【正義】と【平和】

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 カルロは、新任のフランス人のコルシカ総督マルブフと懇意になり、ブオナパルテ家に、総督を招くなど、フランスの支配に従順に振舞った。

 カルロの叔父である、リュシアン・ブオナパルテは、大聖堂の副司教を務めると同時に、資産家でもあった。

 レティツィアの異父弟のジョセフ・フェシュは、商人として成功していた。

 ブオナパルテ家の一門は、フランスの支配の下、コルシカ島の有力な一族となっていた。

 その後、カルロとレティツィアの間に、リュシアン、ルイ、マリア・アンナ、ポーリーヌ、カロリーヌ、ジェロームが生まれ、ブオナパルテ家は、五男三女の大家族となった。

 なお、マリア・アンナと名付けられた、二人の娘の内、最初の三人は、生まれたその日、もしくは、生後一年以内に夭折していた。

 1777年に生まれた、四人目のマリア・アンナが、初めて、幼児期を生き抜き、長女となった娘である。

 五男三女の八人の子供達を抱えて、ブオナパルテ家は、有力な一族とは言え、カルロの給料だけでは、裕福とは言い難かった。

 カルロは、マルブブの推薦状を得て、イタリア貴族の「ド・ブオナパルテ」であることを示す、認証を交付され、正式にフランス貴族として、認められた。

 また、過去十年間に、フランス王国の官吏として、忠勤に励んだ、報償として、ルイ16世から、2,000リーブルを下賜されただけでなく、三人の子供に対する、奨学金を授けられた。

 カルロの娘一人と息子二人は、フランスの貴族学校に入学できることになったのである。

 息子の一人は、聖職者、もう一人は、軍人になるとの条件付であった。

 カルロは、10歳のジョセッペ、9歳のナポレオーネを伴い、フランス本国へ出立したのである。

 兄のジョセッペは、オータンの神学校に入学して、聖職者になるための学問を始めた。

 一方、ナポレオーネは、オータンのコレージュに短期間入った後、1779年には、フランスの貴族の子弟が学ぶ、シャンパーニュ地方のブリエンヌ王立陸軍幼年学校に入学した。

 ナポレオーネは、幼年学校では、孤独な生活を送った。

 幼年学校の教育者は、全員が、聖職者であった。

 学友達は、フランス本国の名門貴族の子弟であるために、征服された、コルシカ島の出身者は、見下された。

 更に、ナポレオーネは、フランス語を殆ど、話せず、コルシカ訛りのイタリア語を話し、自分の名前さえ、正確に発音できなかった。

 そのため、学友達に蔑まれ、彼等は、ナポレオーネを、「ラバイヨーネ」と呼んでいた。

 「鼻先にぶら下がった、藁」との意味らしい。

 自尊心の強い、ナポレオーネは、級友達の侮蔑に耐え兼ね、父宛に、コルシカ島に帰ることを望む、手紙を送った。

 しかし、父は、家族の貧しさ故に、幼年学校に留まるようにと、返事を書き送っている。

 ナポレオーネは、陰鬱な孤独であると同時に、癇癪持ちのため、級友に敬遠されていた。

 彼は、一人、貪るように書物を読んだ。

 プルタルコスの『英雄伝』に、将来に想いを馳せ、ヴォルテール、ルソー、プロイセンのフリードリヒ大王等の書物を読み続けた。

 ナポレオーネは、級友との関係は悪かったが、勉強熱心であったため、教師との関係は、良好だったと言われる。

 彼は、特に数学に特異な才能を有しており、抜群の成績を修めた。

 期末公開試験では、三年連続、幾何学賞、代数章、代数・三角法賞を取得している。


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