【正義】と【平和】

英雄千人をランキング。『千人の英雄伝』連載中。

全体表示

[ リスト ]

 アーイシャは、最初の妻である、ハディージャを除けば、マホメットの最愛の妻として、初期のイスラム共同体の間で、強い影響力を有していた。

 そのため、マホメットの死後に、アリーを支持する者達が、マホメットが、アリーを後継者にするように遺言したとの訴えを拒絶した。

 マホメットの遺言は、真実であった、可能性は、十分に考えられる。

 アリーは、ハーシム家のマホメットの従兄弟であり、養子であり、末娘のファーティマの夫の娘婿であり、そして、マホメットの孫である、ハサンとフサイン、ウンム・カルスーム、ザイナブの父親であった。

 これほど、マホメットの後継者に相応しい、人物はいない。

 ウスマーンは、アリーと同様に、マホメットの娘婿であると共に、孫の父親であったが、マホメットの死の時点において、マホメットの子孫で、生存していたのは、アリーの一家、妻のファーティマと、息子のハサンとフサインのみであった。

 なお、妻のファーティマは、マホメットと同年中に死去している。

 娘のウンム・カルスーム、ザイナブは、不明である。

 マホメットの死後、アリーは、若年を理由に、後継者に選ばれなかったが、真の理由は、若年故ではなく、アーイシャと、その父親のアブー・バクルとの確執にあったと考えられる。

 即ち、アーイシャの貞節問題が、アリーから、後継者の座を奪ったのである。

 本書の主題は、仮に「マホメットの息子」、カースィムと、アブドゥッラーフ、そして、イブラーヒームの内の一人でも、生きていれば、マホメットの死後に、後継者の座に就き、イスラムの分派、「シーア派」は、誕生しなかったはずであるとの仮説である。

 しかし、同様に、仮に、アーイシャとの確執がなく、アリーが、マホメットの死の直後、後継者の座に就いていれば、「シーア派」は、誕生しなかった、可能性は高い。

 アーイシャの存在が、後世、イスラム世界に混乱をもたらしたと言える。

 だたし、初期のイスラム共同体は、マホメットの死の頃、マホメットの同世代の60歳代のムスリム達が、有力な指導者として、共同体を率いていた。

 最初の三人のカリフである、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンは、マホメットの友人で、同世代である。

 その彼等が、30代の若輩のアリーの指導下に入ることを、敬遠した、可能性は高い。

 しかし、マホメットの実子、カースィムと、アブドゥッラーフ、イブラーヒームであれば、話は別であろう。

 マホメットの同世代の指導者達は、マホメットの実子を後継者の座に据え、自分達は、その後見人として、共同体を指導していたと考えられる。

 マホメットの従兄弟、養子、娘婿、孫の父親とはいえ、アリーは、やはり、マホメットの実子とは、その権威と正統性が、格段に異なるのである。

 そして、残念ながら、アリーには、マホメットと同世代の指導者達を率いるほどの人望はなかった。

 アリーは、5歳の年に、マホメットの養子になり、ハディージャに次いで、マホメットの信徒である、ムスリムになった。

 マホメットが、メッカを脱出する際、アリーは、弾圧者の刺客を欺くため、マホメットの寝床に横たわった。

 刺客達は、マホメットの不在を知ると、落胆し、アリーには、危害を加えずに、立ち去った。

 その後、アリーは、バドルの戦い、ウフドの戦い、ハンダクの戦いなど、イスラム共同体のジハードに参戦し、次々に敵側の名高い勇士を倒した。



[https://history.blogmura.com/his_world/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 世界史]

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事