初めての上洛は、秀吉に葛西大崎一揆勢と通じたことを、弁明するためになった。

 三成と氏郷は、政宗の一揆勢宛の書状を証拠として入手していたが、政宗は、その書状を偽者と主張する。

 自分自身の書いた、書状には、花押の「鶺鴒の眼」に、針で穴が開いているはずだと、臆面もなく、言ってのけるのである。無論、それは、偽りであった。

 しかし、秀吉は、開いているはずのない、「鶺鴒の眼」の穴を認め、政宗を許した。

 秀吉は、政宗の堂々たる弁明に、大いなる器量を認め、その才覚を愛したのである。

 政宗は、偽りと知りながら、敢えて、自分を許した、秀吉の器の大きさを認めざるを得なかった。

 彼は、豊臣秀吉、徳川家康等と接する内に、その器の大きさに感嘆し、自身の器量を磨かなければならぬことを自覚してゆく。

 「鶺鴒の眼」事件を切り抜けると、政宗は、巨大な黄金の十字架を背負って、生まれて初めて、入京を果たした。その派手な演出に、伊達政宗の名は、一気に京中に知れ渡った。

 草深い、奥州の田舎大名の名が、京の人々の口に上り、政宗は、一躍、全国区の人物になったのである。

 政宗は、京では、千利休に師事し、また、秀吉の甥で、関白の座を譲られた、豊臣秀次と昵懇の仲になった。

 しかし、三成などの讒言により、利休は切腹させられ、秀次は、その地位を追われ、一族郎党皆殺しになる。

 三成は、秀次と昵懇であった、伊達政宗・最上義光などの奥州諸大名を、謀反を企てたとして、断罪しようとするが、政宗は、辛くも窮地を脱する。

 豊臣秀吉が死ぬと、政宗は、三成と対立していたため、必然的に徳川家康に接近する。

 そして、家康の六男の松平忠輝と、政宗の長女のいろは姫が結婚し、伊達家は、徳川家の縁戚となった。

 しかし、政宗の股肱の臣である、伊達成実は、政宗が、茶や俳句などの社交にうつつを抜かし、武士の本分を忘れ、天下取りの野望を捨ててしまったと憤り、出奔してしまう。

 石田三成は、前田利家の死後、反三成派によって、佐和山城に蟄居させられるが、毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家などと共に、家康打倒のために挙兵する。

 最初に挙兵したのは、上杉勢で、政宗は、蒲生氏郷の死後、会津百二十万石に転封していた、上杉勢の抑えを、家康に命じられる。

 この戦いの最中、颯爽と成実が、たった一騎で、敵陣に切り込み、政宗の下へ戻って来る。

 政宗は、関ヶ原の戦いの時点でも、天下取りの野望を諦めず、上杉と勝手に和睦し、徳川家康を脅そうとした。そのため、伊達家は、百万石のお墨付きを失ってしまう。

 徳川幕府が、安泰になるに連れて、「人が天下を選ぶのではなく、天下が人を選ぶ」と悟り、野心を捨てる。

 そして、家康の死後は、天下の副将軍として、天下泰平に力を尽くすのである。



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