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 マルクス・ユニウス・ブルータスは、紀元前509年、ローマの七代王、タルクィニウス・スペルブスを追放し、初代執政官に就任した、共和政ローマの建国者である、ルキウス・ユニウス・ブルータスの子孫であると言われている。

 タルクィニウスは、元老院で強力な指導力を発揮し始めた、ルキウスの兄弟を殺害した。

 ルキウスは、愚鈍な人間を装い、粛清を免れることに成功し、王は、愚鈍なルキウスは、脅威にならないと判断し、自身の側近とした。

 ブルータスとは、「阿呆」を意味する。

 その後、ルキウス・タルキニウス・コッラティヌスの妻、ルクレティアが、王の息子のセクストゥスに強姦され、ルクレティアが、自らの胸を短刀で貫いて、自殺するという、事件が発生した。

 ルキウスは、ルクレティアの胸に刺さった、小刀を手に取ると、「直ちに、タルクィニウスの一族を追放せよ」とローマの民衆を煽動したと伝えられている。

 マルクスは、同名の父、マルクス・ユニウス・ブルータス・マイヨル(大ブルータス)とクィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(小カエピオ)の娘、セルウィリアの息子で、紀元前85年に生まれた。

 カエサルの十五歳下である。

 ただし、父の大ブルータスは、護民官に就任していたとの説があり、ユニウス氏族は、カエサルのユリウス氏族と同様に、名門貴族、即ち、パトリキであるため、護民官には、就任できないはずである。

 そのため、マルクス・ブルータスは、共和政ローマの建国者、ルキウス・ユニウス・ブルータスの子孫ではないとの説もある。

 大ブルータスは、マリウスとスラの抗争では、マリウス派に属し、スラの死の直後に、民衆派政権を樹立しようと武力蜂起した、マルクス・アエミリウス・レピドゥスに味方し、ポンペイウスに捕らわれ、マルクスが八歳の年に、処刑されている。

 名門貴族のセルウィリウス氏族出身の母、セルウィリアは、息子のマルクスを、熱心に教育した。

 しかし、夫の死後、セルウィリアは、カエサルの愛人になった。

 二人の関係は、公然であったが、カエサルと結婚はせず、生涯、愛人としての愛を貫いた。

 マルクス・ブルータスは、アテネ、ペルガモン、ロードス島など、当時の最高峰の水準の教育機関に留学し、哲学に打ち込んだ。

 そのため、軍務の経験は皆無で、ローマの公職キャリアの第一歩である、会計検査官=クワエストルにさえ、就任していなかった。

 セルウィリアの母のリヴィアは、彼女が生まれた後に、小カエピオと離婚し、マルクス・ポルキウス・カト・サロニアヌスと結婚した。

 その二人の間に生まれた息子が、マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス、小カトーである。

 即ち、小カトーは、セルウィリアの異父姉弟であるために、マルクス・ブルータスは、小カトーの甥に当たる。

 小カトーは、マルクス・ブルータスの十歳年上であるが、彼が、マルクス・ブルータスの少年期・青年期に与えた影響は大きかった。

 マルクス・ブルータスは、哲学を愛好する故か、ローマの公職に就こうとはしなかった。

 彼は、三十歳前後に、金融業を始め、小アジアにおいて、年間の利子率が、48%という、異常な高利を貪って、キケロを憤慨させている。






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