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長崎人は誰でも知っています。
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蝉時雨の暑い真夏の1945年8月9日11時2分、世界が真っ白い光りにつつまれ、すさまじい爆風と共に超高熱が走った。米軍機から長崎に原爆が落とされたのである。
博士はこのとき、爆心地からわずか700mしか離れていない長崎医科大学の研究室にいた。あいつぐ空襲で負傷した患者であふれた教室で、自らの白血病と闘いながら診察中の被爆だった。 「そこへ不意に落ちてきたのが原子爆弾であった。ピカッと光ったのをラジウム室で私は見た。その瞬間、私の現在が吹き飛ばされたばかりでなく、過去も吹き飛ばされ、未来も壊されてしまった。 見ている目の前でわが愛する学生もろとも一団の炎となった。 わが亡きあとの子供を頼んでおいた妻は、バケツに軽い骨となってわがやの焼け跡から拾わねばならなかった。 台所で死んでいた。 私自身は慢性の原子病の上にさらに原子爆弾による急性原子病が加わり、右半身の負傷とともに、予定より早く廃人となりはててしまった。」 (永井 隆著「この子を残して」より) 多くの研究資料が灰となり絶望感に打ちひしがれた博士は、目の前の新しい現実に立ち向かわねばならないことに気づき、救護活動に立ち上がった。そして新たな課題まだだれも研究したことのない病気、原爆症の研究が待っていた。 おびただしい原爆症患者、あいつぐ死亡者。 なんとか助けたいという思いで患者を探し歩き診察したが、とうとう自らも危篤状態におちいり、無念にも救護活動を打ち切らざるを得なくなった。 被爆した博士は、右半身に多数の硝子片切創を負い、特に右耳前部の傷は深く、右側頭動脈が切断されるほど重傷だった。 滝のごとく噴き出す鮮血を、三角巾で縛っての負傷者の救護活動だったが、血が止まらず失血のため倒れた。 9月10日ごろ原子病の症状が現われ、傷が壊死し始め高熱が続き昏睡状態に陥った。 薄れる意識の中で 「光りつつ 秋空高く 消えにけり」 |
さて、誰でしょう?
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永井博士でした。
長崎では知らない人はいません。
2012/4/1(日) 午後 9:16 [ 権米 ]
権米様。永井博士です。
2012/4/8(日) 午後 10:01
権米様。4*9 [商い上手の仕入れ下手]=[客に物を売るのは上手だが、 仕入れが下手なために、 儲からないということ] 誰=犬。 エスペラント=hundo. 英= dog.独=der Hund.仏=le chien.西=el perro. 4*9 謎=カナダ<仮名だ、漢字でなくて。でした。
2012/4/10(火) 午前 1:18