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No.812【日本書記】弐

 『古事記』と同様、『日本書紀』にも、様々な謎が存在する。

 筆者の個人的見解であるが、日本建国神話の最大の謎の人物は、饒速日命であろう。

 『古事記』では、日向出発の時点の神武天皇の目的地が、「大和」であるとは、記されておらず、「東」へ向かっただけである。

 しかし、『日本書紀』では、神武天皇=神日本磐余彦尊は、塩土の翁から聞いた話として、「東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。

 その中へ、天磐舟に乗って、とび降って来た者がある。思うにその土地は、大業をひろめ、天下を治めるによいであろう。きっと、この国の中心地だろう。

 そのとび降ってきた者は、饒速日というものであろう。そこに行って、都をつくるに限る」と語っている。

 即ち、神武天皇は、最初から、饒速日命の土地を目的地として、東征に赴くのである。

 更に「天野磐舟に乗って、とび降って来た者がある」との言葉から、推測が可能であるが、神武天皇は、饒速日命が、自分と同じく、高天原から降臨したことを認識している。

 『古事記』では、「饒速日命」は、「邇藝速日命」と記され、神武天皇が、那賀須泥毘古を殺害した後、「天神の御子が、高天原からお降りになっておいでになると聞きましたので、私も、あとを追って降ってまいりました。」と言って、登場する。

 彼は、那賀須泥毘古の妹を妻としているが、それが、那賀須泥毘古の死の前後、何れかは、記されていない。

 『日本書紀』では、饒速日命は、天から降った後、長髄彦の妹の三炊屋媛を妻として、長髄彦は、事実上、天神の御子、饒速日命に仕えている。

 そのため、同じく、天神の御子の神武天皇に従わずに、敵対するのである。

 長髄彦は、神武天皇に使者を送り、「昔、天神の御子が、天磐舟に乗って天降られました。櫛玉饒速日命と言います。この人が、我が妹の三炊屋媛を娶って、子ができました。名を可美真手命と言います。

 それで、手前は、饒速日命を君として仕えています。一体天神の子は二人おられるのですか。どうしてまた天神の子と名乗って、人の土地を奪おうとするのですか。手前が思うにそれは偽物でしょう」と語らせている。

 『日本書紀』を読んだ者は、長髄彦と同様に、「一体天神の子は二人おられるのですか」と思うであろう。

 長髄彦は、神武天皇に饒速日命の天神の証を見せ、神武天皇は、本物と認めている。

 饒速日命は、長髄彦を殺害し、神武天皇に臣従する。

 饒速日命の息子である、可美真手命は、物部氏の先祖と記されている。

 饒速日命とは、何者なのか?

 『日本書紀』には、「饒速日命は、もとより天神が深く心配されるのは、天孫のことだけであることを知っていた」と記されているため、饒速日命は、天神ではあるが、天孫=瓊瓊杵尊の子孫でないことは、確かである。

 筆者の個人的見解ではあるが、饒速日命の存在は、大国主命の「出雲の国譲り」の後、瓊瓊杵尊が、何故か、譲られたはずの「出雲」ではなく、日向の高千穂峰に降臨したことに関係があるように思える。

 瓊瓊杵尊は、安全な日向に降臨し、饒速日命は、出雲以東の征服の先遣隊だったのではないだろうか。

 『日本書紀』の欽明天皇以降の記述は、乙巳の変、壬申の乱を除くと、物語性が薄く、正直、面白くないが、日本人としては、一度は、読むべき、必読書である。





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