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 斎藤一の父親は、播磨国明石藩の足軽で、江戸に出て、旗本に奉公した後、御家人株を買って、御家人となった、山口祐助と言われる。

 本名は、山口一で、1844年(天保十五年)、江戸で生まれた。

 母の名は、ます。姉に勝(ひさ)、兄に廣明がいるため、次男であった。

 斎藤の剣の流派は、無外流と言われるが、正確には不明。江戸において、近藤の試衛館に出入りしているために、天然理心流の門弟であったとの説もある。

 1862年(文久二年)、十九歳の年、江戸の小石川関口で、旗本と口論の結果、斬り殺してしまう。

 山口一から、斎藤一に名を改め、父の知人で、京の吉田道場の主の許に身を寄せ、道場の師範代を務めた。

 斎藤が、旗本を斬ったのは、浪士組の結成の前年であり、近藤達が、浪士組参加を決めた時、斎藤も、その場に居たと言われるため、江戸出奔は、十二月下旬と思われる。

 浪士組の上洛後、即座に、近藤達に合流した。

 浪士組結成後、斎藤は、副長助勤に選出され、藤堂平助と共に、最も若い幹部となる。

 斎藤は、剣豪揃いの新選組内において、沖田総司、永倉新八と並び、一、二を争うほどの剣術使いであった。

 そのため、新選組の撃剣師範を務めている。

 新選組の組織編制に際しては、三番隊組長に就任した。

 一番隊の組長は、沖田、二番隊の組長は、永倉新八であるため、斎藤が、新選組内で、重要視されていたことがわかる。

 局長の近藤と副長の土方は、斎藤を厚く、信頼していた。

 斎藤は、新選組内部の多くの粛清に関与したと言われるが、何故か、芹沢鴨の暗殺には、参加していない。

 芹沢暗殺の参加者は、諸説があるが、斎藤の名は、一切、登場しない。

 2004年の大河ドラマ、『新選組!』では、斎藤は、江戸で、人を斬った後、芹沢の手引きで、京に逃れたため、芹沢に恩義を感じ、一度は、芹沢暗殺を阻止しようとしている。

 池田屋事件では、斎藤は、土方歳三隊に属し、幕府と会津藩から、恩賞として、金十両、別段金7両の恩賞を与えられた。

 1867年(慶応三年)3月、伊東甲子太郎が、御陵衛士を結成して、新選組を分派した際、斎藤は、間者として、御陵衛士に参加している。

 斎藤は、伊東が、近藤の暗殺を企てていることを知ると、新選組に通報し、御陵衛士を脱走した。

 新選組と御陵衛士には、互いの隊士の参加を禁止する、取り決めがあったため、斎藤は、御陵衛士の活動資金を盗み、金のために、逃亡した様に見せかけた。

 斎藤は、紀州藩士の三浦休太郎の許に身を潜めた後、新選組に復帰している。

 その間、斎藤の情報を得た、新選組は、伊東を暗殺し、油小路の決闘において、藤堂平助を含む、御陵衛士を殺害し、壊滅状態に追い込んでいる。

 同年12月、斎藤は、上記の恩義のある、紀州藩士の三浦休太郎の警護の任務に就いた。

 海援隊及び、陸援隊の隊士達が、坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したのは、紀州藩との噂を聞いて、紀州藩の公用方、三浦休太郎の襲撃を計画したとの情報を得たためである。

 12月7日、三浦と斎藤を始めとする、新選組が、天満屋での酒宴の最中、総勢十六名の海援・陸援隊士に襲撃される。

 斎藤は、後から斬りかかられ、命を落としそうになったが、梅戸勝之進が、斎藤を庇って、重傷を負い、斎藤は、難を逃れ、三浦を守った。



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