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 個人的見解ではあるが、筆者は、真田幸村と土方歳三は、その壮烈な死、という点において、非常に似ていると思う。

 真田幸村は、戦国時代が終焉を迎え、徳川幕府による、泰平の世という、新しい時代に挑み、華々しく、散った。

 土方歳三は、官軍による、新しい時代に対し、戦い続けて、戊辰戦争の最後の戦い、五稜郭の戦いにおいて、銃剣弾雨の中で、戦死した。

 真田幸村と土方歳三は、新しい時代が来ることを、わかっていながらも、敢えて、その「時代」に戦いを挑み、壮烈な死を遂げた。

 豊臣恩顧の諸大名達は、徳川幕府の世という、「時代」の流れに逆らうことなく、誰一人、豊臣秀頼の許には馳せ参じなかった。

 戊辰戦争では、錦の御旗を掲げた、薩長の官軍という「時代」に対し、数多くの藩が、戦わずに帰順し、会津藩でさえ、降伏した。

 五稜郭の戦いの後、総裁の榎本武揚でさえも、官軍に降伏し、明治政府に仕えているが、土方は、決して、新しい時代を生きようとはしなかった。

 人間は、「時代」の流れを読み、その時代の流れに乗った者が、勝ち組となる。

 「時代」という、巨大な波の前には、人間は、小さな存在に過ぎず、逆らおうとすれば、押し流されるだけである。

 真田幸村と土方歳三は、敢えて、その「時代」に挑んだ。

 そして、「時代」という、巨大な波に対し、痛烈な一撃を加えた。

 人間は、「時代」の波に押し流され、翻弄されるだけの存在ではないことを、人間の「誇り」を、二人は、天下に、そして、後世の我々に示したのである。

 しかし、筆者は、同時に、大政奉還を行い、新政府軍に徹底恭順し、江戸無血開城を実現した、徳川慶喜を「世界史上の奇跡」と、非常に高く、評価している。

 時代に抗い、壮絶な死を遂げた、土方歳三を賞賛する一方で、「戦わない」ことを選び、徳川慶喜を評価することは、矛盾していると思われるかもしれない。

 しかし、筆者は、そうは思わない。

 真田幸村と土方歳三の戦いは、敗北を覚悟の上で、敢えて、時代に挑んだ、「滅びの美学」の物語である。

 徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いで、敵前逃亡し、戦わずに降伏した、愚かな小心者と、酷評する人もいるが、筆者の見解は、全く、異なる。

 徳川慶喜は、「戦う」ことを選択すれば、勝利する可能性は、十分に存在した。

 しかし、その場合、日本を二分する戦争となり、新政府軍と徳川軍、何れが勝利するにせよ、国土は荒廃し、数多の日本人が、犠牲になり、その数は、戊辰戦争とは比較にならなかったであろう。

 そして、日本は、欧米列強の植民地になっていた、可能性は、十分に考えられる。

 即ち、徳川慶喜が、「戦い」を選んだ場合は、それは、「大坂の陣」ではなく、「関ケ原」であった。

 関ケ原は、一日で決着したが、新政府軍と徳川軍の戦いは、数年に及んだと想定される。

 慶喜は、自分の命が惜しくて、徹底恭順したわけではない。徹底恭順しても、許されるとは限らない。

 処刑の可能性は高く、それ以上に、抗戦派の味方に殺される可能性が、非常に高かったはずである。

 徳川慶喜は、「徹底恭順」という形により、命を懸け、日本を大規模な内乱の危機から救った。

 一方、土方歳三は、「時代」という、巨大な波に、命を懸けて挑み、壮絶な死を遂げた。

 形は違うが、「時代」に対し、「命を懸けて」、挑んだことは、慶喜と土方の二人に優劣はない。

 人類の歴史は、勝者の歴史である。

 しかし、真田幸村と土方歳三の名が、日本史上において、「輝き」を放ち続ける様に、「敗者」もまた、歴史を作った、英雄であることは、間違いない。



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