華麗に舞った剣士たち

剣道で記録と記憶に残る少年〜青年〜中年剣士を追いかけます

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2016年12月某日、新宿。
待ち合わせの時間よりも10分早く行くと、
すでに2人は待っていた。

「おっ、早いね」

「あっ、剣キチさん、こんばんは。
 今日はお招きいただきありがとうございます」

スーツ姿に身をまとったやや緊張気味の2人が
礼儀正しく元気に迎えてくれた。
なんと清々しい好青年なのだろう。

「乾杯!!」

まずは冷えた生ビールで喉を潤し、
楽しくエキサイティングな話が始まった。
ああ、今宵は楽しい夜になりそうだ。

この日に来てくれたのは、
早稲田大学剣道部
4年 小林直道 前主将と
3年 久田松雄一郎 新主将の2人である。

今回のシリーズはこの2人に焦点を当てて特集する。

まずは久田松選手の幼少時代から。




華麗なる学生剣士
久田松雄一郎(1) 2017早大主将


1995年、名古屋市中区。
久田松家の2番目の子として雄一郎が誕生した。
雄一郎は姉と弟に挟まれ、のびのびと育った。

これは雄一郎が通っていた幼稚園での出来事である。

園長先生が園内を見回ると、とんでもない光景に出くわした。
ある園児が、他の園児を棒で叩いているではないか。
慌てた園長はすぐさま制した。
その凶暴なる加害園児というのが雄一郎だったのだ。

園長は雄一郎少年に優しく言った。
雄一郎くんには剣道の素質があるから、剣道を習ったらどうかな。

「園長先生はとても優しかった」と久田松は当時を振り返るが、
友だちを棒で叩くような手におえない乱暴な雄一郎を
なんとかして大人しくさせるために、
公然と人を棒で叩ける剣道をやらせて黙らせよう
そんな企てが園長先生にはあったのではないだろうか。

なるほど洗心道場の道場訓は「躾(しつけ)、体力、技」、
一番最初に「躾」がきているというところがいい、
洗心道場への入門は、雄一郎のやんちゃを直す最も有効な手段だったのだ。


久田松家では誰も剣道をやっていなかったのだが、
雄一郎は園長先生に勧められるがまま、
名古屋市の東別院という寺院内にある洗心道場に通い始めた。
雄一郎5歳の時だった。

それからは、やんちゃな少年のエネルギーは剣道に注がれた。
友人を棒で殴る代わりに、剣道の相手を次々と叩き倒していった。

稽古は火木土の週3日。
日曜は試合や遠征に充てられた。
そう聞くと意外だ。
全国にその名を轟かすあの洗心道場の稽古が週3回とは。
しかし、その1回1回が地獄のような厳しい稽古だったという。
また、大会出場や遠征は年間で40回近くあるから
ほぼ毎週ということになる。

私、剣キチは、
小学生の頃に水戸東武館で経験した
倒れる寸前の這いつくばるような稽古を強いられたときは、
不謹慎ながら
「ああ、明日行ったら東武館が消えてなくなっていればいいのに」と
ほぼ毎日思っていたということを吐露すると、
意外や意外、久田松も同じようなことを思っていたという。

彼ほど剣道が好きで、
彼ほど強い選手でもそんな時代があったのかと、
なんだか、とっても人間的な親しみを覚えた。

「いやあ、内田先生はホントに厳しかったですから。嫌で嫌で仕方がなかったです。
まあでも、そのおかげで今の自分があるのだと感謝していますが」
久田松は思い出すように話す。


洗心道場の稽古は、基本的に試合形式の練習は行わず
1時間半、ひたすら打ち込みなど基礎練習を繰り返した。
内田監督は、
「求めるのは、剣先の中心から割って入る剣道本来の攻め。
それをやって負けるんだったらしょうがない」という。


そして雄一郎が内田と同じぐらいに恐れていたのが母だった。
看護師の母は、わが子の体たらくを絶対に許さなかった。
「剣道をやるなら本気でやりなさい。
あなたの努力不足で負けることは許しません」
そして、不甲斐なく負けて帰ってくる雄一郎を、母は優しく抱きしめる、
などということはせずに、
「ビシッ!!」容赦ない平手打ちをあびせた。
それが久田松の母の愛情だった。


洗心道場では雄一郎の1年先輩に廣田憲亮がいた。
小柄ながらその動きは誰にも真似ができない。
すばしっこく反応速度がとび抜けて速い。
そして隙あらばピシャリと的確に打ってくる。
下手に飛び込めば、ほぼ100%返し技を決められる。

「廣田さんのセンスは抜群でした。
ああこういう人を天才というんだと思いました」
久田松は尊敬の念を込めて言う。

確かに廣田は恐ろしく強かった。
久田松少年は自分の剣道にもそうとう自信を持っていたが、
やはり廣田には全くかなわなかった。

今でこそ洗心道場は全国的に有名だが、
それは廣田らの活躍から始まったと言えよう。


雄一郎、小5の夏。
道場連盟の全国大会に出場した。
この時の洗心道場はかなりいいチームと期待された。
大将から廣田憲亮、神野大輔、加藤秀都、河村敬太の6年生、
そして先鋒が5年生の久田松だった。

1回戦〜5回戦まで誰一人負けなし。
そしてコート決勝では福岡の西武館に3-1の勝利。
ここまで圧勝、BEST16まで勝ち上がったが、
残念ながら大阪の小曽根剣友会に僅差で敗れた。

その小曽根は、準決勝で、加納彰大や平井勇士らの砂山少年剣友会(和歌山)に敗れ、
さらに砂山は、決勝で、小林直道や佐々木陽一朗のいる東松舘に敗れた。
優勝は東松舘、2連覇だった。

「上には上がいるなあ」

久田松は思った。
しかしそれが大きな刺激になった。

「僕も負けてはいられない。来年こそは優勝だ」


その翌日、個人戦に出場した天才少年・廣田はどんどん勝ち上がる。
準々決勝で森安修道館(福岡)の井手勝也選手(=後のIHチャンピオン)を、
コテ・コテのストレートで破り、
準決勝では、5年生ならがここまで勝ち上がってきた
結城尚武館(茨城)の宮本敬太(=先日の全日本選手権で3位)に
今度はコテ・コテの2本勝ち。

そして決勝戦で対峙したのは、
前日に団体優勝した東松舘の大将・小林直道だった。
体格は大人と子供。
縦も横も2回りずつ小林が勝っていた。

廣田はその小林に対して、
これまたコテ・コテのストレート勝ちを収め小学生の頂点に立ってしまったのだ。

「やっぱり廣田くんは天才だった」
身近な先輩が日本一になったことで、
久田松少年の「僕も日本一になる」という気持ちに火がついた。


【文中敬称略】
(次回に続く)



イメージ 1


ほろ酔い気分で決めポーズ。
左から、久田松くん、剣キチ(変装)、小林くん。

閉じる コメント(6)

久田松さんイケメン

2017/1/21(土) 午前 9:31 [ 一輝 ]

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いつも楽しく拝見しています。
今回は久田松選手についてということで嬉しいです。
久田松選手のお母さんは何と立派なのでしょう。
もし私が母になったらそうはなれません。
お母さんあっての久田松選手なのですね。

2017/1/21(土) 午後 7:24 [ ファン ]

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やはり、久田松君の強さは幼少のころに有りですね。私は、初めて
彼を見たのは、龍谷高校の大将で佐賀IH時ですが、構えた時の姿勢
あふれんばかりの気迫、すごい高校生がいるんだなと感じたことを
思い出します。これからも、頑張ってください。

2017/1/22(日) 午前 10:49 [ 面一本 ]

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一輝さん、こんばんは(^-^)
ですね。

2017/1/26(木) 午後 10:28 [ 剣キチ ]

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ファンさん、こんばんは(^-^)
すごいお母さんです。
会ってみたいですね。

2017/1/26(木) 午後 10:29 [ 剣キチ ]

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面一本さん、こんばんは(^-^)
高校1年生の時から大将の貫録でしたね。
私もそのころ間近で見て圧倒されました。

2017/1/26(木) 午後 10:30 [ 剣キチ ]


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