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 アブー・バクルは、カリフ就任後、「マホメットは死に、蘇ることはない」「マホメットは、神ではなく人間の息子であり、崇拝の対象ではない」と強調して、キリスト教とは異なり、マホメットの「神性」を否定している。

 そして、一人の信徒に過ぎない、アブー・バクルが、指導者になったことで、イスラム共同体は、「人間の支配する国家」になった。

 ただし、イスラム国家の定義は、「唯一全能の神、アッラーフが、預言者のマホメットに下した、神勅のコーラン、預言者の言行録のハディース、その二つを基礎とし、成立した、イスラム法=シャリーアに基づき、ムスリムの指導者が統治を行い、ムスリムの同胞としての緊密な結合と、政治や社会秩序は、イスラムに基づくとの理念によりアッラーフの祝福が、永久に約束されるとする国家」であるため、「世俗国家」とは異なる。

 アブー・バクルは、カリフ就任後、わずか、二年で死去したため、第二代のカリフには、ウマル・ブン・アル=ハッターブが、選出された。

 なお、アブー・バクルは、クライシュ族のタイム家出身、ウマルは、同じく、クライシュ族のアディー家出身であるため、カリフは、メッカのクライシュ族の男系子孫から、選出されることが、慣例になった。

 ウマルは、元々は、マホメットの迫害者で、彼の妹とその夫が、ムスリムになると、二人を散々に打ち据えた。

 しかし、ウマルは、妹が唱えた、コーランの章句に心を動かされて、改悛すると、妹を許すと同時に、自身も、ムスリムになった。

 ウマルは、武勇に優れた、勇士として、知られていたため、ウマルが、ムスリムになると、クライシュ族の人々は、彼の武勇を怖れて、マホメットへの迫害を弱めた。

 更に、メッカで、人望のある、ウマル一家の支援は、マホメットの最初期の布教活動の助けになった。

 なお、夫に先立たれた、ウマルの娘、ハフサは、マホメットの四番目の妻となっている。

 マホメットが死去すると、メディナでは、メッカ以来の古参ムスリム=ムハージルーンと、メディナ以降の新参ムスリム=アンサールが、後継指導者の地位を巡り、反目した。

 この時、前述の通り、ウマルは、即座に、アブー・バクルをカリフに推戴して、反目を収拾した。

 ウマルは、アブー・バクルの死後、カリフに就任すると「神の使徒の代理人の代理人」を意味する、「ハリーファ・ハリーファ・ラスールッラー」の称号を使用していたが、後に、「信徒達の指揮官」を意味する、「アミール・アル=ムウミニーン」の称号を採用した。

 また、ヒジュラの年を、紀元1年とする、現在のイスラム暦である、ヒジュラ紀元を定め、コーランとムハンマドの言行に基づいた法解釈を整備して、後世、イスラム法=シャリーアにまとめられる、法制度を準備し、イスラム国家の基盤を築いた。

 ウマルの時代に、イスラム国家は、アラビア半島を越え、飛躍的にその領域を拡大した。

 ビザンツ帝国から、シリア、エジプトなどを奪い、642年には、ニハーヴァンドの戦いで、ササン朝ペルシア帝国を、壊滅寸前に追い込んでいる。

 ウマルは、644年、モスクでの礼拝の最中に、個人的な恨みを抱いた、奴隷に刺殺された。

 ウマルは、死の直前に、ウスマーン、アリーを含む、六人の後継者候補を指名すると同時に、選出方法を遺言した。

 会議の結果、ウスマーン・イブン・アッファーンが、第三代カリフに就任する。

 ウスマーンは、クライシュ族のウマイヤ家の出身であった。


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