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No.427【騎馬民族国家】

 評価:75点/作者:江上波夫/ジャンル:歴史/出版:1967年


 戦後間もない、1948年に、江上波夫氏が、発表した、「騎馬民族征服王朝説」は、戦後の日本古代史学界に、一大センセーショナルを巻き起こした。

 『騎馬民族国家』は、江上氏が、約二十年を費やし、一冊の本に纏め上げた、騎馬民族征服王朝説の解説書である。

 江上氏は、1930年に東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業後、東方文化学院の研究員に就任すると、内モンゴル・オロンスム遺跡の調査等に携わっている。

 戦後の1948年には、東京大学東洋文化研究所教授、1962年には、同所長に就任している。

 騎馬民族征服王朝説の概要は、次の通りである。東北アジアの満州の夫余系の騎馬民族の一部が、南下して、高句麗を建国。更に一部が南下して、南朝鮮に「辰国」を建国した。

 その後、辰国の一部は、百済に、残りは、加羅(任那)に分裂した。

 騎馬民族は、任那を基地として、4世紀初めに、対馬・壱岐を経由して、北九州に侵出し、任那と合わせて、「倭韓連合王国」を建国した。

 更に、5世紀初めに、北九州の騎馬民族は、畿内に侵出して、現在に続く「日本」の原型、大和朝廷を建国したとの説である。

 江上氏は、第十代の崇神天皇の和風諡号である、御間城天皇(「ミマキ」ノスメラミコト)に着目し、ミマキは、任那(ミマナ)の「ミマ」を意味しているとし、崇神天皇こそが、北九州に侵出した、騎馬民族の王であるとしている。

 また、北九州から、畿内に侵出した、騎馬民族の王は、第十五代の応神天皇との説を唱えている。

 本書の前半は、「騎馬民族とはなにか」と題し、東洋史、特に北アジアの遊牧民族の権威、江上氏が、ユーラシアの騎馬民族、スキタイ、匈奴、突厥、鮮卑、烏桓の解説している。

 騎馬民族の研究に関する、日本語の解説書は、非常に少ないため、貴重な一冊である。

 後半は、「日本における征服王朝」と題し、前半のユーラシアの騎馬民族と、日本の後期古墳時代以降の文化の共通点について、論じている。

 そして、『古事記』『日本書紀』等の史料を踏まえて、騎馬民族征服王朝説を展開する。

 2018年現在の日本古代史学界では、「騎馬民族征服王朝説」は、基本的に否定されている。

 しかし、「征服」という、政治的大変革が無かったとしても、古代日本の文化が、騎馬民族の文化の影響を受けていることは、否定できない。

 江上氏は、記紀の神話・伝承の歴史学的、中国史の史料に基づく、東アジアの歴史学的、考古学的の三つのアプローチから、「騎馬民族征服王朝説」の証明を試みている。

 しかし、筆者が、本書を読む限り、その論拠は、強引な点が、否めない。

 特に、騎馬民族が、農耕民族を支配する、所謂、「征服王朝」の制度について、江上氏は、拓跋魏(中国の南北朝時代の鮮卑族の北魏)、契丹、蒙古にその類例を求めている。

 しかし、拓跋魏はともかく、契丹、蒙古は、大和朝廷建国の数百年後の王朝であり、例にするには、無理がある。

 本書は、日本古代史好きであれば、一度は、読むべき、一冊である。





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はじめて迷いこんできたものです。
江上先生の名前は、わたしも知っています。著作は読んだことがないのですが、面白そうです。

騎馬民族征服王朝説が万一当たりだったとしたら、征服者たちはなぜ出自を隠したのでしょう。地元出身とした方が好都合と判断したのでしょうか。あるいは、海の向こうを軽蔑する意識がいつのまにか形成されてしまったのか。 削除

2018/4/19(木) 午後 1:10 [ なべしま ] 返信する

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