【正義】と【平和】

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 二股口の戦闘の最中、新政府軍は、鈴の音を鳴らし、包囲したと思わせる行動をとった。

 旧幕軍は、自軍が包囲されたと思い、動揺したが、土方は、「本当に包囲しようとするなら、音を隠し気づかれないようにする」と冷静に状況を判断し、部下を落ち着かせた。

 土方は、戦闘の合間に、部下達に対し、自ら、酒を振舞って廻った。

 そして、「酔って、軍律を乱してもらっては困るので、皆一杯だけだ」と言ったので、皆、笑って了承したと言われる。

 新選組の鬼の副長は、厳格なだけではなく、部下達を愛し、戦意を高めるための配慮のできる、極めて、有能な指揮官であった。

 4月16日、仙台の見国隊が、旧幕軍に合流し、人員に余裕が生じたため、二股口には、衝鋒隊二中隊と、伝習歩兵隊二小隊が、援軍として、増強された。

 4月23日、新政府軍の天狗山陣地に、旧幕府軍の斥候が接近し、戦闘が開始される。

 同日の午後四時頃、胸壁突破を断念した、新政府軍が、急峻な崖に登って、旧幕府軍の左手の山から小銃を撃ち下ろした。

 動揺する味方に、土方は、「退く者あればこれを斬る」と再び、鬼の副長の姿を見せ、部下達を督励した。

 24日の未明、滝川充太郎の率いる、伝習士官隊が、新政府軍の陣地に突撃を敢行した。

 滝川は、充太郎は、馬上のまま、敵中に突進し、隊士達も一斉に抜刀して、隊長に続いた。

 不意を付かれた新政府軍は混乱し、敗走を単身食い止めようとした、駒井政五郎は、銃弾を受けて戦死する。

 圧倒的な兵力を持つ、新政府軍は、新しい兵を、次々に投入する。

 旧幕軍は、沢の水を汲んだ、桶を手許に置き、数発撃っては、熱くなった、銃身を水で冷やしながら、応戦を続けた。

 第二次二股口の戦いは、蝦夷地での最大の激戦と評される。

 戦闘は、25日午前二時まで続き、新政府軍は、六時の砲撃を最後に、遂に、台場山攻略を断念した。

 土方の二股口は、不落を誇ったのである。

 しかし、旧幕軍は、他の戦線で、敗走を続けていた。

 4月29日、矢不来が、新政府軍に突破されると、五稜郭は、二股口の土方に撤退を命じた。

 新政府軍が、箱館方面に進軍し、有川から付近から、北上すると、二股口と五稜郭を結ぶ、弾薬・兵糧の運搬路が遮断され、二股口は、孤立すると同時に、退路を断たれる、危険があった。

 土方は、無念の想いで、全軍に撤退を告げ、市渡村まで、退却した。

 一方、新選組は、新政府軍の上陸以来、弁天台場を本陣としていた。

 新政府軍が、有川に侵出すると、新政府軍の先鋒に夜襲を行っている。

 土方は、五稜郭に帰還後、5月1日に、弁天台に赴いて、再度の夜襲を命じたが、戦局を覆すには、至らなかった。

 5月11日の新政府軍による、箱館総攻撃の前夜、旧幕軍の幹部達は、武蔵野楼という、料亭において、別れの盃を交わしていた。

 最早、誰もが、最後の戦いが迫っていることを、理解していたのである。

 そして、午前三時、新政府軍の総攻撃が始まった。

 箱館市中には、七重浜方面より、陸兵が進軍し、箱館山の背後の山瀬泊と寒川からは、海軍に運ばれた、陸兵が上陸する。

 武蔵野楼の幹部達は、各々の持ち場に戻り、榎本は、五稜郭へ、土方は、五稜郭の北西にある、千代ヶ丘陣屋に向かった。



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