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 評価:60点/作者:水谷千秋/ジャンル:歴史/出版:2009年


 『謎の渡来人秦氏』は、堺女子短期大学准教授、水谷千秋氏による、日本古代の渡来人、「秦氏」に関する解説書。

 同じく、水谷氏の著作、『謎の大王継体天皇』『謎の豪族蘇我氏』に続く、文春文庫の『謎の〜』シリーズの第三弾である。

 前二作の直接的な続編ではないが、重複部分があるため、順に読むことをお勧めする。

 蘇我氏は、日本人の誰もが知っている。

 継体天皇は、日本史に詳しい人は、知っているが、秦氏は、日本古代史に精通した人以外は、知らないと思われる。

 しかし、本書の「はじめに」にあるように、秦氏は、日本古代における、最大の人口と分布を誇る、氏族であった。

 秦氏の人口は、約十七万人。

 六世紀前半頃の日本の人口を、四百万人と仮定すると、秦氏は、実にその約5パーセントになるのである。

 秦氏は、山背国を本拠地としたが、その分布は、関東では、上野国、下野国、武蔵国、伊豆国・遠江国などの東海から、北陸の越前国・若狭国などの日本の中央部全般、四国、九州北部の筑前国・豊前など、三十四カ国八十九郡に及ぶのである。

 ただし、秦氏は、「秦人」「秦人部」「秦部」などの複数の名がある。

 一説では、秦氏は、秦氏の配下にあって、養蚕・機織製品の貢納なども行った、渡来系の農民で、その他は、秦氏に貢納していた、倭人系の各地の農民であったと言われる。

 即ち、秦氏は、その十七万人の人口の全てが、血縁関係にあったのではない。

 しかし、秦氏が、日本古代の大豪族、大伴氏・物部氏・葛城氏・蘇我氏等を遥かに凌ぐ、巨大豪族に変わりはない。

 それでも、秦氏の知名度は、遥かに劣るのは何故か。

 その理由は、秦氏が、政治とは一線を画して、農耕を始めとする、生産・経済活動に、専念したためであるとしている。

 事実、日本史に詳しい人でも、秦氏の人物については、聖徳太子の側近との説がある、秦河勝以外、その名を知らない人が多いであろう。

 秦氏は、渡来人と言われるが、その出自は、定かではない。

 『日本書紀』では、彼等が、倭国に来たのは、十五代応神天皇の時代であると記している。

 同じ時期に渡来した、他の渡来氏族は、その祖の名が記されているが、秦氏には、それがない。

 平安初期に編纂された、『新撰姓氏録』には、秦氏の祖は、中国の秦の始皇帝の三世の孫、孝武王の子孫である、弓月王であるとしている。

 弓月王は、『日本書紀』に記載があるが、弓月王が、秦氏の祖であるとは、『日本書紀』には、記載されていない。

 秦氏の人名は、「記紀」を丹念に拾い上げる必要があり、雄略紀の秦酒公、欽明即位前紀の秦大津父、推古紀の秦河勝など、極めて、少数しか、登場しない。

 山背国を本拠とする、秦氏は、桓武天皇の長岡京・平安京遷都の際に活躍するが、その後も、政治とは、一線を画し続けている。

 本書は、秦氏に関する、知識を深めるための必読書ではあるが、秦氏が、政治に関わらないため、政治史を期待する人には、物足りなさを感じると思われる。




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