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 一方、パオリは、コルテから退出すると、山岳地帯において、ゲリラ的な戦闘を続けた。

 フランス軍は、コルシカ島を徹底的に制圧し、降伏を拒否する者には、容赦をしなかった。

 5月26日には、西海岸の港町、リーズラロッサが、フランス軍に占領されている。

 パオリ達は、山岳地帯において、フランス軍に頑強に抵抗した。

 この時、パオリの副官のカルロ、そして、その妻のレティツィアは、パオリと共に、山岳地帯を走り回っていた。

 レティツィアは、身重の体に、一歳のジョセッペの手を引いていた。

 既に、レティツィアのお腹の中には、後のヨーロッパの覇者、ナポレオンが宿っていたのである。

 しかし、コルシカ軍は、6月4日〜8日における、ヴェッキョ川付近の戦いで敗北すると、最早、完全に力尽きた。

 パオリは、6月13日にポルトヴェッキョ港に辿り着き、100人程の側近と共に、二隻の船に乗り込み、島を脱出する。

 そして、パオリは、イタリア・ドイツを経由して、イギリスへと亡命した。

 フランス軍の司令官のドゥ・ヴォー伯爵は、6月22日に、「コルシカ全土征服終了」を宣言し、ここに、1729年以降、断続的に続いた、「四十年戦争」は終結した。

 パオリの副官のカルロは、パオリと共に亡命せず、コルシカに残ると、使節団に伴われ、フランス軍に出頭し、7月には、降伏条約に調印した。

 カルロは、フランスのコルシカ島の支配への協力を申し出て、独立の意思を捨て、フランス側に転向した。

 ブオナパルテ家は、元々、イタリア中部のトスカーナ州を起源とする、古い血統貴族で、カルロは、フランスへの転向の見返りとして、事実上、フランス貴族と同等の権利を得た。

 そして、翌月の8月、レティツィアは、次男のナポレオーネを産んだ。

 コルシカ名、ナポレオーネ・ブオナパルテ。

 フランス名は、ナポレオン・ボナパルト。

 歴史に「if」はないが、コルシカ島が、フランスに売却されず、また、父である、カルロが、パオリと共に亡命していれば、もしくは、フランス貴族として、認められていなければ、後のフランス皇帝、ナポレオン1世は、誕生していなかったであろう。

 ナポレオーネの父である、カルロは、フランス軍に降伏後、イタリアのピサに赴くと、ピサ大学に入学し、学生生活を送った。

 カルロは、未だ、23歳であったが、既に、二人の子供を得ていた。なお、長女のマリア・アンナは、一歳で死去している。

 次男のナポリオーネ、後のナポレオンは、コルシカ島のアジャクシオで、生まれたが、恐らく、その時、カルロは、コルシカにおらず、ピサにいたと思われる。

 カルロは、同年の11月に、ピサ大学から、法学博士の免状を取得し、コルシカに帰った。

 先述した通り、ブオナパルテ家は、血統貴族であったが、ジェノヴァは、共和国のため、コルシカ島では、貴族として、認められていなかった。

 コルシカ島の新たな支配者である、フランスは、島民支配のために、コルシカの貴族を保護する政策を打ち出した。

 カルロは、フランスが、新設した、アジャクシオ王立裁判所の陪席判事に任命されると、更に、フランス王ルイ15世の所有する、養樹園の管理職を得た。

 カルロは、独立の意思を完全に捨て去り、フランス政府、即ち、支配する側の人間になったのである。


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