【正義】と【平和】

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 コルシカ島は、イタリア半島の西、地中海西方に浮かぶ島である。

 その面積は、日本の広島県と同程度であり、シチリア島、サルディーニャ島、キプロス島に次ぐ、地中海では、四番目に大きな島である。

 フランス語では、コルス島と呼ぶ。

 コルシカ島の先住民族は、巨石文明などを遺したが、その詳細は不明である。

 その後、コルシカ島には、ギリシア人のイオニアの植民都市フォカイア、エトルリア、カルタゴが、地中海の中継貿易地として、コルシカ島沿岸部の覇権を争った。

 紀元前3世紀のポエニ戦争によって、地中海の覇権が、ローマに移ると、コルシカ島は、ローマの支配下に入る。

 ローマ人は、アレリアに都市を建造し、更に北部バスティア南郊の都市、マリアナを築く等、コルシカ島は、ローマの属州として、繁栄した。

 ローマ帝国が、地中海を「我等の海」と呼んでいた時期には、地中海の治安は保たれ、海賊は存在せず、コルシカ島は、平和を謳歌した。

 しかし、ローマ帝国が、東西に分裂し、ゲルマン民族の侵入が始まると、地中海には、海賊が、出現する。

 その先鞭となったのは、ライン河を越えて、ガリアに侵入後、イベリア半島を通過し、ジブラルタル海峡を越えた、ガイセリック王の率いる、ヴァンダル族であった。

 その後、ユスティニアヌス帝による、ローマ帝国の再興、イスラム帝国の勃興、ノルマン人による、シチリア王国の建国など、地中海は、戦乱の世に入った。

 コルシカ島は、6世紀から、11世紀に十字軍が、イスラム勢力を駆逐するまで、海賊の襲撃に晒されたため、この時代は、「暗黒時代」と呼ばれる。

 ローマの覇権下においては、コルシカ島の先住民は、平地に下り、ローマ人と交流した。

 しかし、暗黒時代には、コルシカ人は、海賊を含め、外部勢力の侵略を恐れて、山岳部の小集落に身を潜めると、自給自足の生活を送った。

 近代以降、コルシカ人には、独自の風習が存在するが、その独自性は、暗黒時代に遡ると言われる。

 一方、イタリア半島は、ローマ帝国の崩壊後、1861年にイタリア王国が成立するまで、都市国家の分立状態が続き、統一国家は、存在しなかった。

 11世紀に入ると、都市国家のピサが、コルシカにおいて、交易とキリスト教の布教を推進した。

 ローマ教皇は、1077年に、ピサに対し、コルシカ島の領有権を与えるが、ジェノヴァは、徐々に、コルシカ島の沿岸部に城塞都市を建設する。

 そして、13世紀には、ジェノヴァが、ピサから、領有権を奪い、ジェノヴァによる、コルシカ島の支配が確立した。

 現在、コルシカ島に存在する、都市の多くは、ジェノヴァの統治時代に、ジェノヴァが、建設した。

 ジェノヴァは、コルシカ島の統治を「サンジョルジオ銀行」に委託し、一部のコルシカ人が、叛乱を起こしたが、大半のコルシカ人は、特に不満を感じていなかった。

 16世紀、コルシカ島出身の傭兵、サンピエロ・コルソは、1553年のフランス軍による、コルシカ侵攻に加わった。

 コルソは、フランスが、ジェノヴァへのコルシカ島返還後も、100名に満たない、少数の兵を率い、ゲリラ戦によって、ジェノヴァと戦い続けた。

 しかし、コルソは、親ジェノヴァ派のコルシカ人に殺害され、「サンピエロの乱」は、終結した。


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