【正義】と【平和】

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 ウスマーンの母のウルワは、マホメットの従姉妹で、父のアッファーンは、ウスマーンが、20歳の年に、旅先で死去した。

 ウスマーンは、父の遺した莫大な財産を相続すると、父と同様に交易に携わり、成功を収め、数年後には、クライシュ族内で、有数の富豪になった。

 ウスマーンが、ムスリムになったのは、マホメットの娘のルカイヤに、恋していたためと言われる。

 ウスマーンは、密かにルカイヤを想っていたが、マホメットに結婚を言い出せず、ルカイヤは、マホメットの従兄弟のウトバの元に嫁いだ。

 ウスマーンが、叔母のスウダーに相談すると、いずれ、マホメットに重大な事が起こり、その時、ルカイヤが、彼の下に嫁ぐと言われた。

 610年、ウスマーンは、旅先で、メッカに預言者が、現れたとの声を聞いた。

 ウスマーンは、メッカに戻ると、友人のアブー・バクルの勧めを受けて、マホメットの信徒、ムスリムになった。

 クライシュ族内では、ウマイヤ家と、マホメットの属する、ハーシム家の対立が深まった。

 ウマイヤ家の人々は、ウスマーンが、マホメットの信徒になったことを喜ばず、家長である、アル=ハカムはウスマーンを縛り付けて棄教を迫った。

 ウスマーンの母、アルワと継父のウクバも、マホメットの教えを棄てるように説得する。

 しかし、ウスマーンは、決意を翻すことはなく、アル=ハカムは、ウスマーンを勘当した。

 スウダーは、ウスマーンを擁護し、彼の異父妹、ウンム・クルスームは、ムスリムになった。

 マホメットが、ハーシム家の人間から、迫害された時、マホメットの従兄弟のウトバは、マホメットを責めて、ルカイヤを離婚し、マホメットの下に帰した。

 一方、ウスマーンは、マホメットの教えを拒否する、二人の妻と離婚した。

 アブー・バクルは、ウスマーンが、離婚したことを知ると、マホメットに、ウスマーンとルカイヤの結婚を提案する。

 マホメットは、クライシュ族の有力家系である、ウマイヤ家の人間の改宗を喜び、ルカイヤを、ウスマーンの元に嫁がせて、友好関係の継続を望んだ。

 ウスマーンとルカイヤは、幸福な結婚生活を送っていた。

 しかし、クライシュ族内では、ムスリムへの迫害は、激しさを増し、ウスマーンは、マホメットと話し合った末、交易で、関係のあった、エチオピアへ避難し、歓迎を受けた。

 エチオピア滞在中、ウスマーンとルカイヤとの間には、男子が生まれた。

 ウスマーンは、息子にアブドゥッラーと名付けた。

 マホメットの初めての孫である。

 移住の2年後、メッカのクライシュ族が、イスラム教を受け入れたとの報告を受け、ウスマーン夫妻は、何人かの信徒を連れて、メッカに帰国したが、報告は、誤りであった。

 しかし、ウスマーン達は、メッカに留まり続け、迫害に耐え続けた。

 マホメットの家族とハーシム家の人間が、メッカ郊外の渓谷に追放された時、ウスマーンは、マホメット達に、食糧を供給し続けた。

 同時に、ウスマーンは、マホメット達への制裁の廃止をクライシュ族の若者達に説き、マホメットへの制裁は、中止された。

 622年のヒジュラに際し、ウスマーンは、他の信徒と同様、ヤスリブに移住する。

 しかし、624年頃から、ヤスリブでは、天然痘が流行して、ルカイヤは、病没してしまうのである。

 ウスマーンは、長い間、ルカイヤの死から、立ち直れずにいた。


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