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No.614【古事記】弐

 『古事記』の上巻、神代は、神話・伝承であるが、物語の整合性が、不明な点がある。

 日本の国土を最初に開拓したのは、高天原を追放された、須佐之男命と、その子孫であり、また、娘婿の大国主命である。

 須佐之男命は、八岐大蛇を退治した後、出雲の須賀の地に宮殿を建て、足名椎に宮殿の支配を命じ、根堅洲国(黄泉の国)に向かった。

 『古事記』では、大国主命を、須佐之男命と櫛名田比売の六世の孫としている。

 この後、大国主命の物語が展開し、根国で、須佐之男命の娘、須勢理毘売と結婚し、須佐之男命の娘婿となって、出雲の国を治める。

 無論、須佐之男命の娘と、六世の子孫が、現実的には、同じ時代を生きているはずがなく、「神話」と割り切って考えるか、現実に即して考えれば、大国主命は、須佐之男命の子孫ではなく、娘婿として、出雲の国主となったのである。

 大国主命には、因幡の国の八上比売、高志の国の沼河比売への求愛の物語が存在するが、この物語は、山陰から北陸にかけての大国主命、即ち、出雲の支配領域の拡大を意味すると考えられる。

 更に、大年神の逸話は、大和の支配を意味する可能性もある。

 大国主命は、「出雲」の支配者とされるが、実際には、狭義の意味での出雲国ではなく、山陰から北陸及び、大和にかけての広大な地域を支配していたと考えられる。

 葦原中国=日本の最初の支配者は、大国主命であることを、『古事記』は記しているのである。

 高天原の天照大神は、自身の子孫こそが、地上の葦原中国を支配するに相応しいと考え、建御雷乃男神を使者として送り、大国主命に、天孫に国を譲るように命じた。

 大国主命は、それに応じ、国を譲った。出雲の国譲りの神話である。

 天照大神は、須佐之男命が、高天原に上った際、須佐之男命と誓約(うけい)を行った。

 この制約の時に生まれたのが、五人の息子と三人の娘=宗像三女神である。

 五人の息子は、天照大神の息子とされ、その長男が、天之忍穂耳命であり、その息子が、瓊瓊杵尊である。

 故に、天「子」降臨ではなく、天「孫」降臨と呼ばれる。

 国譲りによって、天照大神の孫、瓊瓊杵尊が、地上に降臨=天孫降臨するのであるが、何故か、降臨したのは、出雲とは、全く、関係の無い、九州の日向の高千穂峰なのである。

 出雲の国を大国主命に譲らせておいて、何故、瓊瓊杵尊は、九州の日向に降臨したのか?

 『古事記』及び、『日本書記』に共通する、日本建国神話の謎の一つである。

 そして、この後、「日向三代」の物語が展開し、「出雲」の登場は、皆無に近い。

 日向の物語としては、有名な「海幸、山幸」があるが、天孫の瓊瓊杵尊の息子達は、自分自身で、山で狩りをし、海で魚を釣るなど、凡そ、支配者とは言い難い。

 前述の通り、大国主命は、山陰から北陸及び、大和にかけての広大な地域を支配したが、筑紫の島=九州の名は、一度も登場しない。

 即ち、瓊瓊杵尊は、大国主命から「譲られた」、支配領域には、降臨せず、その後、三代の間、日向に留まったままである。

 筆者の個人的見解であるが、大和朝廷には、元々、出雲神話と天孫降臨神話が、別々に伝承されていたが、ある段階で、二つの神話を組み合わせたと想定される。

 そのために、二つの神話の接点として、出雲の「国譲り」が生まれたと思われる。

 しかし、何故、出雲の「征服」ではないのか、謎は深く、興味は尽きない。




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