【正義】と【平和】

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 ウスマーンは、俸給の支払いを担当する、ディーワーン職のマルワーン及び、改革派からの批判の対象となっている、統治官達の解任を条件に、アリーに助けを求めた。

 アリーは、兵士達を説得すると、一度は、彼等を帰国させた。

 しかし、その数日後には、兵士達は、メディナに戻ると、ウスマーンの退位を要求した。

 モスクでの説教と礼拝は、ウスマーンの支持者と反乱者の衝突の場となり、礼拝に現れた、ウスマーンに石が投げつけられる、事件が起きた。

 数百人の反乱者は、ウスマーンの邸宅を取り囲んで、方針の転換を要求したが、彼の政策に不満を抱く、メディナの住民は、彼を助けようとしなかった。

 ウスマーンは、イスラムとメディナの守護のために、各地の総督に、援軍の派遣を要請した。

 また、ウスマーンの元を訪れた、教友達は、反乱者の討伐、または、亡命を進言したが、ウスマーンは、攻撃を拒んで邸宅に残った。

 6月17日、兵士達は、ウスマーンの邸宅内に押し入り、包囲中でさえ、ウスマーンは、コーランを読誦していた。

 アブー・バクルの息子が、最初にウスマーンに斬りつけた。

 ウスマーンは、それでもなお、コーランの読誦を続けていた。

 ウスマーンは、深手を負った後も、コーランを抱きかかえ、コーランは、彼の血で、赤く染まったと言われる。

 ウスマーンを殺害した、兵士達は、国庫から、財産を奪い、逃走した。

 ウスマーンの死は、イスラムの歴史上、初めて、カリフが、同胞のムスリムにより、殺害された、事件であった。

 ウスマーンの死後、遂に、アリーが、第四代カリフに就任した。

 アリーのカリフ就任に、反対の声を挙げたのが、マホメットの最年少の妻であると同時に、初代カリフ、アブー・バクルの娘、アーイシャと、クライシュ族のウマイヤ家の有力者で、当時、シリア総督=アミールのムアーウィヤであった。

 アリーとアーイシャとの間には、マホメットの生前から、確執があった。

 アーイシャは、マホメットが、戦いに出陣する際には、常に付き従っていたが、627年、ムスタリク族との戦いから帰る途中、彼女は、夫から、贈られた、首飾りを失くしてしまった。

 アーイシャは、それを探している間に、一人、砂漠の中で、はぐれてしまった。

 そこへ、イスラム軍の青年兵士が、通りかかったため、アーイシャをラクダに乗せて、メディナまで、送り届けたのであるが、このことが、事件に発展する。

 メディナの人々は、アーイシャの不義を疑い、マホメットに詰め寄った。

 当時のアラブ人の慣習では、砂漠で、男と一夜を過ごした妻は離縁された。

 また、不義密通を犯した妻は、石を投げつけられて、殺されるのが、通常であったからである。

 アーイシャは、マホメットの側近、アブー・バクルの娘であったため、大きな政治問題に発展した。

 最終的に、マホメットが、彼女の密通疑惑を否定し、疑ってはならないという、「天啓」を受けたと主張したことで、事件は、解決した。

 この時、側近の誰もが、マホメットとアブー・バクルに遠慮して、アーイシャとの離縁を、言い出せない中、唯一、それを言ったのが、アリーであった。

 アーイシャとアリーの確執は、この事件に始まり、アブー・バクルとアリーの関係も冷えることになった。


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