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 初代の神武天皇は、奈良盆地南側の橿原宮で即位し、その後、第八代の孝元天皇まで、宮殿は、悉く、奈良盆地南側に置かれている。

 しかし、第九代の開化天皇に至ると、突然、奈良盆地の北部、春日の地に宮殿が置かれたのである。

 孝元天皇は、奈良盆地北部の出身の欝色謎を正妃に迎えて、開化天皇は、その姪であり、父の妃であった、伊香色謎を正妃としている。

 通婚圏の拡大は、神武天皇の王朝の北方への拡大を意味する。

 第八代目の孝元天皇の代に至り、初めて、神武天皇の王朝は、「大和」を称することが可能な範囲の国家へと、成長を遂げたのである。

 筆者は、八木氏の説に対して、神武天皇の王朝の初期は、奈良盆地南側の狭い範囲のみを支配していたとの点については、肯定的である。

 しかし、孝元天皇が、卑弥呼と壱与の「女王国」=邪馬台国を併呑したとの説には、否定的に考えざるを得ない。

 中国の歴史書に倭国の盟主として登場するほどの大国、「女王国」を併呑したのであれば、その大事件に関する、伝承・逸話が残っていないとは思えない。

 筆者は、孝元天皇に至る、八代の天皇が、奈良盆地南側の狭い範囲のみを支配地としていたため、大きな事件がなく、後世に伝わる、伝承・逸話が無かったことが、「欠史」の理由であると考えている。

 ただし、何故、開化天皇の代に、奈良盆地の北部、春日に都が置かれ、実際、何代目の天皇の御世に、奈良盆地全域を征服し、「大和」国家が成立したのか、筆者は、代替の説を思いつかない。

 八木氏の説が正しく、単純に記録が失われたのかもしれない。

 筆者が、本書の中で、最も関心を抱いたのは、「崇神天皇の虚像と実像」の中で唱える、「春秋年」である。

 古代の天皇は、百数十歳と、異常な長寿が多く、『古事記』『日本書紀』の記述の現実性を失わせる、最大の理由となっている。

 しかし、古代の日本人が、春分、秋分の日を一年の始まりとする、即ち、現在の一年の二倍の二倍年であれば、寿命は半分になるため、古代の天皇の実在は、現実性を帯びる。

 この説は、八木氏の直観ではなく、中国の歴史書に基づいている。

 「魏志倭人伝」には、「その人は寿考にして、あるいは百年、あるいは八、九十年」と、日本人は、一般的に長寿で、八十歳〜百歳程まで、生きる人が多いと記されている。

 即ち、天皇のみならず、日本人の全てが、異常な長寿であると記しているのである。

 古代の日本人が、本当に、現代以上の長寿であったはずはない。

 「魏志倭人伝」の原典の「魏略」には、「倭人は、春の耕作の始まりと秋の収穫の時を数えて、年数にしている」と記されている。

 八木氏は、この記述から、「春秋年」を導き出したのである。

 「年」という概念は、現代の我々には、不変の概念に思えるが、実際には、世界史上で、「誰か」が、生み出し、広まった、概念である。

 そのため、古代の日本人が、「春夏秋冬」を一年とは数えず、「春が来た」「秋が来た」とのみの記録であっても、おかしくはない。

 ただし、いつから、日本人が、「年」の概念を取り入れたのかは、検証が必要である。

 前述の通り、戦後の日本の古代史学界は、悉く、日本書紀を否定し続けてきた。

 特に、神功皇后の新羅征討は、軍国主義の象徴として、史上から抹殺しなければならなかった。

 本書は、戦後の歪められた、歴史観の解放を目指した、古代史研究の必読書である。





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