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接 心 (せっしん) その5
脳科学的に見た禅修行
脳科学的に禅の修行を解説しましょう。
修行の定義
禅の教えでは、衣・食・住など、
生活のすべてが修行であるととらえています。
つまり、どこからどこまでが修行であって、どこからどこまでが
修行ではないという区別がありません。
時間・365日が修行三昧になります。
修行の目的
修行の目的は、「本来の自分を取り戻すこと」にあります。
勿論、本来の自分とは「仏である自分」です。
そして、仏になった結果として、すべての衆生を仏にすることです。
これが衆生済度です。
方法
方法は接心三大イベントによく現れています。
「坐禅・提唱・独参」接心では、坐禅・提唱・独参が三大イベントです
これ以外の睡眠・食事・用便などの休憩などは、
添え物程度の扱いになります。・・・と以前説明しましたね。
坐禅
坐禅堂で坐禅が始まります。
坐禅は、一柱(線香一本分)を基準として座ります。
とにかく座ります。
脳科学的説明
坐禅は、仏の姿そのものです。
一秒座れば一秒の仏といわれます。
つまり、坐禅とは「仏になりきる」ことです。
大勢で坐禅をすることで、強力な場が形成されます。
『提唱』
毎日『提唱』といって『無門関』や『碧巌録』などの祖録を演法します
老師が提唱するのを修行僧は両脇にて坐禅をしながら拝聴します。
脳科学的説明
これは一種のアファーメーションです。
悟りの世界観や仏の言動をイメージし、
認識プログラムに書き込むことになります。
『独参』
師家(老師)から修行者に「公案」という、一種の禅の問題が
与えられます。
それに対する自分の見解(けんげ)を
師匠に提示しOKをもらわなければいけません。
これを「独参」といいます。
これは老師によるコーチング・メンタリングです。
仏になりきった老師の脳と同調・共鳴します。
つまり、脳科学的に見た禅の修行とは次の通りです。
1.ゴールである仏と衆生済度をイメージすることで、
脳からドーパミンをどんどん出るようにします。
2.心身に厳しい環境を作ることで、
バイタル(生命)に負荷をかけ、エンドルフィンなどが
出るようにします。
3.コーチである老師から、
人間枠から仏枠に移行するように促され続けます。
4.一定期間以上に渡って、24時間「人間枠」から離れ
「仏枠」をキープすることで、仏枠を固定します。
5.大勢の人々が一つのゴール実現に進むことで、
ゴール実現の強力な力場ができます。
その中にいることで、ゴール実現が促進されます。
禅の修行とは、
最も効果的なゴール達成法であるということがいえますね。
〜おわり〜
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写真はイメージ画像を使わせて頂いています! |
脳科学的に見た禅修行1〜5
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接 心 (せっしん) その4
寒さ・空腹との戦い
冬季の接心中のお寺は本当に寒いのです。
朝の洗面の時、氷を割って始めるということも
珍しくありません。
冷たい水で顔を洗い、口をゆすぎます。
便所に行くと、かけてある手ぬぐいが凍り付いてカチカチです。
凄く寒いときには、廊下を雑巾がけをすると
拭きながらその端から凍っていくということになります。
廊下が凍っていると転んで怪我をすることがあります。
危ないので水分が残らないようにキュキュッと磨くように拭きます。
勿論、お湯で拭き掃除をするということはありません。
普段でも、冷たいからといってお湯を使うと、
霜焼けやアカギレになります。
凍り付くような冷たい水で雑巾をすすいでしぼる時も、
手がかじかんで思うように力が入りません。
よくしぼらずに拭くと、雑巾の水が凍って滑りやすくなり、
怒られます。
お寺は広いので、手際よくやらないと時間内に終わりません。
慣れるまで、なかなか大変です。
外回りの掃除も大変です。
かじかんだ手で冷たい竹箒を握るので、何度も手が滑って
ほうきを落としてしまいます。
お庭も広いし、落ち葉は多いし、寒いし、
身体は思うように 動かないし、
おなかは減るし・・・
坐禅の時も、禅堂に暖房は一切ありません。
接心の時は夜八時まで、窓を開けっ放しです。
冷たい北風がビュウビュウと吹き抜けていきます。
雪が吹き込むときもあります。
寒風にあおられて雪が舞い込んでくると、
禅堂の中に雪つもることがあります。
着物に雪がつくと溶けないでそのまま残っています。
お粥腹で、おなかは何時も減っていますから、
寒さが一段とこたえます。
しかし、その寒さと空腹、睡眠不足よりも、
求道心の方が強く、心は赤々と燃えているのが接心です。
・・・ つづく
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接 心 (せっしん) その3
坐禅
坐禅堂で坐禅が始まります。
坐禅は、一柱(線香一本分)を基準として座ります。
とにかく座ります。 『提唱』
毎日『提唱』といって、『無門関』や『碧巌録』などの祖録を演法します。
老師が提唱するのを修行僧は両脇にて坐禅をしながら拝聴します。
『独参』
師家(老師)から修行者に「公案」という禅の一種の問題が与えられます。
それに対する自分の見解(けんげ)を
師匠に提示しOKをもらわなければいけません。
これを「独参」といいます。
師匠の部屋へ一人ずつ入って(入室)、師匠と弟子が
一対一で対座して問答します。
心の奥底まで洗い流すようなびりびりとした
空気が満ちている部屋に入るのは、緊張します。
仏の心になりきっている老師に、
何か言われるのはうれしくもあり、怖くもある瞬間です。
この独参が一日に三回あります。
『坐禅・提唱・独参』
接心では、坐禅・提唱・独参が三大イベントです。
これ以外の睡眠・食事・用便などの休憩などは、
添え物程度の扱いになります。
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接 心 (せっしん) その2
禅宗の各派本山や由緒ある寺院には「専門僧堂」があります。
これは、雲水(修行僧)が専門に修行する機関です。
一般的には、僧堂と読んでいます。
修行僧が専門に修行する空間なので
一般の人は原則として入ることはできません。
しかし、近年は一般の参禅者(居士)を入れてくれる僧堂も幾つかあります。
僧堂では、年に六回「大接心」といって一週間程度 集中的に坐禅修行をする期間があります。
私は、ご縁で某僧堂に20代から大接心の期間参禅していました。
一週間休みを取って僧堂に籠り、雲水と共に修行しました。
朝3時に起きることから始まって、夜の10時の就寝まで、
びっしりと行事があります。
朝3時の振鈴(起床時間)がなります。
禅堂でみんなと一緒に寝るので、何か緊張しています。
一人一畳と少しくらいの狭い空間ですから、
隣の人の気配が「ビンビン」伝わってきます。
坐禅をする場所には独特の張り詰めた空気があり、
とてもゆったりと寝るような雰囲気はありません。
もちろん慣れてくるとグウスカ眠れるようになりますが・・・
一週間程度では慣れることもできません。
横になっていても、
寝ているようで寝ていないような時間を過ごすことになります。
当番の雲水の振鈴で、飛び起きて身支度を手早くします。
竹柄杓2杯の、わずかの水で顔を洗って口をすすぎます。
身支度が終わると、すぐに座禅です。
・・・つづく
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接 心 (せっしん)
先日、接心に参加したお話をしました。
接心がどんなものかお話しましょう。
接心とは摂心とも書かれます。
心の散逸(さんいつ)を防ぎ、
公案に全神経を集中して坐りぬくことをさします。
坐り抜き貫き通すことで、自然に禅定力が養われ、
本来の自己、自他平等で欠くことのない仏心を自覚します。
接心は禅宗の一大行事です。
つねにも増して、大勇猛心(だいゆうみょうしん)、
大願心を奮い起こし修行に没頭します。
みなの修行成就を願う老師によって、
さらに進化を促し悟りを得るように愛情を加えられます。
仏教の祖であるお釈迦さまは、
菩提樹の下で組んだ坐禅によって悟りを開かれました。
禅を学ぼうとするときに、坐禅がもっともわかりやすく、
適した行であるのは言うまでもないと思います。
身を調え、呼吸を調え、心を調えて静かに坐し、
自分自身を見つめる、それが坐禅です。
坐禅の中に真理があります。
坐禅をすることで自己と真理を一体化させ、
真理そのものを身体で体得体現するのが坐禅です。
接心会には心身一如の境地をつくるすべてがあります。
12月に行なう大接心を「臘八大接心」(ろうはちだいせっしん)
と呼んで一年の修行の総決算としています。
釈尊が12月8日の早暁に、明けの明星を見て悟ったという
釈尊成道に因んで12月1日から8日の早暁にかけて行なうのです。
12月を旧称で臘月(ろうげつ)といい、
その臘(ろう)と8日の八をとり、臘八というようです。
・・・つづく
■ 散逸(さんいつ)の類似語
ちりちり・ばらばら・ずたずた・四散する・散らばる
(統一性が)失われる・(価値が)消える・なくなる
■[勇猛心]の大辞林第二版からの検索結果
ゆうもう-しん ―まう― 【勇猛心】
勇猛な心。勇み進んで屈しない心。
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